第17話 これで良い……

 頻発するゾンビ事件。白夜教によるテロ活動だと連日テレビでは放送されていた。これに警視庁、公安調査庁、政府は徹底的に抵抗すると発表。魔女局も「白夜教の死竜信仰という眉唾な伝説は到底信じられないものであり、同じ魔女の血を持つ者として恥ずかしく思う」とコメント。

 世間では白夜教と死竜の話題で持ちきりだった。

 特にゾンビにさせられた被害者たちの抗議が白熱していた。警察や機動隊によって殺されたゾンビになった身内を抱える遺族に、世論の憐憫は膨れ上がっている。助けられたかもしれないのに殺した正義の皮を被った殺人集団などと、ネットで冷やかす声も少なくない。なかには白夜教の存在やテロ活動を支持する者もいた。滅多なことで面白がっている者が燃え上がる炎をさらに煽り立てる。


 そこにネット上で公開された一本の動画が世間をざわつかせた。

『初めまして皆さま。私は白夜教のリーダー冴島です。いかがをお過ごしでしょうか。さて、私がこのような動画を上げたのは、日々奮闘する捜査官の方々が押収した死竜の頭を返して頂きたいからです。皆さまは死竜という存在を、ただの魔女たちが言い伝える御伽話か何かかと思いでしょう。ですが断言します。死竜は確かに存在、いえ、存在させることができます。そして死竜がもたらす祝福は、決して皆さんを苦しめるものではありまん。ですが、公安が死竜の頭を引き渡さないのであれば仕方ありません。魔女祭でのゾンビ事件、今度はアレを新宿、渋谷、品川で起こします。人を食う悪鬼の被害者をこれ以上出すのは不本意でなりませんが、六時間後までに新東京の魔女祭会場の近くにある勝鬨橋(かちどきばし)まで死竜の頭を用意して下さい。賢明なご判断を。では、果てなき深淵に白き光の死があらんことを』

 昼の十二時にこの動画が公開され、国民が騒然と震撼してから一時間と少しが経った。公安調査庁は白夜教の捜査を担当する長谷川を呼び出していた。

「君に何故、白夜教の捜査を任せたと思う? こうならないようにするためだ」

「はい。今回の責任重く受け止めております」

 慇懃な態度の長谷川だが、上役は苛立ちの籠った声を発する。

「公安の鬼も堕ちたものだ。どうするつもりだね?」

「第一機動隊の出動を認めていただければ……」

 仰々しく鎮座する上役は光沢のある机を思い切り叩いた。

「あれは政府関係者と天皇陛下のための部隊だ! 出動は認められん! あれが出るということは、国家を脅かす集団であると認めるようなもの。我が国の利益に支障が出る」

「もうすでに海外にもバレています。国外に出ようとする国民も多い。支障は出ております」

「建前があるだろ。大義名分が生まれてしまうことが問題なのだ。特別に君が元いた第六部隊を動かす権限をやる。第三、第四、第五機動隊まで動員していい。消防隊にも支援を要請する。なんとかしろ」

 部屋から退出した長谷川は数秒間、瞼を下ろした。

 この四日間で発見した白夜教の第三基地はもぬけの殻だった。それも放棄してから大分時間が経った形跡があった。捜査は空振りに終わり、振り出しに戻ったと思った矢先に先手を打たれた。

 しかし、あの脅迫動画を見た長谷川は正直に言って腑に落ちなかった。

「冴島にしては殺伐とし過ぎてる」

 冴島が公安にいた時のことを思い返す。キリエとはタイプが違う冷たく硬い口調で物怖じしない彼女は、手が掛かったり掛からなかったりした部下だった。

 彼女は犠牲を嫌う。特に一般市民に被害が出るようなことは最も嫌悪している。そんな彼女がテロ活動を起こしたとはいえ、民衆を人質にするような真似をするとは思えなかった。

「黒幕がいるのは明らかだな」

 そしてそれは間違いなくキリエが暴いたリアという黒の魔女であることは疑いの余地がない。少なくともリアが死竜創造の手綱を握っているはずだ。

 とにかく、先手を打たれた以上ここからは対応と機転が命運を左右する。

 長谷川は急いで白夜教対策本部を設立した。


     ○


 冴島はどんよりとした曇天のような顔つきで、SNSのトレンド入りした自分の脅迫動画を視聴していた。動画は公開する二時間前に撮った。動画はリアが撮るように冴島へ言ってきた。まるでカップ麺でも作るような気楽さで。無論、最初はこの提案を蹴り飛ばした。当然だった。理不尽にも程がある。ただでさえこの世界は不条理で溢れ返っている。他を蹴落とし陰で貶め、正義を振りかざすのはいつだって快楽の為。

