第22話

 前髪が妙に気になるのは、恋人とのデートだからだと思う。

 友達とのお出かけでここまで色々気にしたことはなかった。今日は朝から何だかそわそわして、前髪が気になって、いつもより張り切りすぎている。


 服もいつもより気合いを入れて選んだし、この暑い日にわざわざ厚底ブーツを履いてきた。


 全てはデートを最大限楽しむためである。

 昨日からあれこれ考えていたせいでやや寝不足ではあるものの、それはそれってやつだ。


「小日向!」


 しばらく手鏡と格闘していると、国光はようやく現れる。

 国光にしては珍しく、五分ほど遅刻してきている。私は待ち合わせの三十分前には来ていたから、結構待ったことになる。


 人を待つのは嫌いじゃないから、別にいいけど。

 お出かけのために色々準備するのも、今日はどんな格好で来るのかな、とか想像して待つのも好きなのだ。

 それだけで楽しいし。


「ごめん、ね。準備に、時間かかって」


 汗をかいているところを見るに、駅から走ってきたのだろう。

 私はハンカチを取り出して、彼女の額から流れる汗を拭いてあげた。


「そんなに急がなくてもよかったのに。私、待つの得意だから。間に合わないってなったらゆっくり来ていいよ。デート前に疲れちゃったら一日楽しめないでしょ」

「それは、駄目。流石に、悪い、し」


 国光は息を切らしている。

 こんな国光を見るのは初めてだ。


 それだけ彼女も今日のデートを楽しみにしてくれていたんだろうか。だとしたらちょっと嬉しい。


「はぁ……ふぅ。小日向、今日の格好、可愛いね」

「ふっふっふ。でしょでしょ。国光も似合ってる。綺麗だよ」


 白のブラウスは、彼女らしい清涼感というか、そういうのがあると思う。私と違って気合いは入れてなさそうだけど、それがかえって洗練された印象を与えてくる。


 本当にオシャレな人は、どんな時でも気合いを入れたりなんてしないのかもしれない。


 そう考えると、私もまだまだかな。

 でも、デート相手に褒められたらそれでもう合格。万事オッケーだ。


「じゃあ、行こう! ほら、腕腕」

「私、結構汗かいてるけど」

「今日は許したげる。ていうか、恋人デートなんだから、腕くらい組まないと嘘でしょ」

「……いいけどね」


 私は国光と腕を組んで歩き始めた。

 今日の目的は、恋人らしいデートをすることだった。お家デートも初デートもイマイチな感じで終わったから、いい加減ちゃんとしたデートをしたい。


 そう思ったのがつい数日前。

 思い立ったが吉日、と言いたいところだったけれど、ここ最近は彼女に勉強をさせられていたから、そんな時間もなかったのだ。


 しかし昨日勉強が一段落したということで、ようやく今日こうしてデートする運位になったのだ。


 長かった。

 とても、とても。


 そりゃあもう非常に長かったとも。地獄の勉強サイクルを乗り越えた私にはもう、怖いものなど何もない。


 全力で楽しんで、楽しませてやるとも。

 私は気合いを入れた。

 入れたん、だけど。


「……もしかして、私たちってすごい浮かれた感じに見えてる?」


 歩き出して数分。

 観光地だからそれなりに人はいるけれど、周りに腕を組みながら歩いているカップルは一組もいなかった。


 そりゃあ、まあ、そうか。

 だって今日の最高気温は三十五度。腕なんて組んでいたら汗だらだらになって脱水症状で死ぬかもしれないもんね。


 ふむ。

 なるほどなるほど。

 ……完全にミスった。春のうちだったら、腕くらいいくらでも組めたのに。


「まあ、そうかもね。腕なんて組んでるの、私たちだけだし」

「む、むむ。離して歩くのは——」

「駄目だよ。自分の行動には責任を持たなきゃ、ね」

「国光は嫌じゃないの? 変な目で見られそうだけど」

「私は別に。見せつけちゃえばいいよ。私たちはこんなに仲がいいんですー、って」

「……そうかなぁ」


 仲がいい、かぁ。

 偽の恋人になったばかりの時、国光は私にとって三番目の友達だった。でも彼女について色々知って、長い時間を一緒に過ごすうちに、前より仲良くなった気がする。


 今更何番目がどうのとか言うつもりはないけれど、国光と一緒に過ごす時間は悪くない。


 退屈はしないし。

 好きかと聞かれると、わかんないけど。


 国光が私を馬鹿にしたり余計なことさえ言わなければ、普通に好きだと断言できるんだけどなぁ。


 今日は私の番だ。私が国光を驚かせて、困惑させてやる。

 そう決めていたのだが。


「そうだよ。そもそも、今日は恋人らしいデートをするんでしょ? バカップルを演じるくらいでいいんだよ。ほら、小日向。最初はどこに行くの?」

「えっとね——」


 デートのプランは私が考えてきた。

 正直私と国光は趣味が違うし、国光がどんな場所が好きなのかはまだよく知らない。でも勉強が好きなのは知っているから、今日はちょっとした勉強になるようなところをセレクトしたつもりだ。


