破章 キスしてほしい
第10話 白夜教掃討作戦
その報せはまだ日が昇ったばかりの時だった。
「リーダーっ! 大変です!」
メンバーの一人の魔女が冴島の部屋へ乱暴に入った。
「なんだ」
冴島は彼女とは真反対に冷静な声で応える。
「公安が武装した機動隊を連れてこの基地に向かってきてます」
冴島は手に顎を添え静かに思考に耽る。
何故ここがバレた。表向きはまともなオフィスビル。ここの管理人はウチの構成メンバー。公安がここに事情聴取しに来たのは知っているが、彼らが仕事中は私の魔女の血の力で記憶を操作している。仮に手荒な尋問をされても地下の存在が漏れることはあり得ない。確かな証拠が無いと動けないはずだ。そうなると一つの可能性が浮上する。
「まさか、裏切りか……」
ぽつりと溢れたあまり信じたくない想像。しかし、そうでなければ公安が嗅ぎつけるのは不可能だ。作戦にしろ、単なる物資調達にしろ、この基地を出ていく者は等しく基地の存在は記憶から消す。記憶が戻るのは冴島の血を飲んだ時だけ。だから今まで、記憶を消した後は帰ってくる場所だけを言って、私の血を持った誰かに迎えに行かせる。魔女祭の時も、ユリノに血を持たせてリアを迎えに行かせた。リア相手でも同じ様に基地の記憶を消した。
そうやって用心をしてきた。
「リーダー、私たちはどうすれば……」
怯えて不安な顔をするメンバーに冴島は思考を一旦やめ、状況の整理と打開案を考えた。
「公安がここの存在に気づいたのは確かだろう。今すぐここを放棄する」
「でも死竜の素体はっ! 運び出すのに時間が要ります」
死竜は現在七割ほど作業工程を終えている。トラックに積めるには切断して小分けにしなければならなかった。
「頭と胴体、尻尾に分けて三台のトラックに詰めろ。横浜にある第三基地を目指せ。ルートは別々だ。それから……ビル内にいる社員たちを二十五階に集めてくれ」
中小企業のオフィスビルは白夜教にとっての隠れ蓑の一つである。ここで働く社員は皆、白夜教に深い恩がある者たちだ。退社する時は記憶を操作され、出社するたびに冴島の血を飲む。
すでに血を飲み記憶を取り戻した彼らは澄み切った笑顔で冴島を待っていた。
社員たちを見た冴島は自然と拳に力が入り、俯きそうになる気持ちを堪えた。
「皆、すまない。このようなことがないようやってきたつもりが、私の至らなさが招いた結果だ」
頭を下げる彼女に、管理人である六十歳の老人は暖かい笑顔を向けた。
「顔を上げてください。冴島さんのおかげで私たちは今があるんです」
管理人の言葉で顔を上げる冴島は、「本当にすまない」と再度謝る。彼女のとって、今からすることは苦渋の選択だった。人の恩につけ込んで、残酷な仕打ちをやろうとしているのだから。
だが、老人は穏やかに首を横に振った。
「社会から振るい落とされた我々に居場所と、ぬくもりをくれたあなたに恩を返せるならなんてことはありません。それに、あなたに会う前の私たちは息をしながら死んでいたようなもの。今さらですよ」
冴島は自身の不甲斐なさに歯を食いしばりながら努めて毅然と言った。
「後のことを頼む。必ず死竜を創り、お前たちの魂も必ず救ってみせる」
祈りの手を作った社員たちは一斉に暗唱した。
「果てなき深淵に白き光の死があらんことを」
そして冴島はリアの血が入った試験管を暖かな笑顔を作る社員たちに渡した。
○
白夜教の第一基地であるオフィスビルは東京湾から二十キロほど離れた臨海部に位置する。
周囲にはコンビニと小規模な住宅街と店頭が点在した何の変哲もない場所だ。今そこで長閑な風景に似つかわしくない物騒な光景が広がっている。機動隊が包囲してから一時間が経過していた。
現場総指揮を担う長谷川は煙草を吸い、機動隊指揮車両の中で作戦決行時刻を黙々と待つ。
「長谷川隊長。白夜教もビル内の社員も誰一人出てきません」
寺田がいつもより引き締まった表情で報告する。
