終章 ハッピーエンド
第32話 ハッピーエンド
人類に生と死が無くなり、彼らは永劫のまどろみに身をやつす。黒の魔女と死竜によって世界は白紙に包まれたように一変した。人類の大多数は黒の魔女と死竜がもたらした恩恵に沈んでいる。
永遠に沈まないと思われた太陽も三年後には沈み、大気を循環させる風はなくなって季節も消滅してしまった。
世界は徐々に寒冷化が進み、気温が低いところの星の涙は凍結が始まった。北の大地は氷河に呑まれている。時間は大きく流れた。
宇宙に散らばる他の星々のように地球も緩やかに朽ちていこうとしている。
その枯れ行く星に一つの巨大な樹が聳えていた。
地球からはみ出せそうなほど途方もない大樹の中心、黄金の葉が茂る深奥に明滅する光があった。竜の形をした骸の内側で光る星のような輝きを発する一人の人間が宙に浮いていた。
そいつは男だった。
生きているのか死んでいるのか自身で判断がつかない物静かな彼だが、息はしていた。
海の中にずっと潜っているような感覚に包まれているせいで、日に日にマトモな思考がおぼつかなくなってきていた。もう自分がどういった人間かも思い出せない。
星の涙に沈む人々のように気持ちよく眠ってしまおうかと思うが、それはなんだか勿体ないように思えて起き続けている。
自分を覆うこの大きな竜の骨が何か重要な役を負っているように思えたし、自分はこの骨を隣人のように愛している。それに竜の骨はある一人の魔女との唯一の繋がりだからだ。
その魔女は名前もわからないけど、なんとなく美人で顔がいい女だというのは漠然とわかる。命を捧げるほど顔がいいんだ。ただの希望かもしれないが、味気ないこの空間に長く籠っているんだ。少しくらい夢を抱いてもいいだろう。
そうでないと、踏み倒したくなるこの暇な時間の中、正気は保っていられない。つい魔が差して眠ろうとするが、そんな時は女と共に過ごす妄想をする。
オレと彼女は車に乗って何か怖いもの、ゾンビとかから車に乗って逃げる。服を着替えるために服屋に行って彼女がオレのコーディネートをしてくれる。試着室で楽しそうにお洒落をする彼女を見てオレはきゃっきゃとハシャぐんだ。
次に二人は喫茶店に行って、ブラック珈琲を注文した。オレが飲んでいる珈琲を彼女が勝手に飲んで唐突な間接キスになる。
その後、オレと彼女はボーリングをして、ダーツをして、ゲームセンターで遊ぶ。
晩御飯はマックでドライブスルー。彼女はフィレオフィッシュでオレはチーズバーガーを食べる。オレが飲んでいたコーラを彼女が飲んで、オレは一息でそのコーラを飲んだ。頬を赤く染めたマヌケ面だ。
次は映画をハシゴして見まくる。その日の彼女の服装はヘソ出しのセクシーな格好で、猛暑のせいで浮き出る汗がヘソに溜まると言ってハニ噛む。核兵器並みにカワイイ。
次の日、漫画喫茶に行って同じ部屋でごろごろと怠けながら漫画を読む。オレが読んでいた漫画に彼女が覗き込む。髪を耳の裏にかける仕草に胸がギュッとなる至福の時間だ。
次は有名なテーマパークに遊び行く。朝イチで向かったのに、気づいたらもう夜であっという間に終わってしまうほど楽しい。ポニーテールの髪型にアメカジの格好がカワイすぎてオレの視力は落ちる。そして近くのホテルに泊まる。部屋は分けようとしたが一室しか空いていなかったから仕方なく一緒の部屋になった。シングルベッドだから二人で寝るには窮屈だったけど、そのおかげでオレは彼女と肩を寄せ合えた。彼女は綺麗な足をオレの足に絡めようとしてはやめるという焦ったい遊びをする。オレは興奮が止まらず眠れなかった。史上最高の甘美な徹夜だ。
次は——どうしようか。巨大なキャンバスで一緒に絵を描いてもいい。何故かは知らないけど、彼女は隣人のようなカッコイイ竜でも描きそうだ。
そして、盛大な祭りを二人で練り歩く。彼女は浴衣で、誰もが虜になる微笑みをオレに向けてくれるんだ。
こうやって、自分はもうその女を想うこと以外の欲求も目的もない。
ひたすら彼女のことを考える。
○
七十年が過ぎた。
静止した世界にぼうっと漂って妄想に明け暮れるのも、とっくに飽きてきた。
今は寂しさで心が寒くなる。
地球の大地は一面が白くなっていて、星の涙に沈む人間や都市や文明は氷漬けになっている。黄金の葉が落ちた場所には草木が生えているが、成長は一定のところで止まる。散りはせず、枯れることもない。単なる生命の標本だ。
自分が何故ずっと起き続けているのかも曖昧になってきた。
何か、顔のいい一人の女の為なのは辛うじて覚えているけど、その肝心の女がどれかわからない。氷に埋まった眠った女たちを見ても、どこか違う。美人を見つけても一時の慰め程度で起き続けるほどの顔がいない。