 覚悟しろ国光。

 私とのデートが楽しかったですと別れ際に言わせてやる。





 デートプランは、簡単に言えば神社やお寺巡りだ。

 あんまり高校生のデートっぽくはないかもしれないけれど、私と国光のデートとしてはそんなに間違った選択ではないと思う。


 今日は私ではなく国光を楽しませるのが目的だ。

 国光が楽しかったら私も楽しいと思うんだけど、どうだろう。

 最初の神社に着いた私は、ちらと彼女の様子を窺った。


「昔の建物って、なんかいいよね。歴史を感じるし、大事にされてきたんだなって感じするし」


 国光は鳥居を見ながら言う。

 どうやら、楽しんでくれているらしい。彼女は少し弾んだ足取りだった。


「わかる。人の歴史とか思いを感じるよねー」


 国光は、途端に微妙な顔をした。

 なんだなんだ。

 私、変なこと言った?


「何?」

「いや、小日向にもそういうのを理解する心、あったんだと思って」

「は?」

「あはは、冗談冗談。怒っちゃやだよ」

「怒られたくないんだったら余計なことを言わないでくれませんかね……!」


 一分に一回は馬鹿にされている気がするんですけど。

 やっぱり今日のデート、国光なんて無視して私が好きな場所選べばよかったかな。


 私はちょっと後悔しながら、彼女と一緒にお参りをした。

 作法なんて私は知らなかったけれど、国光はちゃんと知っているみたいで、慣れた感じでお参りをしていた。


 私はそれをどうにかこうにか真似て、なんとかお参りを済ませた。

 ちらと横を見てみると、彼女はまだ目を瞑っていた。そんなに願うことがあるんだろうかと思うけど、国光ならあるんだろうなぁ。


 その真剣な顔に、少し見惚れる。

 やっぱり国光は顔というか、表情が綺麗だと思う。


「行こっか」


 願い事を済ませたらしい国光は最後に一度会釈をしてから言った。

 私も会釈して、国光と一緒に歩き始める。


「国光、何お願いしたの?」

「ん? んー……。小日向の頭が良くなりますようにって」

「まさかの神頼み!? 私、そんな頭悪くないんですけど!」

「……。あはは、そだねー」

「何、今の間は」


 神様じゃないとどうにもならないくらい頭が悪かったら、今日デートできるくらい勉強に余裕ができるはずがないのに。


 というか、これは完全に私をからかって楽しんでるな。

 意地が悪い。


「まあ、それは冗談だけど。こういう願いって、人に言ったら駄目って聞くし。内緒で」

「えー。国光なら願いくらい自分で叶えられるじゃん。神様が叶えてくれなくなってもいいから、教えてよ」

「……ふふ。確かに、そうかもね。うん、そうだね。ほんとはねー、小日向とできるだけ長く、こうしていられますようにって願った」

「……うぇ?」


 国光は、にこりと笑う。

 完全に予想外の答え。国光のことだから、私で楽しく遊べますように、とか願っているものだとばかり。


「だから。小日向とこうやって、楽しく過ごせたらいいなって話。……神様はもう願い、叶えてくれないかもだけど。小日向は叶えてくれるよね?」


 国光はそう言って、笑った。

 できるだけ長く一緒にいる。それくらいなら、簡単に叶えられるけど。


 だけど、ずっと一緒にとは言わないんだ。

 少しだけ引っかかって、ほんの少しピリッとくるものがあって、でも。


「叶えるよ。国光があんまり変なことしなければ」

「変なことって? 今までしたことないから大丈夫でしょ」

「お腹舐めた。いきなりキスした。これが変じゃなかったらなんなの?」

「……あはは、次行こっか」

「あ、誤魔化した。ちょっと、国光!」


 国光に腕を引っ張られる。

 相変わらず彼女は、楽しそうにしていた。


 国光と一緒にいると、いつも疲れる。感情が上下左右に動いて、疲弊していくのだ。


 いや、左右には動かないかもだけど。

 うーん。

 やっぱ、国光の願いは叶えないほうがいいのかもしれない。

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