第5話 白夜教1
「はあ〜あ、どうにか撒けた」
大きなため息を吐いて安堵するミニバンの運転手は後部座席を見る。
「あのさ、回収する身にもなってよね。何警官どもに捕まりかけてんのよ。あんたらしくもない」
黒い帽子を被った金髪のショートカットに、青い目をした若い女が運転していた。
「助かったよユリノ。けどよくわかったね。合流場所はもう少し先のはずだったけど」
「作戦前にあんた視てたし。三つの可能性の一つを辿っただけ」
「予知の能力、相変わらず強力だね」
ユリノは助手席に置いてある鞄から赤黒い液体の入った試験管をリアに渡した。リアがその液体を飲む中、後部座席に視線を移した。
「っていうか作戦中になに男引っ掛けてきてんの? しかもその格好、配達員? 趣味悪いわよ」
ユリノに睥睨されたソバは彼女から敵意を感じた。
「なんすかこの人! 人を見かけで判断すんのかよ! 配達員はサンタの仲間なんだぜ!」
「年下のくせに生意気ね。私ガキ嫌いなんだけど。まさか連れてくの?」
拒絶に染まった嫌な顔をするユリノに、リアは快く頷いた。
「ソバ君は必要だよ。私たちにとってね」
「そうだぜ。オレはリアさんに頼まれたんだ」
意味ありげに目を細めるユリノは神妙な顔になった。
「……ああ、そういうこと。魔血持ちが見つかったわけね。でももっとマシな奴いなかったの?」
チクチクと刺すように不服を漏らすユリノにソバは亡き山岡の姿を彼女に重ねた。
「オレあんた嫌いだ。リアさんと違って性格がどぶみてえだ」
「私もあんたみたいな知性のないガキはNG」
「仲良くしてくれるかな。二人とも」
リアの一言で車内は一気に剣呑とした空気に包まれた。
ソバは力無く返事をして、ユリノはふんと言って顰めっ面になる。
高揚していたソバの気分は冷や水を浴びせられたように冷却され、返って脳が冴え渡った。
今になって、キリエの言葉を思い出したのだ。
「ところでソバ君」
背後から頭を叩かれたようにぎょっとするソバに、リアは微笑みかけながら柔らかい口を開いた。
「さっきの女の人とは知り合いなの?」
何か尋問をされているような後ろめたい気分になる。
「えっと、昔家が隣でよく遊んでたっていうか……姉みたいな感じで」
「ふ——ん」
謎の笑みを浮かべたまま、リアはソバの黒い目の奥底に入り込むような眼差しを送った。
「で、でも……ひさ、久しぶりの再会でした」
言い訳を並べるような口調に、リアは変わらず穏やかに声をかける。
「名前はなんて言うの?」
「キリエです」
「そのキリエちゃんは魔女なの?」
「えっと、はい……高校卒業前に魔女の血の注射打ってて、浮気したかどうかわかるから羨ましいって近所のおばちゃんに人気でした」
ソバの情報にリアは手に顎を当てて呟いた。
「浮気がわかる……そうか。嘘かどうかわかるのか。いい能力だ。ありがとね」
そのお礼の言葉がソバの暗い気持ちを嘘みたいに晴れやかにしてくれた。高揚とする面持ちでソバもリアに体をそわそわさせながら言った。
「あの、オレも聞きたいことができて」
「何?」
口から出る寸前で、一瞬躊躇いが生じた。惚れた彼女は警察と揉めている様子。踏み込んでもいいのか、聞いても嫌われないか。そう逡巡するが、このまま聞かないのは刺さった棘を見過ごすような気持ち悪い思いをする。それならばと、ソバは意を決して訊ねた。
「リアさんってその、悪いことしてるんですか?」
左上を見ながらリアは「う——ん」と考え込んだ後、悪戯っぽい笑みを作った。
「してるよ」
その言葉に、小さく冷たい汗が背すじに浮き出た。
「ど、どんな?」
リアは頬を撫でるそよ風のように言った。
「ソバ君を連れ出しちゃった」
「へっ⁈」
心臓が跳ね上がり、頬の赤さが自身でわかるほど紅潮する。一体、彼女は何度自分の心臓を撃ち抜く気なのか。堪らない。もっと撃ってきてほしい。ソバのボルテージはまさに青天井を越えて、富士の峰すら見下ろすほど高く昇った。
「……そっか。オレ連れ出されちゃいました」
彼の心臓に黄色い花が咲く。自分はこの時のために生まれてきた気がしてならなかった。
「こんな形になってしまったけど、手伝いが終わればお礼はする。私にできることでね」
「なんでも言ってください! バリバリ働きます!」
「ありがと」
(魔女だな〜)
後部座席の二人をミラー越しで傍観するユリノは心底そう思った。
「それでオレは何をすればいいんですか?」
「そうだね。目的地に着く前に色々話しておこうか」
ミニバンは高速道路に乗ってぐんぐん加速していき、都心から離れて東京湾の方へと向かっていた。
「ソバ君は死竜(しりゅう)信仰って知ってる?」
「知りません」
ユリノが驚きの声をあげた。
「嘘でしょあんた。高三までには習うでしょ」
「オレ学校行ってないもん」
舌を出してユリノを揶揄うと、「ムカつくわね」と彼女は額に青筋を浮かべた。
「死竜は魔女の間じゃあ結構有名な話なんだ。ソバ君は人間に『死』がなかったって言ったら信じる?」
「リアさんが信じるなら信じます!」
ユリノはソバを馬鹿だなあと心から哀れに思った。
死竜信仰 —— 人類とこの星を幸福に導く、黒の魔女の傑作。
死竜は黒の魔女によって創造される死を食らう竜である。