作戦開始まで残り八分。現場に張り詰める緊張感は、過酷な訓練を詰んだ部隊員であっても不安にさせた。相手はゾンビを使役している国内屈指の犯罪組織。命を伴う危険な任務は今日が初めてではない。三年前、羽田空港に着陸した一機の飛行機からゾンビたちが滑走路に雪崩込んだ事件の制圧にも彼らは参加していた。
テレビでは現在の光景を急場で設置したフェンスの外からカメラで熱心に収め、突入を今か今かと待ち侘びている。
自動小銃の弾倉を確認する。催涙ガス弾S型、防弾ベスト、臑当、篭手、大盾、武装を細かに確認しながら高まる気持ちを冷静に鎮める隊員たち。決行五分前を迎えると長谷川は防弾ベストを着用し、車両から降りて車体の上にある指揮台に上った。
スピーカーの電源が入る。ハウリングが発生し、甲高い音で隊員たちは一斉に指揮台へ集中した。
「——投降に応じなかったため、これより白夜教の掃討作戦を決行する。全隊突入」
重低に響く長谷川の声で白夜教掃討作戦が始まった。
盾を持った機動隊が最前列を作る。一糸乱れぬ隊列がオフィスビルの自動扉を破壊し、雪崩のような勢いで突入した。
隊員たちは四方を隈なく探し、それぞれ警戒をする。しかし、ビルの一階は清潔な白いフロアが広がっているだけで無人だった。
「こちら小宮班。一階フロアには誰もいません」
無線で連絡の入った長谷川は次の指示を出す。
「非常階段から小宮班、武藤班、佐々木班は上の階へ突入。社員たちの安否を確認し、拘束しろ。残りは一階フロアを念入りに調べろ」
指示が降った機動隊は迅速に行動する。階段を上り二階、三階、四階とフロアに上がるが誰もおらず、整然としたフロアは人の痕跡が見当たらない。
「十階まで到着。誰も確認できません」
その報告で長谷川は眉間に皺を寄せ険しい顔になる。モニターから一階フロアの映像を見て、不思議に思っていた。
降伏勧告をした一時間でビル内の人間が全員退去した。それもこちらの包囲を掻い潜って……
長谷川は一個中隊の指揮を執る寺田に無線で連絡を入れる。
「寺田、裏口の方はどうだ」
「——裏口の方、誰も出てきません」
それから先行した機動隊から再び無線連絡が入る。
「現在二十六階に到着。やはり誰もいません」
もぬけの殻。長谷川はそう確信した。しかし一階フロアを捜索する機動隊員から無線が入る。
「——こちら中村班。エレベーターが動いています」
モニターを覗き込む。機動隊に取り付けたカメラの映像では、確かにエレベーターが動いていた。
そしてエレベーターが開くとそこから十体前後のゾンビが悍ましい姿で現れた。呻き声をあげて剥き出した歯が生者を求めて襲いかかる。
「発砲!」
現れたゾンビたちに鉛弾が撃ち込まれる。どろっとした血潮が吹き、腐りかけの肉体が倒れていく。
「射撃止め!」
瞬く間に殲滅したゾンビたちの服装は、全員まだ綺麗なスーツを着ていた。倒した一体のゾンビに近づくと、首から名前が書かれたカードを下げていた。
「——こちら中村班。襲撃してきたゾンビは、このビルで働く社員です」
モニター室が騒然とする。長谷川は煙草を吸い、このオフィスビルからすでに白夜教が立ち去っていることを悟った。
一階フロアのゾンビ出現を皮切りに、長谷川のところに次々と報告が飛んできた。
「——こちら小宮班。屋上からゾンビが出現」
「——こちら武藤班。二十八階にゾンビを発見。殲滅します」
「——こちら寺田中隊。裏口通路から多数のゾンビを発見。対処します」
ゾンビたちがオフィスビルに現れたことで、長谷川たちは身動きが取れないくなった。狙い澄まされたかのような完全な足止めを喰らった。慌てふためくモニター室の捜査官たちは各々指示を飛ばす。
そんな中、一人落ち着いた長谷川はモニターを眺めながら大きく煙草を吹かし、一本の電話を入れた。
「キリエ、想定通り目標はそっちだ」
長谷川から連絡を受けたキリエはオフィスビルから最短で横浜に通ずる一本の道路を封鎖した。
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