第6話

 さっきまでは雨が降っていたけれど、今はもう止んでいる。

 やっぱり私の日頃の行いが良いためかもしれない。あるいは、国光と一緒にいるから?


 握られた手を辿って国光の方を見てみると、ちょうど私の方を見てきた彼女と目が合った。


 目が合ったのに何もしないっていうのも変だから私はとりあえず微笑んでみる。彼女は満足げに頷いて、さっきよりも軽やかに歩き出した。


 うーん。

 お詫びって言ってたけど、一体どこに行くつもりなんだろう。


 国光の家と同じ方向だが、今回は降りる駅が違う。

 しばらく歩いていると、急な階段に差し掛かる。

 私は国光から手を離して、彼女の数段先まで登ってみせた。


「ほら、見てみ。国光より背ぇ高い」

「……ぷっ。やっぱりお子ちゃまだ」

「何おう!」


 ちょっとふざけてみただけだから、そんなにムカついてはいない。別に、全然、子供だって馬鹿にされても今はいいって思ってたし。


 ていうか、お詫びしてあげるーとか言ってた割に、全然悪びれている様子がない。


 相変わらず私のことを全力で舐めているらしい国光は、くすくす笑いながら私を見ていた。


 いつもとはちょっと違う感じの笑み。

 その笑みの先に、ほとんど沈んでいる太陽が見えた。微かな眩しさに目を細めた瞬間、とん、とん、と軽い音が響く。


 彼女のローファーは、いつも綺麗に磨かれている。

 だから彼女の足音は、私のよりも綺麗で、高らかに響くのかもしれない。

 思えば国光は、私とは結構違う世界にいる人間だ。


 私はどっちかといえばクラスでは目立たないというか、地味な方だ。でも国光は派手でよく目立つし、いつもクラスの中心にいる。


 去年だって文化祭の時とか、ずっと率先して仕事していたし、打ち上げだって彼女が色々企画していた。


 眩しいな、と思う。

 彼女は色んな意味で、眩しい。私にとっては三番目だけど、彼女から見て私は何番目?