人間に『死』がなかったのは死竜が人間の『死』を食べたから。それによって人は死から解放され、生物の原則から外れて真に自由になった。さらに人間の死を食べたことで膨大なエネルギーを得た死竜は、その力で生に満ちた人の世界を祝福する星の涙を落とした。しかし、星の涙は死竜にとっては猛毒で、星の涙に触れた死竜は死んでしまった。死竜が死んだことで食べていた死は再び人間に還された。これが死竜に関する最も有名な話だ。
「死を喰らい生を呼び、星の涙を落とす死竜は、魔女にとって生と死と祝福を司る傑作なんだ」
「へえ〜、なんか壮大っすね……」
「あんたわかってんの?」
「死竜がめちゃくちゃカッコイイのはわかりましたよ」
「百年前の御伽噺みたいなものだけど私はその死竜を創りたいの。だからソバ君にはその手伝いをお願いしたい」
「まっかせてください。オレが最高で最強のドラゴンにしますよ!」
ソバにとってはよくわからないカッコイイだけの死竜だが、手伝うだけでリアにできることでお礼が貰えるのだ。もしかしたらキスとかできるかもしれないし、その先だって……
今日バイトに出ただけで人生がここまで転換するのかと、ソバは自分の運命に打ち震えていた。
高速道路を降りて東京湾沿いを走り、一つの高い三十階建てのビルの前で車両が止まった。
「着いた」
三人は車から降りる。ユリノは運転で疲れた体をほぐすように腕を上へ伸ばす。
「ソバだっけ? 今から行く場所は絶対他言無用だから。あと絶対騒ぐな」
棘のあるユリノの言い方に、ソバは不敵に笑った。
「誰があんたの言うことなんか聞くかよ」
また舌を出して小馬鹿にするソバだったが彼は驚愕のものを目にした。
月明かりで照らされた美しくも大きいユリノのお胸であった。まさに豊穣の峰。後部座席ではわからなかったが、リアよりも勝る色香の暴力を目の当たりにしたソバは、
「でもしょうがねえから絶対に静かにするぜ!」
容易く屈した。
ソバはユリノが少しだけ好きになった。
三人はリアの先導で一階のフロアへ入る。ビルの灯りはこの一階だけで人影もない。不気味な場所だった。
三人はエレベーターに乗り、リアがボタンを押す。3、7、5、6、4、と順番に押すとエレベーターが表記にない地下へと動いた。何かのギミックが働き、エレベーターが下に降りている感覚が足から伝わってきた。
「すっげ〜。秘密基地みてえ」
「大きい声出さないでよね。ここ響くんだから」
ユリノの注意にムスッとしたソバだが、彼女のたわわな胸を凝視して勝手に帳消しにする。
「何よ」
「べっつに〜。そういえばユリノも魔女なの?」
気取られたくなかったソバは興味もないことを咄嗟に聞いた。
「そうだけど」
「どんな力なんだ?」
「なんでそんなこといちいち教えないといけないのよ。あとなんで私には敬語じゃないのよ」
「オレのこと嫌ってる奴になんで敬語使わねえとダメなんだよ」
そっぽを向いて目も合わせてくれない気難しいユリノに代わって、リアが呆気なく口にした。
「ユリノは未来予知ができるの。完璧なものではないけどね」
「ちょっとリア!」
リアがバラすと思わなかったのか、慌てるユリノは可愛らしく顔を赤くした。まさに地団駄を踏む思いの彼女はそれをグッと堪えていた。
「ソバ君ももう大事な協力者だから教えても問題ないよ」
リアにそう言われたことでソバは能天気な気分がさらに能天気になり、頭に花が湧いてくるような黄色い昂りを感じた。
「さっすがリアさんだ!」
「もお……そんなのわかんないでしょうが」
頭を抱えるユリノを見てソバはケラケラと笑う。
「大丈夫っすよ。オレ口は固いですよ」
「信用できないし、そういう能天気なところがムカつくのよ」
「二人とも喧嘩しないでね。今から死竜を創るのに協力してくれる人たちを紹介するから」
「どんな人たちなんです?」
ユリノは面倒臭そうに言った。
「そこそこイカれた奴らよ」
「世間ではあまり良いようには言われてないんだけどね」
エレベーターが停止し冷たい扉が開く。点滅する蛍光灯。気落ちすような緑の通路を進む。足音がコンクリート壁に冷たく反響した。奥まで一直線の通路を三人は歩いていき、一つの黒鉄の扉の前で止まった。
「彼女らは白夜教。死竜を創造してこの世界に星の涙を落とそうとしてる救済者たちだよ」
リアが扉を開けると、大きな広間が奥まで広がっていた。そこには五十人以上の女性がせっせと忙しなく怪しげな作業をしている。
机の上に広げられた都内の地図や謎の図面。発電機や無数の導線が繋がった金属の球体に、ハイスペックパソコンの電子機器。壁の隅には食糧や水の備蓄があり、中心には巨大な恐竜の骨が置かれてあった。
呆然とするソバはきょろきょろと首を振りながら迷わず歩くリアとユリノの後をついて行く。
「ようやく来たか……」
血のように赤い目が特徴的な長身の女性だった。漆黒のロングヘアが艶やかに流れ、気品の高さに萎縮してしまいそうな風格を纏っている。それはまるで一国の城主のような威厳すらも漂わせていた。
「紹介するね。彼女がこの白夜教を束ねるリーダー、冴島サヨリ。美人でしょ?」
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