第27話 友人
ユリノはリアの要望に応えて雰囲気のある音楽を掛けて外に出た。結婚式などでよく使われる曲だ。最後の舞台を華々しく飾る裏方を任された彼女は、足早に塔から離れた。
魔女の塔にはリアの道になったゾンビたちが不気味に蠢いており、ユリノは汚物を見たように顔を顰める。
塔から離れる彼女は目の前でうなだれるキリエを見つけた。
「リアを追わないの?」
追っても意味がないことを知っていながらユリノは訊いた。この先にある結末は、リアが描いた通りになる。
「……あなたは、何? 白夜教徒?」
覇気のない声だった。
「違うけどまあ、関係者ってとこ。あなたは公安の人間でしょ? 追わなくていいの?」
挑発とも取れる発言だが、キリエの鬱屈とした態度は消えない。ユリノを拘束しようともしないほど、大事な線が切れたように沈んでいる。
「殺しても死なない魔女をどう捕まえればいいのよ。それに拘束したってゾンビの群れに襲われて死ぬ。彼女を捕まえるには時間と準備が必要だった」
標的が本当に横浜の第三基地にいれば、全て終わっていたし、人員も裂かなかった。余計な情報に踊らされた結果がこのザマだ。寺田の暗躍は見事な活躍だったと言わざるを得ない。
「結局、あいつは何がしたいの?」
痛切にキリエは言った。潤だ瞳が静かにユリノを見た。
「理論的なことを言うと、魔女の血で死竜を創ってその力で私たちの『死』を食べる。そうすると星の涙が降るのよ。死竜の誕生のせいで地球の地軸がズレるから降ってくるらしいけど」
「そういうことじゃない。何のためにこんなことするのか、その根幹は何なのかってこと」
質問の意図は分かっていた。その上で一度、濁したのは彼女が理解できないことにあると思ったからだ。
「つまらなかったからなんじゃない」
スピーカーから流れる音楽がよく耳に響いた。
キリエは一言も話さず、口が少し開いたまま人形のように固まってる。
「もちろん、それだけが理由じゃないけど、根幹っていうならそうだと思う。私から見ての話だけど。だから愛する死竜を創ろうとしてるんでしょ」
軽い調子でユリノは言った。彼女も死竜を結婚相手のように思うリアの神経と脳みそは理解していないが、少なくともリアを近くで見てきて、ユリノはそう思った。
キリエから少し離れた場所にユリノは腰を下ろした。ポケットから缶コーラを取り出し、プシュっと蓋を開ける。
「飲む?」
「……いらない。コーラ、嫌いなの」
ユリノはぐいっとコーラを喉に流し込む。炭酸が喉の中で弾けて、ほんのりとした甘さと一緒に爽快感が鼻を抜ける。
「あなたは逃げないの?」
怪訝そうに訊ねるキリエに、ユリノは素っ気ない声で言った。
「私、借金してるから。世界がめちゃくちゃになってもらった方が都合がいいのよね」
頬をわずかに緩ませる彼女に、「ああ」とキリエは妙に納得した声を出した。キリエも忘れていたクレジットカードの請求が二日後にあることを思い出した。
「……確かに、都合いいわね」
緊張の糸が切れて口元が少しだけ緩んだ。煩わしかった問題が確かに一つ消えた。それがなんとも言えない気持ちを生んだ。キリエはこの今の惨劇の裏には壮大な何かがあると思っていた。崇高な思いや願いが届いた結末なのじゃないかと。しかし、少なくとも隣にいる金髪の女はとても打算的で、じつにシンプルな目的があった。キリエもクレジットカードや家賃や、スマホのローンももう払わなくていいと思うと、クソッタレな現状がそれほど悪いものには思えなくなってきた。
あの勝鬨橋で沈んだ冴島の方が、彼女たちよりマトモなのではと思った。
「また最初の質問するけど、リアを追わなくていいの?」
キリエは数秒黙り込んで息を吐きながら答えた。
「私には無理」
