第4話 魔女祭 動乱4

 長谷川たちの目の前に、一人の少年と妖しい女がいた。

 あたりにはまだゾンビが数匹生きており、すぐさま隊列を組んだ機動隊が一斉に発砲する。

 ソバとリアの周囲にいたゾンビたちが銃弾の雨に撃たれる。眉間を撃ち抜かれたゾンビたちは力無く倒れた。

「妙な動きをしてみろ。俺の合図で腹に鉛弾ぶち込んでやる」

 大声で口を開くのは現場指揮官の長谷川だった。

「長谷川隊長。なんであの二人に銃を向けるんですか。どう見ても一般市民じゃないですか」

 寺田が小声で進言する。それに長谷川は辟易としつつも答えた。

「ゾンビどもが襲ってなかったんだぞ。この騒動と無関係だと思うのか?」

 長谷川の優れた洞察力から、二人は黒に近いグレーだと警告が出ている。

「しかし、その可能性はあります」

「ここに来るまで倒したゾンビは二十体はいただろ」

「三十五体です。長谷川隊長」

 キリエの尖った指摘に長谷川は若干太い眉を顰める。

「そのゾンビどもがあいつらを追ってなかったのは何故だ。人様と見るや節操なく襲ってくるB級ゾンビどものクセによ。あの二人、特に女の方は何か知ってそうな顔だ。まず間違いなく魔女だろう。寺田、リストにあったかあの顔」

「……いえ、自分の記憶ではあのような美人はいなかったはずですけど、まさか白夜教の関係者だと疑ってるんですか? あっちの男だっておそらくまだ高校生くらいですよ」

 寺田の言葉を聞いて、長谷川は不遜に鼻を鳴らした。

「なおさら怪しいじゃねえか。おいっ! そこの二人っ! 俺たちは公安だ。ここは危ねえから早くこっちに来い」

 保護という名目で接近を試みる長谷川に対して、ソバは終始身構えていた。

「オレ銃とか向けられたの人生初です」

 平然とするソバの横で、リアは冷静な面持ちで目を細めた。

「……なるほど。あれが長谷川か」

「リアさんの知り合いっすか?」

「知り合いの知り合いかな。思ってたよりダンディだ」

 不穏な空気が流れるも、ソバとリアはその場から動かず機動隊の機微にアンテナを立てる。

「どうします? これ近づいたところをバンッ! ってやつじゃないですか?」

 ソバが冗談気味に訊ねると、リアはスッと淑やかに振り返った。黄金の瞳がソバをじっと捉えて離さず、目を逸らすことを許されないような束縛さに背筋が震えた。

「じつはあの人たちとは仲が悪くてね。できれば逃げたいと思ってるんだ」

 真意が見えないリアの言葉に、ソバは当惑した。

「ええっ⁈ でも警察ですよ?」

 警察と仲が悪い人間は社会的ブラックリストに名を連ねる者たちだ。リアがその手の者であるならソバも彼女と関わることは躊躇う。いくらソバでも一緒に居たいほど顔のいい女であっても付き合う人間は選ぶ。さっきまではそう思っていた。

 リアがころんと小首を傾げて、神妙に微笑んだ。

「そう。だから上手くやり過ごして。できるよね?」

 ソバはうっとりと鼻の下を伸ばして言った。

「はい……」

 彼女がどんな立場にいる人であっても、彼女のお願いから逃げるなんてできなかった。それほどまでにリアは美しく、さっさと一緒にデートをして、小さなアパートで暮らしたかった。

