第3話 魔女祭 動乱3

 ソバはリアのわずか後ろをついて行きながらリアの様々な髪型や服装を一人勝手に妄想していた。ポニーテール、アップバンク、ハーフアップにお団子。三つ編みも捨て難い。ワンピースやカジュアル系にアメカジ、へそだしの格好なんてされては悶絶必至である。

 ゾンビに襲われたばかりなのに、彼は度し難いほど上の空だった。

「リアさんって魔女なんですか?」

 頬を赤く染めるソバにリアは穏やかに答える。

「そうだよ。ソバ君はもしかして魔血持ちかな」

「わかるんですか?」

「その静脈の色を見ればね。男の人で赤紫色の静脈は魔血が流れてる証拠だから」

 呑気に話している二人の付近には唸り声を漏らすゾンビたちが数匹いた。それなのにソバとリアは襲われず、奴らは見向きもしない。

 リアの好きなものを聞こうと考えていた刹那の沈黙で、ようやくソバはそれに気が付いた。

「そーいえば、全然ゾンビたち襲って来ませんね」

「血の力で止めているの。私が近くににいる限り彼らは襲ってこないよ」

「じゃあリっ、リアさんの近くにいないと危ないってことですか⁈」

 火山の噴火のように興奮するソバに、リアは優しく微笑んだ。

「うん。だから離れたらダメだよ」

 どういった能力でゾンビたちが襲ってこないのかわからない。そんなことはソバにとって、路傍の石ころよりも些末なことだった。

「離れません!」

 ただ単純に離れてはいけない理由ができたことに、彼の心は歓喜に震えた。もしも、リアと恋人になれた生活は、ソバにとって世界が核兵器を撃ちたくなるほど羨むものになるに違いない。もう俺は悩殺され続けて脳が死んでいるかもしれない。

「うん。君は良い子だね」

 リアの発する言葉のひとつひとつが、ソバにとって甘美で心地よく、電撃が走ったかのように痺れる。

 だからだろうか。

 後方で起きた爆発すらもソバはどこか宙に浮いた気分でいた。突然ゾンビに襲われ、心底好きなった女が現れて、ソバの脳は熱暴走とさして変わらない状態にあった。爆発地点はソバが警官に呼び止められた場所だった。

「わあっ! びっくりした!」

 もうもうと上がる黒煙と、真っ赤な炎の灯りが夜の街に映える。

 爆風でリアの長い髪がなびき、彼女も落ちついた様子でビルの谷間の奥で赤く光る爆発を見据えた。

「始まったか……」

 リアは腕時計を見る。その仕草も綺麗でソバの心臓は高鳴った。

 彼女のあらかじめわかっていたかのような口ぶりには一切気に留めず、爆発にも負けないテンションで声をかける。

「あの、リアさんって趣味とか……」

「ソバくん。スマホ持ってない?」

 リアは上から被せるようにソバの声をかき消した。

「あります!」

 秒速でスマホをリアに渡すと彼女は誰かに電話をかけた。

「もしもし、私だけど。予定通り終わった。そっちの作業はどう?」

『こっちは問題ないわ。ただサクラ班がまだ必要な物を回収できてないの。だから時間が少しかかるわ。そっちはユリノに車を回さすから所定の場所まで来てもらっていいかしら』

「了解。あとそれから必要なピースはこっちで回収できたからミカミ班は撤退してサクラ班のフォローに回して」

『へえ……本当に?』

「嘘吐く理由がある?」

『……りょーかい。リーダーに伝えとくわ。じゃあ二時間後に——』

「はい。ありがと」

 スマホを返されたソバは宝物のように受け取り、赤子のように優しくポケットにしまった。電話相手がたとえ男だろうと、ソバは気にしなかった。

「知り合いがこっちに車で迎えに来てくれるから合流場所まで少し歩こうか」

「はいっ!」

 彼女といられる。声をかけてもらえる。それだけでソバは充分だった。

 リアの誘導で道路を歩く。街頭と魔女祭のため用意された仮設電灯で真夜中にしてはとても明るく、見通しが良い。けれど、ゾンビとなった者や食われた死体があちこちに転び、屋台や建物は騒乱のせいでどれも半壊状態だった。

 分泌された脳内麻薬のせいか、ソバの呑気さは全く薄れない。リアの綺麗な横顔を熱心に熱心を重ねて、さらに熱く輝かせた黒い眼差しを向けた。

「オレ、リアさんと祭回りたかったです」

「私もソバ君と回れたら楽しかったと思うよ」

 乗ってくれる優しいリアの横顔をぼうっと見つめるソバは、バイトに入っていて本当に良かったと過去の自分に感謝の念を送る。

「そういえばオレ、まだ助けて貰ったお礼できてないです」

「お礼?」

「助けて貰ったお礼させてください! お金とかなら魔血売れば用意できます。貴重らしいしっ!」

 猛烈なソバのアプローチに小首を傾げたあと、リアは巨人すらも魅了するような神秘的な微笑みをソバに向けた。

「じゃあ、私のやることを手伝って欲しいな」

「手伝い?」

「そう。どうしても君にしか頼めないことがあるんだ」

 リアはおもむろにソバの手を両手で包み、慈しみで満ちた顔を近づけた。甘い香りがソバの鼻口をくすぐった。体をグッと縮めたくなるほど、リアの綺麗さがソバのハートを突き刺した。