オレが熱烈な妄想と祈りを捧げている人は腹で何を考えているかわからない、見た瞬間に抱き締めて欲しい人でキスして欲しい人だ。
だから起きていられる。でもその人は一体、どこにいるのだろうか。オレは何故、彼女から離れているのだろう。
○
五百年が過ぎた。
星の涙でできた泉は星空を閉じ込めたようで素敵だが、これもカチンコチンになっている。星粒の氷と呼べば聞こえはいいけど透明度が低いからあまり綺麗じゃない。
さすがにもう死んでもいいんじゃないかと思った。その思考は今に始まったことじゃないし、どうやったら死ねるかは時々、考えていた。竜の骨にある引力の力で隕石を落とせばぐしゃぐしゃになって死ねると思う。
みんなは眠っているのに、自分だけが起きている理由もわからない。
この竜の骨と黄金の大樹は眠る人間たちから負の感情を吸い上げ、幸福な眠りを与えていることがわかった。自分はその核で、時々眠ろうとしても眠れないのはオレから眠りを奪っているからだった。
何故、自分はこんな役目を負っているのだろうか。
彼らに奪われたいなんてこれっぽちも思ってないのに。
しかし、もしオレが世界をこんな風にした当事者だとしたら、当然の罰なのかもしれない。そう思うと、何故だか狂いそうな気が少しだけ紛れた。
○
六千年が過ぎた。
地球はすっかり氷の星になってしまい、寒さに弱い人類以外の生命は凍え死んでしまった。
オレの足元は生も死もなく、美しささえ見つけられなくなっていた。昔はもっと色んなことに感動していたと思うけど、その昔も昔過ぎて本当にあったかわからなくなった。
ただ、一切は過ぎていく。
頭がおかしくなりそうほど絶望して心が寒くなる時がある。
そうなるといつも祈りを捧げては涙が出る。でもここ数百年は出なくなっていた。涙が尽きてしまったんだろう。
だんだん自分が枯れて朽ちようとしているのがわかる。宇宙の星々のように。天空を煌めかせるあの鈍い光は枯れた文明の灯火なんだ。
まもなく自分もそうなる。
人類の幸福な眠りと夢はもう終わる。
○
四万年が過ぎた。
途方もない想像を絶する苦痛だった。何をしても何もならず、ただ無があるだけ。
オレは確信した。この果てなき牢獄の苦しみは永遠に続くのだ。
「もう、死にたい……」
精一杯の白い息を吐いた。
突然、ガシャンっと結晶が砕ける音がした。
淡く白い光と無重力に包まれる竜の骨の世界に、一人の影が風船のように浮かんで近づいてくる。
「あっ」
一人の女とすれ違う。
長いアッシュグレーの髪色に心臓を穿つような魅力的な黄金の瞳。
腹で何を考えているかわからない顔のいい女がオレの前に現れた。
「大丈夫?」
女のぬるい声が、この瞬間オレを魂の底から救った。
「涙出てるよ」
女は近づいてオレの頬に手を添えた。指で目尻に浮き出た涙を拭き取ってくれた。
彼女の淡いぬくもりが冷え切った心の底にじんわりと染みる。
「あ、りがとう。あの、名前はなんて言うの?」
オレは彼女の手をぎゅっと強く握る。
「リア。会いたかった。死竜」
「死竜?」
首を傾げるオレにリアも小首をちょこんと傾げる。
「あれ? 君は死竜でしょ」
心臓が跳ね上がって口から飛び出そうだった。
「わからない。名前がわからないんだ」
「君の中から私の血を感じる。私の魔女の血が流れてる。だから君は私の死竜なの」
「でも、オレ全然竜っぽくないけど」
「竜の骨の内側にいたし、死竜の核なのは確かだよ」
微笑むリアの顔にオレは体の底からみるみる熱い涙が溢れてきた。言葉を交わせることが堪らなく嬉しかった。リアは優しい声色で言った。
「また泣いてる」
悲しくて泣いてるわけではない。喉から明るい声が出た。
「ごめん。でも、なんだろ。ずっとリアを探してた気がする」
「私も、よく覚えてないことがあるんだけど、死竜のお嫁さんだったことは覚えてるんだ」
リアはオレのおでこにおでこをコツリと当てて、静かに抱き締めてくれた。
「やっと会えた」
リアの祈りに満ちた声が、オレの耳に奥深く浸透した。
「はは……」
頬が綻んで乾いた笑みが溢れた。
オレはリアの美しい微笑みに包まれながら瞼を閉じる。
黄金の大樹には一千万体の氷漬けになったゾンビたちによるハシゴができていたが、上から力が抜けたように落下して崩れていった。
果てのない深淵の中、もう互いに離れないように抱き合う腕に力がこもる。血管を走る赤い血に熱が生まれた。
リアと死竜は暖かい白い光に覆われる。
それから二人で少しだけ話した後、リアは眠ってしまった。
死竜と呼ばれたオレも少し後に一緒に眠った。
リアと死竜 星川ぽるか @poruca_hoshikawa
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