第2話 魔女祭 動乱 2
走り出した足は止まらず、ソバは一目散に山岡のいるトラックを目指した。周りではすでにパニックに陥っており、警官たちと同じように豹変した人間たちが逃げる人々を襲っていた。今になって甲高い叫声がソバの鼓膜を貫いた。
「オレ、知ってる! ありゃあ、ありゃあゾンビ! ゾンビだ!」
命の危険をモロに感じ取ったソバの脳は月に届くほどハイになっていた。
さっきまで歓声で満ちていた祭は、恐怖と混乱の悲鳴で溢れ返っている。祭り会場のあたり一帯は菫色の煙が蔓延していた。
トラックまで戻って来たソバは急いで運転席の扉を開ける。
「山岡さん!」
しかし運転席に山岡はおらず、ソバはあたりを見回す。すると自動販売機の明かりに照らされる配達員の制服を着た男が、呻き声を上げていた。腕の肉が食い千切られており、様変わりした肉体と顔面には、性格の悪さが滲み出ている山岡の面影があった。
「ひええ……」
折れ曲がった首のままゆっくりソバに近寄って来る。
近くにもゾンビが死体を貪っていて、どこに逃げればいいのかソバの頭は真っ白になった。
徐々に距離を詰める山岡ゾンビの取り留めない足どりが不気味さと恐怖を増幅させる。
もうダメかもしれない。そう思ったソバの目頭がカアッと熱くなった。
「オレ、オレ! 山岡さんのこと! 嫌味とか言うしケチだしっ! 正直嫌いだったけど! 女の人のれっ、連絡先すぐ聞くのだけはすげえなーって! 思ってたのにいいいい——-っ!」
泣きそうな声で叫び、逃げ出そうとしたソバは肝心なところで躓いた。
「オオオオオッ!」
倒れたソバの上に、黄ばんだ歯を剥き出して山岡ゾンビが覆いかぶさる。
「ぎゃあああっ!」
絶叫を上げるソバの声の間を突くように、一発の銃声が忽然と響いた。
目を閉じていたソバが瞼を上げると、眉間に風穴が空いた山岡ゾンビが虚空を捉えたままソバの上に倒れた。
あまりにも突然の連続で、ソバはふわふわとした茫洋の心地だった。
急いで彼から離れて破裂しそうな心臓の鼓動を鎮めるように呼吸を整える。自分は生きているという実感が噴き出す汗ともに内から湧いた。
「大丈夫?」
ちらほらと叫声が散発的に聞こえる中、その声はやけにスッと染み込んだ。
透明でどこでも溶けてしまうようなぬるい氷解の声音。
ソバは視線を声の主に移した。
月に光輝くアッシュグレーの長い髪。端正な顔立ちと細雪のような肌。全てを見透かしたような鋭い黄金の瞳。柔らかい微笑の中にかすかな深淵をソバは感じた。
例えば、ソバが人生で一度でも抱きしめられたい女はと聞かれれば間違いなく目の前の彼女のことを言っていた。それほど目の前の美女はソバにとって落雷そのものだった。
白い月が似合う美女はソバに近寄るとしゃがみこみ、ポケットからハンカチを取り出した。
長いまつ毛がわかるほど、綺麗な彼女の顔は目前まで迫った。
「鼻血出てるよ」
優しく撫でるように鼻血を拭いてもらう。もたれかかりたくなるような大人っぽい雰囲気にソバの心臓は天を突き破りそうなほどの鼓動を打った。
「さっき転んだ時かな」
ハンカチ越しに感じる彼女の細い指は暖かく、あの菫色の煙と同じ甘い果実の香りがする。ソバは彼女の奥深い瞳をじっと見つめた。見つめずにはいられなかった。
「うん。取れたね」
「……あ、ありがとう、ございます。あの、名前っ、なんて言うんですか」
「リア」
「リアさん……」
「君は?」
「えっと、ソバです」
「ソバ君か。いい名前だね」
リアは立ち上がるとソバに手を差し伸べる。
—— 好き。
ソバはリアの姿を見て赤を赤と思うように、いつどこで見ても、リアが好きであることに確信した。今までこんなにカワイイ人と会ったことがない。
「助かりました」
爛れた肉を引きずりながら徘徊するゾンビたちは、男や女はもちろん老人や小さな子どもまで人を求めて彷徨っていた。
「ひとまずここから離れよっか。西の方に警察が固まってるからそっちの方に行こう」
西と言われてもピンとこなかったソバだが、リアの行くところに彼はついて行く気しかなかった。全細胞が叫んでいる。この謎の美女から決して離れてはいけない。何があっても、彼女と付き合うために行動するのだ。
蠢くゾンビの中を二人は歩き進む。
しかし、その方角は西ではなく東だった。
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