 公安にいた時、冴島は嫌というほど痛感した。仲間内の誰かが失敗しても助けない。困っていても助けない。助けを求められても助けないことに。でもそれは仕方がなかった。

 皆、誰かを助ける余力がなかったのだ。何せ、自分自身が助かっていないのだから。右を見ても左を見ても、例外なく全員が先の見えない綱渡りをしていた。

 だから現代の助け方は、どうしても自己責任に行き着く。悪いのは自分のせい。そうなったのはお前が悪い。逃げ場のない事実がさらに人を過酷に追い詰める。魔女の力を持っていても大したことではなかった。結局、助けられない。付け加えて不幸を堪能する趣向が蔓延している。

 信仰を捨てた人類は柱を失い、空気に流されるがままになった。特にここの国民はそれが顕著に出ている。


 だから冴島は死竜による星の涙で、この世の理不尽を一掃する。死竜が生と死と祝福の傑作であるなら可能なはずだ。目的は星の涙。死竜はその過程であり、脅迫など論外に等しい。

「絶対にやらない。何も知らない民衆に被害が出るようなことは、白夜教の理念に反している」

 反論する冴島にリアは薄く神妙に笑った。

「気持ちはわかるけど、悪くない作戦だと思うな」

 その言葉があまりにも嘘臭く、思わず頬が緩んだ。

「気持ちがわかるだと? わかるならそんなアイディアが浮かぶわけがないだろ」

「世間で白夜教はとっくにテロリスト扱い。よくて陰謀論に登場。イメージダウンでも心配してるの?」

「ほざけ。世間どうこうじゃない。守るべき矜持があるんだ。お前のゾンビで被害は何度も出た。これ以上、増やすわけにはいかない。もう組織を好き勝手にはさせないぞ」

 冴島は断固として拒否し続ける姿勢を崩さない。

「死竜を創ると、そう言ったのはリアだろ。脅迫をする意味がない」

「頭は公安が持ってる。また創り直す時間も惜しいし、第三基地も発見されてる。取り返すのにはそれこそ数がいる。堅牢な公安から奪取することはできないよ」

 リアの羽のように軽い言葉に、冴島はフンっと鼻で嘲笑った。

「脅迫をすれば簡単に行くと? 公安も馬鹿じゃない。素直に頭を引き渡すとは思えない」

「でも私の作るゾンビを無視するわけにもいかない。魔女祭で使ったゾンビ化噴射装置は予備がある。彼らは応じるしかないよ」

「仮にそうだとしてもだ。頭を引き渡した直後に公安が事態収拾に取り掛かる。テレビで報道する間もない速さでな。それはどうするつもりだ」

「時間との勝負だね。そこはみんなで足止めをしといてもらえればこっちですぐに創り上げる。手が足りないなら私が持ってるゾンビたちも使ってもらっていい」

 冴島は眉を顰めて怪訝な顔になった。

「またゾンビを作ったのか」

「三年前の名残だよ。とにかく公安を脅すだけ。本当に都内の人間をゾンビにする必要はない」

 どこまでも薄い微笑みを湛え続けるリアに、冴島は慎重に考えた。気が遠くなりそうなほどいくつものパターンを想像する。リアの提案というので不信感ばかりが胸を埋め尽くす。しかし、頭では彼女の作戦が有効打になることは理解していた。

 凛とした冴島に猜疑の心が見え隠れする。その隙をリアは花束でも贈るような声で突いた。

「決めるのは冴島だよ。死竜を創るのが私の目的。でも冴島は違う。その先にある星の涙でしょ? その目的を叶えられると思う手段を選んで」

 この女は心底、魔女である。

 冴島は瞳の奥深くで戦慄し、そう思った。

 自分とは根っこのところで違う。リアの黄金の双眸に潜む闇すら及ばぬ深淵が、冴島をじっと見つめ返してくる。きっと冴島は、三年前彼女と出会ってからこれに呑み込まれたのだ。

 選んでいるようで選ばされている。それしかできない己のちっぽけさに我慢しなければならない。それはたまらなく悔しかった。

「……本当に脅迫をするだけなんだな? 一般市民は人質にするだけで、手を出さないと誓うか?」

「誓うよ」

 凪のように穏やかに、重力が消えたようにリアは笑みを浮かべた。その顔は冴島に話をした時からずっとそうだった。

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