煙草を吸う鬼の後ろ姿が脳裏に浮かんだ。きっとあの人が生きていたらがむしゃらに、怒りも力に変えてリアを追っただろう。けれど寺田が裏切り、本当に一人になってわかった。
私は諦めることを選べてしまえる人間なんだ。
簡単に決断したわけではない。悩んだ末に選んだ。でも諦められるその事実に愕然とするし、己への期待が憤りに変わって悔しさが噴き上がってくるけど、ずっとは続かない。現にもう、冷めてる。
リアを追いかけて止めるには、彼女と同じ頭のネジがぶっ飛んでる奴でないとダメなんだ。
俯いていたキリエの端正な顔が上がる。
そして、魔女の塔に立つリアと死竜を透明の涙が流れる黒い目で見据えた。
○
死竜の内部の光がチカチカと激しく明滅した。
凶暴な口から洪水のように赤黒い血が溢れ出す。顎を天に向けて牙の隙間から大量の鮮血が滴り落ちた。風を発生させる血の力で口に含んだ血の塊が、はるか上空にロケットのごとく打ち出された。
血の塊は花が咲き開くように新東京の白い夜空の上で弾け散った。桜のように儚く降る死竜の血の雨が燦々と赤く人間を濡らした。瞬く間に世界が鮮やかな血にまみれた。
新東京全域に降り注いだ赤い雨に人々は騒然とした。
都心部から離れて県外へ逃げようとする者も、関心を寄せず普段通りに過ごす者、今まさにゾンビたちに襲われたばかりの者、誰かを助けようとした者。平等に彼らは血を被った。
滝のごとき熾烈な雨がしばらく降った。
そして死竜は再び咆哮を轟かせる。六十秒後、魔女の塔に近い血を浴びた者から順に根を張った細い茎が体からにゅっと生えた。赤紫色の不気味な植物が、魔女の塔に向かって糸のように細く伸び始める。
一滴でも浴びた人ですら、その植物は生まれた。
キリエたちも血の雨を浴びてしまっていた。
ぐんぐんと逆流を昇る鮭のように茎を伸ばすにつれて、体力が削れていくのがわかる。脳がのぼせたようにほわんと意識が曖昧に霞んできた。まるで冬にくるまる毛布のような心地よさに全身全霊が持っていかれた。
頭上には無数の赤紫色の植物の茎が、魔女の塔の下で合流していた。蚊の足のように細い茎が集まって束を形成した。まるで巨人の腕のように太くなった茎が、大蛇のように塔へ巻きついている。とぐろを巻くその茎はリアと死竜のところまで昇ると、黄金のまだらが輝く白い果実を実らせた。象に匹敵するほど大きいたわわな白い果実。死竜はそれを骸の顎で齧った。
林檎の形をした桃のように柔らかい果実は、新東京の人間たちの『死』が凝縮された果実だった。
「これでこの星から『死』は消えた。血の雨は世界に波及する。今からはここで起きたことが世界中で起こる」
死竜は死の結晶である果実を貪り食っていた。
「この星は生と死でできている。死が消えたことで生に満ちたこの星は、宇宙に点在する星々から祝福と喝采の涙を落とされる。何故ならこの星が一つの長い歴史を経て辿り着いた結末に感動するから」
滔々と一人語るリアは燦然とする蒼白の夜空を見上げて、点々とする灯火に黄金の目を輝かせた。
白夜の空から白金に煌めく滂沱の隕石が降り注いだ。
家屋が無残に消し飛ぶ。東京湾に落ちて水飛沫が上がる。大地を穿ったクレーターがいくつも作られた。抉れた道路の下水管は割れて、どぼどぼと水が絶え間なく漏れて泥色の水溜りが出来上がる。瓦解したコンクリートの残骸に火がついた。どこを見ても同じ瓦礫の山が連なっている。
無邪気な星の涙が、アリを潰そうとする赤子のように世界を穴だらけにしていった。地球に穿たれた穴からは、生命を魅了するような漆黒と黄金の泉が湧き上がった。
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