第19話 対峙


「ようやく来たか。遅刻するかと思っていたぞ」

 白夜教リーダー冴島が仁王立ちで待っていた。その姿は銃を構える機動隊を前にしていても、不思議と凛々しかった。硝子のように繊細な肌。強烈な赤い瞳孔。脅迫動画とは違う生の実感に、キリエと寺田は自然と身が引き締まる。

 しかし、長谷川は違う。彼女の姿に大きな懐かしさを感じていた。冴島以外にも教え子との再会は幾度かあった。心を引きずり込むような郷愁が長谷川の胸にじんわりと浸透した。

「白夜教リーダー冴島サヨリだな。要求通り死竜の頭を持ってきてやったぞ」

 だが今の彼女は脅迫動画の発信者。テロ組織のリーダーだ。長谷川は公安の鬼として責務を果たす。情にほだされることは決してない。彼も覚悟の上だった。

 冴島は長谷川の背後にある大きな布を被った物体に目をやった。

「本当に死竜の頭か確認させてもらう。こちらはいつでも三つの地区にゾンビを放つことができる。忘れるなよ」

 冴島の要求に長谷川は応えた。機動隊員に布を外させるように指示を出す。ハラリと布が捲れ風にあおがれた。ティラノサウルスのような形の、大きな頭蓋骨があった。人ひとり容易く丸呑みしてしまいそうな大きさは、太古の生命のカケラが躍動しているようにすら思う。

 冴島は注意深く頭蓋骨を見て、自分達が作ったものと同じか記憶と照らし合わせる。

「よし。こちらに引き渡してもらう。悪いが下がってもらっていいか?」

 長谷川は厳しく彼女を睨みつけた。

「無理だと言ったら?」

「仲間に電話する。今すぐゾンビどもを檻から出せとな」

 この交渉において、白夜教サイドの優位性は変わらない。ゾンビの出どころを把握できていない長谷川たちは彼女の言う通りにするほかなかった。

「……わかった。全隊後退しろ」

 構えていた銃を解き、捜査官と機動隊は後ろに下がって行く。死竜の頭より二十メートルほど後退したのを見て、冴島の部下たちが回収に近づいた。

 緊迫が高まる中で死竜の頭を載せた無人牽引カートを部下の一人が操作する。だがいくらパネルに触れても作動しない。

 もたつく部下を怪訝に思った冴島が長谷川たちに「おい」と呼びかけた。

 その瞬間、長谷川は手を上に挙げた。機動隊が瞬時に自動小銃を構え、捜査官たちも拳銃の銃口を向ける。

 目を鋭利に細めた冴島は感嘆の息を吐きつつ、訝しく視線をやった。

「どういうつもりだ? 街がゾンビで溢れてもいいのか?」

 しかし長谷川は少しも動じない。彼は冴島サヨリという人間をよく理解していた。

「下手な脅しはやめろ冴島。それはお前が最も避ける手段であることはわかっている。投降しろ」

 長谷川が手を振り下せば機動隊の射撃が始まる。それはないと冴島は考えるが、いざとなったら標的を根絶するのが公安だ。そして長谷川はその判断も躊躇なく下せる。元部下である冴島が相手でもだ。

 冴島もまた、長谷川という人間をよく知っている。

「残念だ長谷川。私はやると言ったらやる、やれる人間になった。銃を下せ。ここから失せろ。カートの操作ロックを解除してからな」

 冴島も一歩も引かない。スマホを見せつけてさらに脅しをかける。

 長谷川は凍りつくような時の中で有利に運べる手段を考える。

 他の部隊からゾンビ化させる噴射装置を発見した報せはきていない。ゾンビ自体も、ゾンビが大量に隔離されている檻といったものもだ。

 今は時間を稼ぎつつ、過度な刺激は避ける。

「できない相談だ。そもそもここまで大事にしてまで創る死竜は何だ?」

「星の涙を落とす祝福の傑作だ。書店の本にも載ってることだぞ」

「随分と詩的な涙だな。砂漠にオアシスでも作る気か?」

「安息という意味では違わないさ」

 口角を吊り上げる冴島に、長谷川は重たい声音で言った。

「……何がお前をそうまでさせる?」

 公安を出て行った日の冴島の後ろ姿が、長谷川の脳裏を掠めた。

「もう、うんざりなだけだ。この世界は理不尽だが、同じように人間自体も理不尽に塗れてる。生来から備わった残酷性もあるんだろうが、それにしては不幸好きが多過ぎる」

 遠い目で語る冴島を引きずるように、長谷川は強い口調で言う。

「それもまた人の本質だ。それを否定するほどできた人間になったつもりか?」

「否定はしない。問題は根本にあるからな。死竜が持つ『死』を食う特性を使えば、人は死を克服できる。そして死が消えた人の身に星の涙が落ちれば、私たちから自由も意志も奪う理不尽から解放されるのだ」

「殊勝な心がけだが、誰もそんなこと頼んでねえよ」

 冴島の盲信的な言葉の裏に潜む救済を願う心が垣間見えた。

「お前たちからすればそうだろうが、だからといってやめる理由はないな」

 そこまで問答を繰り返したところで、長谷川の無線機に報告が入ってきた。

「——報告します。こちら品川区担当第五部隊。噴射装置もゾンビも確認できません」

 同じように新宿、渋谷でも同様の報告が上がってきた。

 おかしな報告だった。何もないはずがない。冴島の裏にいるであろうリアは策を巡らす切れ者タイプ。必ず手を打ってきている。それとも手を打ったと思わせた嘘か。三つの地区というのがデタラメの可能性もある。