 ……なんて。

 そんな思春期丸出しな気分に浸る私じゃない。


 国光がどれだけ優れていても、眩しくても、私は私。いつだって最高最強、誰よりお姉さんで可愛いのだ。


「身長、私の方が上になっちゃったね」

「私の方が上だよ」


 もう一度、彼女より高い場所へ。


「あはは、無駄無駄。私の方が足長いし、先登れるからねー」

「私の方が階段登り名人だし!」


 くだらない言い合いをしながら、二人で階段を登っていく。

 十段、二十段、三十段。


 昼とは違って急速に静かになりつつある街の中に、軽やかで馬鹿みたいな、子供の足音が響く。


 ローファーをいくら磨いても、大人になんてなれはしない。

 私も国光もやっぱり同い年で、まだ子供で、だから友達なのだ。


 まあ、私の方が誕生日は絶対早いし、お姉さんではあるんですけど。

 いかに友達でもそこは譲らぬ。私のお姉さんっぷりにひれ伏せ小娘。


「登り切っちゃったね。どうする? もう、小日向は私より上になれないよ」

「む。……今日のところはここまでにしておいてやろう」

「うわ、偉そう。チビなのに」

「私がチビなんじゃなくて、国光がでかいんでしょ。……で? この次はどうなさるんですかー」

「こっち来て」


 彼女はそう言って、私より前を歩いていく。

 それなりに楽しんでいたから長い階段も気にならなかったけれど、結構歩いてきたのは確かだ。ここまで歩かせたからにはよほど素晴らしい価値を提供してくれるんだろうな。


 私の期待は今最大まで高まっている。

 果たして国光はその期待を上回る何かを私にくれるのだろうか。無理だったらその時は、どうしてくれよう。


 ……まあ、その時は私が国光を楽しませればいいか。

 一応、偽でも恋人だし、何より友達なんだし。

 お詫びしてほしいとか、本気で思っているわけでもないし。


「ほら。見てみなよ」

「わぁ……!」


 彼女に促されて、景色を眺める。随分高いところまで登ってきたから、街の様子が一望できる。


 まだ完全に暗くなっているわけではないから、夜景と呼ぶには不完全だけど。でも、ここから見える景色はとてもキラキラと輝いて見える。


 街じゃたくさんの星は見られないけれど、人がたくさん住んでいる街だからこそ、星の輝きにも似た無数の光を見ることができる。


 友達には馬鹿にされそうだから言っていないが、私はキラキラしたものが好きだ。


 スパンコールみたいにキラキラ輝く街は、きっとざわめきに満ちている。だけどこの場所は国光と私の二人しかいなくて、余計な音なんて一つもないってくらいに静かだ。


「綺麗だね、国光!」


 私は満面の笑みを彼女に向けた。

 じわじわと広がる夜の闇の中で、彼女も笑う。


「街がすごいキラキラしてる!」

「あはは、そうだね。こっから見る景色は、いつも綺麗だ」


 風が彼女の綺麗な髪を揺らす。

 やっぱり、絵になるなぁ。

 ちょっとだけ、見惚れる。


「私、いつもここで本読んだり、ちょっとした勉強したりしてるんだよね」

「へー、お気に入りの場所なんだ。いいの? 私、今後ここに居座るかもよ」

「いいよ。むしろ、そっちの方がいいかもね。小日向がいれば、退屈しなさそうだし」

「む」


 いいんだ。そこは駄目って言ってくれないと張り合いがないというか、話にオチがつかないというか。


 いやいや。

 別の今の話に、オチなんてつけなくてもいいんだけど。


 こんなことを考えてしまうのは、お気に入りの場所を私に教えてくれたっていう事実に、ちょっと照れているからなのかもしれない。


 友達と秘密の共有をするとか、そういうのに憧れる気持ちがないって言ったら、嘘になるし。

 こうなると私も何か秘密を明かした方がいいのかも。


「……かっこつけてるとか、思わないんだ?」

「へ?」

「勉強好きとか、こんなところで本読んでるとか、さ」

「んー……?」


 勉強が好きだったら格好をつけていることになるんだろうか。

 うーん?


「別にいいと思うけど。勉強も、ここで本読むのも、好きだからやってるんでしょ? 好きなことなら楽しんだ方がいいと思うよ! 私は嬉しいし!」

「嬉しいって、何が?」

「国光が好きなこと教えてくれたことが!」

「……」

「国光?」


 国光は何かを考え込むような仕草を見せてから、少し屈んだ。

 視線が交差したのは一瞬で、瞳の中に滲んでいた感情を読み取るまではいかなかった。


 だから、今。

 彼女がどんな気持ちで私にキスをしてきたのかは、よくわからなかった。ただ前よりちょっと優しい感じで、えっちだーとか、いやらしいーとか、そういうのを感じさせないようなキスだった。


「国光って、意外と乙女?」

「……なんでそうなったの?」

「いや、だって。こういう景色が綺麗なところで優しくキスするって、なんか、ロマンチックな感じじゃん?」

「……あはは、そうかもね。発想が馬鹿っぽいけど、その通りかも」

「一言余計なんですけど」


 ムカついたから私も不意打ちでキスしたろうかと思ったけれど、国光が姿勢を正してしまったから無理そうだった。


 でも、ここで終わったら名が廃るっていうか、負けた感じがするっていうか。好きなところを教えてもらって、キスされて。


 二回も驚かされたのに私は彼女を驚かせられないっていうのは、どうもなぁ。

 どうしたものか。


 やっぱり、せっかく秘密を教えてもらったのだから、私も封印していた恥ずかしい秘密の一つくらいは彼女に明かしてしまってもいいのかもしれない。


 しかし、彼女のことだから絶対お子ちゃまとか言ってくる。

 うぐぐ。

 うむむ。


 ……いや、迷ったら突き進むのが私の取り柄だ。当たって砕けてしまえばいい。話はそれからである。


「私、キラキラしたものが好きなんだ」

「は?」

「だから、こういう景色を見せてもらって、嬉しかったり、そんなでもなかったり……」


 国光は目を丸くしてから、吹き出した。


「ぷっ……あはは! 神妙な顔で、そんなこと言う? 何かと思ったし」

「わ、私にとっては重要なことなの! 誰にも言ってない秘密だし!」

「誰にも言ってないんだ? じゃあ、明日皆に言いふらしちゃおっかなー」

「むむむ……」


 別にいいけど。ちょっと皆から馬鹿にされるくらい、どうってことないし。

 いいけど。いいんだけど、恨みはする。


「じょーだん。そんな顔すんなって」

「別に、いいって思ってたし」

「思ってたらそんな顔しないでしょ。……私が好きな場所教えたから、小日向も秘密、教えてくれたんでしょ。それで小日向の秘密言いふらしたら、私最低じゃん」

「今も最低だけどね」

「なんで?」

「私のこと、舐めてるし。馬鹿にしてるし」

「愛情込めて接してるんだけどねー」


 今までのが愛情だとしたら、随分と歪んだ愛情だと思うけど。


「……誰にも言わないよ。だから小日向も、ここクラスの奴らに教えちゃ駄目だからね?」

「最初からそのつもりだし。国光と違って」

「うわ、根に持つねー。しゃあない。高い高いしたげるから、機嫌直しな」

「そ、そんなんで直ってたまるかぁ!」

「いいからいいから!」

「ちょ、馬鹿! こっち来ないで!」


 私は本気で高い高いなんてしようとしている国光から離れる。

 ええい、狂っとんのか。勉強好きなのはおかしいと思わないけど、こういうところは絶対おかしいと思う。私をからかって遊ぼうとするなこの。


 しばらく私は彼女から逃げたけれど、結局足の長さが違うせいか、捕まって高い高いをされることになった。


 私に触れている間、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

 一方の私は、死んだ顔をするしかなかったけれど。

 国光のことを知れてよかったやら、悪かったやら。


 とりあえず、私を舐め腐っていることだけは絶対に許さない。

 いつか絶対吠え面かかせてやる。

 その時に許してくれって言ったって、もう遅いんだからな。

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