「とても大変なことだけど、もし引き受けてくれるなら私にできることでお礼だってする。だから、手伝って」

「はい」

 本能的に神妙な声で返事をするソバ。

 蠱惑的な上目遣いにソバの撃ち抜かれたハートはさらに穴だらけになった。

 だからだろうか。

「そこの二人。動くな!」

 満潮の思いに達していたソバは背後から迫っていた物騒な連中に気がつかなかった。

 冷たい短機関銃の銃口をゾンビたちに向ける武装した機動隊。彼らの背後には褐色肌の初老とメガネの二十代後半の若い男、そして見覚えのある若い黒髪の美女がいた。


     ○


 ほんの数十分前の光景が嘘のように、祭の舞台は惨劇と化した。

 ほうきに跨った魔女は空から逃げ遅れた人を救助し、消火栓から噴射する水を操る魔女はゾンビどもを蹴散らしていた。

「指示に従って! こちらの方に慌てず避難してください!」

 拡声器を通して避難誘導をする警察や消防官、そして警備課の魔女たちが生き残った人間を助けている。

 しかし突如として起きた異常事態に現場は混沌とし、被害の規模は甚大なものへとなっていった。

 一人の若いメガネを掛けた男がスーツの下を汗で濡らしながら天幕へ入って行く。

「長谷川隊長。避難の指示をください。このままだと避難民に被害が出ます」

 机に足を載せて、行儀悪く煙草を吹かした褐色の初老の男が重たい声で口を開いた。

「指示はさっき出しただろ寺田。追加はねえ」

 公安機動捜査一課トップである彼は長谷川。テロ組織や反社会勢力の捜査と拘束が主な任務の公安捜査官だ。長谷川の横柄な態度に部下である寺田はずれるメガネを直し、不満な顔を浮かべる。

「失礼ですが、外の状況を把握しておられるのですか? 現着した第三機動隊の通信が途絶え、避難は滞っています」

「交通整備ばっかやってるからだ。避難誘導なんざ巻きでやるしかねえよ。発砲許可も出してある。なんとかしろ」

「ですが隊長!」

「……寺田」

 声を荒げる寺田に長谷川は冷徹な眼差しで射抜いた。公安の鬼。一部ではそう囁かれる男の威厳は歳を食っても衰えない。寺田の背筋に悪寒が走る。

「俺らは公安だ。避難云々は警備部に任せろ。通信が切れたのも十人ぐらいだろ。俺らが相手にしてるのはなんだ?」

「……白夜教です」

「そうだ。ブサイクなゾンビじゃねえ。それに、こっちはとっくに後手に回ってるんだからな。三年前みたく取り逃すわけにはいかねえ。魔女局局長の容態は?」

 魔女局局長は演説の最中に何者かに肩を撃たれていた。

「幸い、急所は外れていたので命に別状はありませんが、すぐに病院に運んだ方がいいと」

「白夜教の仕業なのは間違いねえ。犯行声明出したのも、こっちを完全に舐めてるからだ。発砲した奴をさっさと探し出せ」
 険悪な二人の天幕に可憐な乙女が秋の風のように涼しげに入って来た。

「失礼します。先日公安対魔女二課から配属されました。吉浦キリエ警部補です。ただいま現着しました」

 長谷川の身を竦めてしまう圧力にも堂々としている。長い黒髪を後ろでくくった凛々しい女性だ。

 怪訝な顔をする寺田に黒髪の女は毅然と口を開いた。

「お初目にかかります。寺田副隊長」

「寺田はまだ顔合わせてなかったか。キリエは嘘がわかる血の力を持った公安魔女だ」

 それを聞いた寺田は、メガネの奥の瞳を驚愕の色に変えて感嘆の息を吐いた。

「嘘かどうかわかる。それはまた、凄まじいですね」

「若輩者ではありますが、捜査に尽力致します」

 敬礼をするキリエに寺田もまた敬礼をする。

「それでどうだキリエ。村田の奴は何て言ってた?」

「課長は私以外に割ける公安魔女の人員がいないとのこと。あと、長谷川隊長は品性がどぶ水だから極力話すなと」

「なっ⁈ 吉浦警部補! 長谷川隊長は警視だ! 不敬だぞ!」

「いいじゃねえか。公安の人間はそんぐらい言える神経がねえとな」

「あと、対魔女二課の方で監視していた数名の魔女が白夜教と関係があり、尋問して情報を吐かせることに成功しました」

「どんな情報だ」

「白夜教はこの魔女祭で何かを目論んでいるようで——」

 突然、わずかな地響きと共に耳を劈くような恐ろしい爆発音が響き渡った。

 天幕から飛び出した三人は音がした東の方角を見据える。爆発があったらしいビルのいくつかが火災になり、今にも崩れそうだった。サイレンの音が街中に響き、人々の不安と緊張が限界に達しつつあった。

 避難誘導に当たっていた警官たちも立ち尽くし、気が動転した民衆が無秩序に逃げ惑う。どっと殴られたような重みにバリケード役を担っていた警官が思わず尻餅をついた。

 そこから防衛線が決壊し、三十体ほどの凶暴なゾンビたちが殺到した。

「ちっ、話は後だ。佐藤小隊、中山小隊。すぐに防衛線を修復しろっ! 流れてきたゾンビは後方で待機している第三機動隊で対処しろ。俺たちは爆破現場に行くぞ」

 長谷川の指示の下、寺田とキリエ、武装した機動隊とともに事態への対処に当たった。

 現場に駆けつけた長谷川たちは火の手を迂回し、襲いかかってくるゾンビたちを打破しながら突き進んだ。そして、その先に二人の男女を見つけた。

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