第29話 深淵の先
小舟のように一枚の畳が海を漂う。潮風が鼻腔をくすぐり、強烈な陽射しに十三番は目を細めた。
漠然と海の上を進んでいると、浜辺らしき影が見えてきた。
ひとまず陸に上がろうと思い、畳を近づける。距離が縮まるにつれて、十三番は背中がゾッとした。浜辺の上には無数の人間が茫然と体育座りをして埋め尽くされていた。しかも、見る限り全員が全裸だった。
「ひえ〜、マジかよ。趣味悪いな」
おえっと思わず吐いてしまいそうな不気味な浜辺に畳を着けた。
等間隔に座る人間たちの瞳には光がない。見るからに窮屈そうな隙間を十三番は縫って歩く。座っている人たちは老若男女いて、やや視線を下に向けた状態で蝋人形のように固まっていた。ぶつかってもびくともせず身動き一つ取らない。十三番には目すら向けない。さざ波の音だけが響き、梢がさえずる浜辺はとても無機質だった。
十三番には彼らが死んでいるように見えた。
無口の浜辺に首を回しながら歩いていると、一人の女性に目が留まった。十三番は彼女のもとまで行くと、その怜悧な顔に見覚えがあった。
「キリエ……」
無意識にぽろっと出た名前は無視ができなかった。
彼女のことを知っている。そんな気がしてならなかった。
十三番は声を掛けながら彼女の肩を揺する。しかし、反応は返ってこない。本当に人形に話しかけているみたいだった。
そのまま置いて行くのも気が引けた十三番は彼女を持ち上げて、一緒に連れて行くことにした。美人だからという理由もあるが、それだけではない感情があったからだ。
ずっと続く浜辺を歩いて行くと、人間の骸骨が山積みになった崖があった。凶暴な獣が残さず食べてしまったかのような綺麗な骨の山を登ると、そこからは先は闇よりも暗い深淵があった。
呑み込まれたい反面、その一歩を踏み出すには一抹の勇気が必要な魅惑的な断崖だ。
十三番はキリエを下ろし、黙して断崖の先にある深淵を覗いていると、キリエからかすかな声が聞こえた。
「下りるの?」
風に飛ばされてしまいそうな小さな言葉に十三番は答える。
「ここに会いたい人がいるからな」
「どんな人?」
「腹で何考えてるかわからない顔のいい女」
光の失せた瞳でキリエは十三番を怪訝そうに見た。正気のない顔は死にたくても死ねないような特別な色があった。
「あんたが会おうとしてる人って、とても酷いことしてる人だよ。しかも幼稚なこと言ってるし、たくさん人を殺してるし、外は世界滅亡って感じになってる。悪魔だよ」
無機質に語る彼女に、十三番は振り返らずに言葉を発した。
「別になんとも思ってねえわけじゃないけど、やっぱオレ好きだし、仕方ないよな」
意気揚々とする十三番を見たキリエの冷たかった声色にかすかな怒気が含まれた。
「あんたのことなんてリアは見てないんだよ。奪うだけ奪って興味が失せたら都合のいい消耗品扱いされて終わるんだよ。あんたはずっと失っていくだけ。それでいいの?」
一握りの悔しさに力んだ声が強く空間に響いた。
「それぐらいしかオレできねえから」
十三番は朗らかに言った。
「それ、もう一回殺されても言える?」
「何回でも殺してほしいね」
冗談のように笑う十三番に、キリエは心の底から大きなため息を吐いた。
「……少し見ない間にかっこ悪くなったわね。ソバ」
十三番は目を大きく見開いた。自分の名前が何か、喉に刺さった骨が取れたように思い出せた。
ソバは断崖と深淵の境界に立つ。
キリエと言葉を交わして、ここから飛び降りる心構えが出来上がった。リアのいる根底の見えない深淵へ沈むのに、覚悟も勇気もいらなかった。
生も死も諦めて彼女のところへ落ちる。ソバにできることはそれだけだった。
黒よりも黒く、遥かに深い黄金の奈落があると信じてソバは一歩を前に出す。裸足が虚空を踏む。ぷつんと蜘蛛の糸が切れたようにソバの体も魂も深淵へ落ちた。視界は黒く染め上げられ、全身が海底に沈むような暗い浮遊感に包まれる。
果てしなく続く闇の中でソバは思った。自分でも底が知れないほどリアに惚れているんだ。
永遠のように落ちていくソバは視線の先に砂粒のような小さい光を見つけた。闇すら及ばない深淵の奥底にかすかな白い光明がソバを待っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます