第15話
「私のものになりなよ、国光」
私は壁に手をやって、甘い声で囁いてみた。
意外と恥ずかしいな、これ。漫画の中のイケメンがやっていると違和感がないけれど、私がやると凄まじい違和感だ。
そもそも私と国光は身長差がありすぎるから、私が壁ドンしたってあんまりきゅんとしなさそう。
案の定国光は目を丸くするばかりで、どこからどう見てもきゅんってきてる感じじゃない。
「ふ、ふふふ……何それ。可愛いけど、あんまドキドキはしないかな」
でしょうね。
見た感じそうだもの。
知識はあっても、実際にドキドキさせられるってわけではないらしい。
「でも、ちょっとは参考になるかもね」
「……参考?」
「だって、小日向はこういうのでドキドキするってことでしょ?」
国光はそう言って、壁際からするりと抜け出した。
かと思えば今度は私が壁際に追いやられる。彼女の腕が、私の頭の横に押しあたられる。
私より大きな体が、すぐ近くまで迫ってきている。
確かにこれは、ドキドキするかもしれない。色んな意味で。
彼女は私に顔を近づけてくる。甘い匂いが仄かに香ってきて、鼓動が速くなるのを感じた。
改めて近くで見ると、やっぱり国光は顔がいい。
こんな真剣な顔で迫られたら、その辺の男子なんて簡単に堕ちてしまうんじゃないかと思う。
まあ。
私は女子だし、強いからこの程度で好きになったりはしない。当たり前だけど。
「恋の勉強も、ちゃんとしないと。ね、小日向」
彼女はそう言って、私の胸に手を置いてくる。
あまりにも自然な所作だったから、拒む暇がなかった。
どくん、どくん、と心臓の音が響く。普段は私一人にしか聞こえないその音が、今は手を伝って彼女にも聞こえている。
それはなんだか、私という人間の深い場所を他人である彼女に曝け出してしまったようで。
余計にドキドキ、するような。
「あはは、すごいドキドキしてる。ウブっていうか、なんていうか。可愛いよ」
「……っ」
耳元で可愛いなんて囁かれると、心臓が破裂しそうになるからやめてほしい。
国光に言われても、嫌味に感じるし。
でも。
顔色を見れば、本気で言っているのがわかるから、いつもみたいに反発することもできない。
「ね。このままキスしたら、どうなっちゃうだろうね?」
「どうって……」
「もっとドキドキするかな? それとも、私相手じゃノーカンだから、何も感じない?」
国光の声は、ちょっとだけ震えている。
慣れないことをしているから、恥ずかしいのかもしれない。私はそっと、彼女の胸に手を置いた。
柔らかさと、生命の温かさ。
それを感じた後に、鼓動が伝わってくる。
私と同じくらい、いや、それ以上に速い鼓動は、彼女のどうしようもない本心を伝えてくれる。
「国光」
「なあに、小日向」
「勉強の再開は、いいの?」
私の心臓も、国光の心臓も、あまりにもどくどくうるさい。こんな状況でキスなんてしたら、恋しているんだと勘違いしてしまいそうだ。
吊り橋効果、的な感じで。
私と国光はただ、恋人らしいことをしたいというだけなのだ。本物の恋人になりたいわけではない。
そもそもこの関係がいつ終わるのかわからないのだし。
「……あはは、そうだね。小日向は、お馬鹿さんだもんね。ちゃんと勉強しないと、今度も赤点だろうし」
「私を無理やり連れてきたのは国光だからね。ちゃんと面倒見てくれないと駄目だから」
「やっぱ犬じゃん。捨て犬だ」
「捨てられてないし、犬でもないし! いいから早く勉強しよう!」
「さっきまであんなに勉強嫌がってたのに。そんなにキスするの嫌?」
「む」
食い下がってくるなぁ。
別に嫌ではないけれど、国光とキスするのが好きですー、とも言えないと思う。
というかなんでこんな真剣な顔で見てくるんだろう。
「別に嫌じゃないけど、今しなくてもいいじゃん。何、国光は私とキスしたいの?」
「うん、キスしたい。今すぐ、ここで。だって私、小日向とのキス、好きだから」
「え」
予想外のセリフに、私は固まった。
よくもまあ私とのキスが好きなんて恥ずかしいことを平然と言えるものだ。私には真似できない。
その言葉嘘偽りはないんだって顔を見ればわかるから困る。
え、ちょっと。どの辺が好きなの?
もしかして私、キスの才能があるとか?
いやいや。だとしても、今キスするのは駄目でしょ。でも、強く迫られたら断るってほどじゃない気も——
「ぷっ」
真剣な顔をしていたはずの国光が、笑い出す。
私は目を瞬かせた。
「嘘嘘。じょーだん。小日向の反応が面白いから、ついからかっちゃった」
「な……!」
人の顔を見れば大体その人が本気かそうでないかわかる。
それが私の密かな長所だったのだが。国光の演技力は私の観察力を上回っているらしい。
これじゃ国光の言葉についてあれこれ考えていた私が馬鹿みたいじゃないか。
私は国光の胸を押した。
「べ、別にわかってたし! 国光は私とのキスが別に好きでもなんでもないってくらい!」
「あはは、どうだろうね? そっちは嘘じゃないかもよ。今キスしたいってのは冗談だけど」
「……そういうのいいから。ほら、早く教えて。そのためにここ連れてきたんでしょ」
「はいはい。小日向はほんと、可愛いね」
「うるさいし」
国光に可愛いなんて言われても全く嬉しくない。
別に国光に言われなくても自分が可愛いことくらい知ってるし。いつも可愛くいるために努力しているんだから、これで可愛くなかったら困るし。
どっと疲れが出てきた私は、その後の勉強であまり集中することができなかった。
だけど国光の教え方が結構うまいものだから、一人で勉強するよりは効率良く勉強できたような気がした。
将来は教師にでもなればいいと思う。国光が先生なら、授業も退屈じゃなさそうだし。
でも素直に褒める気にはならなかったから、私は結局教えてくれたお礼だけを言って勉強会を終えた。
国光の家は結構裕福みたいだから、客用の寝室もあるみたいだった。
家に遊びに来る友達が結構多いのか、部屋はよく掃除されていて、埃は少しもなかった。
なんとなく、掃除しているのは国光なのかなーって思う。意外に几帳面だし、女子力高い感じするし。
「……はぁ」
夕飯とお風呂をいただいた私は、彼女に借りたパジャマに身を包んでいた。
家ごとに洗剤とか柔軟剤の匂いも違うから、ちょっと新鮮でいいなと思う。国光から甘い匂いがする一因は、柔軟剤にあるに違いない。
私は国光と違って変態じゃないから、鼻を鳴らして嗅いだりはしないけれど。
私は敷かれた布団に横になって、目を瞑った。
まだ寝るには早い時間だけど、今日は疲れたからよく眠れそうだ。
莉果にも感心されたけれど、私は誰の家でも、どんな寝具でもぐっすり眠れるのだ。そこが自慢でもあるんだけど、国光にそれを言ったら「鈍感なだけでしょ」とでも返されそうだ。
「国光の馬鹿」
想像の中の国光に怒ったって仕方ない。
私はため息をついてから、大人しく眠ることにした。
……。
…………。
したん、だけど。
眠れない。
国光の好きなものをもっと好きにならないと、と思ってコーヒーを何杯も飲んだせいだろう。
目が冴える。疲れているのに、眠れない。
コーヒーなんて嫌いだ。
ついでに国光も嫌いだ。そもそも国光が甘いもの好きなら、私がこうして眠れなくなることもなかったのに。
八つ当たりのように思っていると、不意に扉が開く音が聞こえた。
「小日向ー、って、寝てるんだ。んー……」
どうやら、国光が扉を開けたらしい。
今日はもう国光には惑わされないと心に誓った私は、彼女を無視して眠っているふりをした。
床の軋む音がする。
国光が近づいてきているらしい。
薄目を開けると、国光が布団に入ってきているのが見えた。
微かな物音。教室にいるときは椅子がガタガタ音を立てていても気にならないのに、静かな場所だとちょっとの物音が気になるのはなぜなんだろう。
布団と服が擦れる音を聞いているだけなのに、ドキドキしてしまう。
こういうシチュエーション、漫画で見たことある。一緒の部屋に泊まって、片方が我慢できなくなって夜這いする、みたいな。
いやいや、夜這いって。
あはは、ないない。
国光がそんなことするわけないじゃん。
「……っ!?」
するわけない、と思っていたのに。
服の下から国光のあったかい手が滑り込んできて、私の下着に触れてきた。
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