 リアとソバは一緒に歩きながら長谷川たちの方へゆっくりと近づいて行く。

 一歩、また一歩と距離が縮まるにつれて全身の毛が逆立つように、長谷川の長年培われた鋭敏な経験が警笛の門を叩いた。

「そこで止まれ」

 二十五メートルほどの距離で止まった二人を長谷川は鬼の眼力で注意深く観察した。

「どうしたんですか? 早く保護しないと」

 寺田が訝しがるが、長谷川は無視して威圧的な声で制した。

「爆弾抱えてたらどうすんだ? おい、ここで何をしていた」

 リアは温厚に口を開き、つらつらと事情を話した。

「街に突然化け物が現れたので逃げていました。警察の方が来てくれて本当に助かりました」

「……そっちの小僧は?」

 爆発したテンションと緊張も相まってソバは威勢よく答えた。

「オレはえっと、バイト! バイトしてましたっ!」

 長谷川はソバに向けていた意識を全てリアに集中させた。

 彼の眼に一層力がこもる。ガラリと変わった雰囲気に寺田が固唾を飲むが、リアは謎の微笑みを崩すことなく湛えている。

 その不気味さに長谷川はさらに警戒をした背後で、キリエは静かに二人を目に焼き付けていた。

「悪いが身体検査をさせてもらう。それから——」

「長谷川隊長。少し私に任せてもらえませんか?」

 キリエがキレのある声で前に出る。

「……なんだいきなり? こんなんで出世の足しにはなんねえぞ」

 水を差すような提案を一蹴するが、キリエは続けて言葉を繋いだ。

「あの高校生ぐらいの男の子とは、面識があります」

「何?」

「彼とは、幼馴染みです」

 その眼差しは確かに旧友の念があった。

「だからって、あの馬鹿そうな小僧が白である保証はねえだろ」

「いいえ、彼は寺田副隊長の言う通り、ただの一般市民です。むしろ隣の女を警戒すべきです」

 キリエはいつでも拳銃を抜けるように心の準備を整える。睨む先にいるアッシュグレーの女に敵意にも似た感情を向けた。

「彼女は嘘を吐いています」


   ○


 緊迫した現場の中、キリエの言葉に長谷川は胸中で反芻する。

「……血の力か。確かなのか?」

「はい」

「ならあいつが白夜教の関係者か聞け。それならここはお前に任せてやる」

「ありがとうございます」

「なっ⁈ いいんですか長谷川隊長!」

「黙ってろ寺田。キリエに任せる」

 キリエは機動部隊の前に出る。長谷川は機動部隊に合図を送り、キリエに銃弾が当たらないように陣形を組み直した。ソバたちとは二十メートルほどの距離だ。

 黒い髪の女性が前に出てきたことでリアも彼女に意識を向ける中、ソバはじっと目の前に毅然と立つキリエを見据えた。

 そして記憶の奥底にあった彼女の存在が脳裏を駆け抜けた。

「……キリエ?」

「久しぶり、ソバ。今ここの付近にはゾンビが大量に溢れてるの。危険だから君を保護するわ」

 じつに六年ぶりの再会となった二人。ソバは懐かしさと驚きで強張った表情が弛緩した。

「オレだけじゃなくて、リアさんも保護してくれよ」

「もちろんよ。だから早くこっちに来て。私たちが安全を保証するけど、その前に聞きたいことがある。二人は白夜教の関係者ですか?」

 キリエの厳かな声音が淀みなく響いた。

「びゃくやきょー?」

 間抜けな顔をするソバとは違い、リアは知的な笑みを浮かべた。

「国内でテロ活動をしている過激派の宗教団体ですね。私たち二人は、無関係ですよ」

 彼女の言葉を一言一句、聞き逃すことなくキリエは耳を傾けた。そして彼女の脳内でけたましい掃除機の音が鳴り響いた。

「……わかりました」

 キリエはわずかに首を回し、後ろに控える長谷川に視線を送った。長谷川は眉間に皺を寄せ、寺田に無線で連絡するよう指示を出した。

「では二人とも急いでこちらに来てください。二人を保護します」

 柔和な声音で話すキリエのもとへ歩み出そうとしたソバの服をリアがぐいっと引っ張る。

「リアさん?」

「行っちゃダメだよ」

 恐ろしいほど優しく囁かれた言葉に、ソバの耳は瞬く間に占領された。闇夜で開く黄金の瞳孔がソバの体を引き止める。

 思わぬことにソバは茫然としたが、警察と仲が悪いと言っていたことを思い出した。

「どうやら向こうは私たちを保護する気はないみたい」

「いや、あの、あの人キリエって言って、オレ昔から仲良かったんですよ」

 警察と仲が悪くても、キリエは信用に足る人だ。それはソバが保障できることだった。

 しかし、リアは動かない。

 それを見たキリエは鋭利な目つきをさらに尖らせた。

「ソバっ! その女から離れて。それは『白夜教』の関係者よ!」

 長谷川がすぐさま包囲陣形に機動隊を動かす。キリエはソバのもとへ駆け出し、寺田も拳銃を取ってキリエの後を追いかけた。

 機動隊が発砲する直前、交差点の北東から一台の黒いミニバンが猛烈なスピードで突っ込んできた。強烈なハイビームライトの眩しさで目を細めるキリエはピタリと足を止めてしまう。

「吉浦警部補!」

 ミニバンに轢かれそうになったキリエに、寺田が滑り込むようにタックルをした。間一髪で衝突を免れた二人は、地面の上を転がった。

 タイミングの良すぎる車両に、虚を突かれた機動隊は態勢を崩してまった。二人の前で停車したミニバンにリアがソバの腕を掴んで乗り込もうとする。

 長谷川は銃口をミニバンに向け、引き金を引いた。しかし、防弾仕様に改造されたミニバンは銃弾をもろともせず、リアとソバを乗せた車は東の方へ走り去った。

 倒れたキリエに寺田は手を差し伸べた。寺田の顔を見ると彼のメガネは綺麗に割れており、キリエは少しバツが悪そうに顔をすぼめた。

「あ、ありがとうございます寺田副隊長……」

「いえ、怪我はありませんか?」

「はい。大丈夫です」

 寺田もキリエも無事であることを確認した長谷川はこれからの手を考えるべく思考する。

 してやられた。それを引きずって失敗に酔う暇は長谷川にはない。

 彼は今もぐんぐん離れて行くミニバンの特徴を克明に記憶した。丸みのある黒い車体。艶のある光沢と、529というナンバープレート。長谷川の頭にはすでに目標を追い詰める算段が整い始めていた。

 一転した事態の中で機動隊の一人が怯えた声を張り上げた。

「た、隊長! 北西よりゾンビの大群が出現しました!」

 目を凝らすと、道端まで埋め尽くされた恐ろしい数のゾンビが進行してきた。死者の群勢が悍ましく迫り、現在の武装と人員では皆あのブサイクの餌になることを長谷川は察知した。

 土埃に汚れたキリエは東に消えて行くミニバンを睨みつける。

「長谷川隊長! 早く追いかけましょう!」

 しかし、長谷川は動かない。現時点ですでに百メートル以上の距離ができた上に追跡手段もない。取るべき選択は決まっていた。

「撤退だ。本部まで退け」

 長谷川の判断を寺田が大きな声で復唱し、機動隊は後退を始めた。苦渋に顔を歪ませるキリエは、もう見えない東の彼方を一度振り返ってから走り出した。

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