 長谷川は冴島から目を離さずに思考を走らせた。

「顔が怖いぞ長谷川。何かあったのか?」

 見透かしたように笑う冴島。彼女はどこまで把握しているのか。

「教えろ冴島。お前の裏にいる黒の魔女リアは何を企んでいる」

 長谷川の問いに感心したように冴島は目を見開いた。

「流石は長谷川だ。リアの存在に気付いていたとは。伊達に歳は食っていないな。何を企んでいいるか。それはあいつも同じ死竜だ。ただ……存外に外道だぞ」

 冴島はポケットから黒い球体を瞬時に取り出し、ピンを抜く。長谷川の方に投げたそれは白煙をもうもうと噴射しながら視界の半分を煙が覆った。

「発砲っ!」

 長谷川の掛け声で機動隊が一斉に射撃を開始した。

 銃弾の雨が白煙の中に消えて行く。たちまち橋の上は煙の壁が立ち上り、向こう側は何も視認できない。死竜の頭も煙に呑まれた。一度射撃を止めて、第六の部隊長が長谷川に聞く。

「突撃しますか?」

「いや、何があるかわからん。射撃態勢のまま待機だ」

 二分後。うっすらと煙が晴れて見えたのは、夥しい数のゾンビたちが不穏な足取りで、うめき声を上げて迫っていた。

「発砲っ!」

 長谷川の声で精鋭たちが再び引き金を引く。蜂の巣になって倒れるゾンビの背後にはまたゾンビがいる。今度は顔の肉が爛れていた。そのゾンビの眉間に風穴を開けると、よっぽど肉に飢えたらしいゾンビが倒れるゾンビを押し退けて進んでくる。そいつ目掛けて手榴弾が投げ込まれた。爆散したゾンビたちは先頭を含めて十体は月まで吹っ飛んだ。

 それでもゾンビはまだうようよと行進してきた。

「斉藤班準備。射撃後、十八秒で有田班に交代」

 細かな指示で効率的にゾンビたちを倒す。それでも奴らはまだいた。

 長谷川は目を細めて視界の奥を見据える。バスの扉が五台とも開いていた。ゾンビはあそこから出てきたようだ。死竜の頭を無人牽引カートで引っ張る冴島が見えた。部下の魔女の力で動かしているのだろう。他の部下の大半は最初の射撃で倒れている。

 だが百体近くのゾンビたちのせいで冴島まで銃弾が届かない上に、機動隊が前に進めなくなっていた。

「寺田、キリエ。後藤班と三岳班と共に築地大橋を渡って冴島を拘束し、死竜の頭を押収しろ」

 長谷川の指示にキリエが声を荒げた。

「ですが長谷川隊長!」

 鋭い剣幕で長谷川はキリエの言葉を止めた。

「全員ここにいても意味がねえ。お前らが行け」

 寺田が「わかりました」と飲み込みように言って、キリエも渋々長谷川の判断に従う。

「了解です……」

 後藤班と三岳班とともに車に乗り込み、隣の築地大橋に向かって車を走らせる。

 猛スピードで飛ばした車はすぐに築地大橋に差し掛かった。

 窓の外から勝鬨橋の戦闘を眺めていたキリエ。銃声と火薬の光が橋の上で乱立している。目を凝らすと一際大きい黒い影が長谷川たちから離れるように移動している。おそらく死竜の頭と冴島たちだった。

 キリエはただ長谷川からの指示を果たすことだけを考える。

 ここで白夜教もリアも拘束してソバと街を助ける。思いを新たにして、勝鬨橋を澄んだ瞳で眺めた。

 しかし、予想もしなかったことが起きた。

 突如、勝鬨橋が音もなく爆発した。

「えっ」

 間抜けな声が漏れる。

 尋常ではないことが呆気なく起きてキリエの思考が止まる。目前の出来事をただ黙って見ていた。

 中央の位置から順番に両橋に向かって連鎖的に爆発していく。バトンのように繋がる爆発で粉塵が巨大な雲を作って、勝鬨橋を燃やした。爆風で車体がわずかな軋みをあげ、爆音は鼓膜を伝い内臓も振動させた。瞬く間に起きたその光景に釘付けになったキリエは開いた口が塞がらなかった。

 爆発した橋は崩壊し、隅田川に瓦礫が次々と落下していった。

「そんな……」

 異変に気が付いた寺田も窓の外を見て愕然とした。キリエはすぐに無線の電源を入れる。

「長谷川隊長! 聞こえますか! 長谷川隊長!」

 返ってくるのは無機質なノイズ音だけだ。唐突すぎる出来事にキリエは唖然として固まる。

 ——死んだ。火を見るより明らかだ。誰も生きているとは思えない大爆発は、嫌でも見せつけられた。一縷の望みを抱けないほど、決定的瞬間だった。

 沈黙した車内の無線に慌ただしい声で入電があった。だが電波が悪いのか、声は途切れかけている。

「——こ、ちら……新宿の……く、り返す。新、宿にゾンビが、しゅ、現。応援、を求む……」

 無線が切れる。

 瞳孔が開く寺田は新宿区の機動隊に連絡を入れるも繋がらない。渋谷区も品川区も同じだ。誰にも繋がらなかった。

「何が起こってるんだ」

 夕闇は薄れて、血と硝煙の香りが夜の到来と共に訪れる。

 築地大橋を渡り勝鬨橋に急行した一行だったが、眼下に広がるのは崩壊した橋の瓦礫があるのみだった。機動隊も白夜教もゾンビも見当たらなかった。隅田川に浮かぶのは無惨な瓦礫と灰色の塵。そして、死竜の頭だけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る