第21話

 日が沈んだ後の街は、独特の寂しさで満ちているような感じがする。

 わけもなく楽しくなるのは夏の日差しのせいで、それがなくなった後に残るのは、冬より寂しい静寂だ。


 昼夜を問わず冬は寒くて寂しい。

 だけど夏は昼間が楽しくてワクワクする分、夜の寂しさがより際立つのだ。


 まあ、私の場合夜なんて漫画読んで寝るだけだから、言うほど寂しくはないんだけど。


 でも夏のいいところは、夜でも結構イベントがあったりするところだ。祭りなんてその最たるものだと思う。


「なんか今日、人多いね」


 私は階段を登りながら言った。

 前に国光に教えてもらった秘密の場所に続く階段には、多くの人の姿が見える。


 ご褒美っていうのはキラキラした夜景のことなのか、私は彼女にここまで連れてこられていた。


 相変わらず長い階段だけど、勉強が終わった解放感でハイになっている私の敵ではない。


「ま、そうね。周りの人の話、聞いちゃ駄目だよ。つまらなくなっちゃうから」

「どういうこと?」

「いいから。私の声にだけ、耳を傾けてなよ」


 ざわめきの中で、彼女の声が鮮明に響く。

 耳を傾けろと言われると、その通りにしてしまうのが私のサガってやつで。私は彼女に意識を集中させた。


「小日向は、夏休みにしたいこと、ある?」

「んー……涼しい部屋で漫画読んだりとか?」

「うわ、怠惰だ。もっと色々あるでしょ」

「あるけど……まだ国光から返してもらった漫画、読めてないし」

「まだ読んでないんだ。……ふーん。せっかくだし、卒業するまで読まずにいれば?」

「何がせっかくなの!? やだよ、楽しみにしてたんだから」

「そっか。まあ、うん。いいんだけど」


 国光は変な顔をしている。

 私が漫画を読んだら不都合なのか。いや、まあ、勉強もせずにぐーたら漫画を読もうとしているのを見れば、こんな顔にもなるか。

 国光は真面目ではないけれど、勉学への意欲はすごいからなぁ。


「……国光って、将来何になるとか決まってるの?」

「え?」

「ほら、せっかく勉強が好きなんだから、学者さんになるとか」

「あはは、それすごい馬鹿っぽい発想だよ」

「むむ……!」


 落ち着け、私。

 国光が私のことを舐め腐っているのなんていつものことだ。これから存分に私の素晴らしさを味わわせて、態度を改めてもらうと決めたのだ。


 いつか絶対心望様が神様ですと言わせてやる。

 跪かせて靴でも磨かせてやるからな。


「……まあ、あれかな。人を楽しませる職業とか、いいかもね。応援しなよ、小日向」

「しなよ、じゃなくてしてよ、でしょ」

「恋人なら、夢を応援するのなんて当然だよね」


 それはそうかもだけど。

 でも、いつまで私たちが偽の恋人であるかなんてわからない。別にこの関係を解消しても友達なのは確かだから、夢の応援くらいするんだけど。


 もしや大学に入っても、大学を卒業しても偽の恋人関係を続けるつもりなんだろうか。


 それはちょっと困る。

 国光との関係を終わらせるまでは、恋人を作ることもできないし。

 今はそれでも、いいっちゃいいんだけど。


「それに、向いてるって言ったのは小日向じゃん。自分の発言には責任取らないと、ね」

「む、確かに」

「私も今まで言ったことの責任は、ちゃんと取るつもりだから」


 今まで言ったことって?

 うーん、どんなこと言われてきたっけ。小日向は馬鹿。むっつり。人見知り。頼り甲斐がない。


 ……おい、碌なこと言われてないぞ。なんだ、責任を取るって。一生私のことを馬鹿だと思い続けるってことなのか。


「別に、取らなくていいし」

「いきなり不機嫌になったね。どうしたの?」

「どうもしてない! ほら、さっさと頂上まで行くよ!」

「はいはい」


 跳ねるように階段を登っていく。話しながら結構登ってきたおかげか、すぐに頂上までたどり着いた。


 頂上には階段よりもっと人がたくさんいて、設置されているベンチも、柵の周りも完全に埋まっていた。


「あちゃー。もっと早く来ればよかったか」

「……今日、なんかあるの?」


 尋ねても、国光は笑うだけだった。

 何かを企んでいるのは確かだけど、笑い方がちょっと優しい感じだから、悪い企みではないんだろう。


 仕方ない、乗せられてやるか。

 サプライズか何かなら、最大限驚く態勢でいないとつまらないし。


 でも、暇だな。

 手持ち無沙汰で手遊びをしていると、彼女に手を握られた。


 指と指が絡んで、彼女の熱が伝わってくる。彼女はそのまま私の手をにぎにぎしながら、腕時計に目を落とした。

 私の手は腕時計未満か?


「そろそろかな」


 彼女はそう言って、その場にしゃがみ込んだ。

 かと思えば私の股の間に頭を突っ込もうとしてくる。


 ……。

 ……!?


「ちょっ、えっ、はぁ!?」

「暴れないで。変なことしないから」

「いやいやいや! 今十分変なことしてるでしょ! ちょ、変態!」

「人聞き悪いこと言わないで。ちょっと足の間に頭突っ込んだくらいで変態って言う方が変態なんだよ」

「流石にその理論は無理があると思いますけど!?」


 なんだなんだ。

 図書館でキスをしてみたり、いきなり変なところに頭を突っ込んできたり。国光は暑さで頭をやられているのか。


 私は必死に抵抗を続けたが、無駄だってことは十分わかっていた。

 こういう時の国光は基本止まらないし。


「時間ないから、抵抗しないで」

「じ、時間!? そんなに早くするものじゃないっていうか、ここでするのはおかしいっていうか……ていうかしないし!」

「何想像してるの、このむっつり。肩車するだけだから」

「へ?」


 かたぐるま。

 肩車?

 え、なんで?


「いくよ」


 混乱している間に、彼女は私に肩車をし始めた。

 今日、スカート履いてこなくてよかった。いつもは可愛いからスカートを履いているのだが、今日は国光がいきなり来たせいで着替えに時間をかけられなかったのが幸いした。


 途端に視界が開けて、人々の頭上が見えるようになる。

 やっぱり国光って、身長高いんだなぁって思う。

 私にも三分の一くらい……いや、半分くらい身長を分けてくれないだろうか。


「た、高っ! なになになんなの! 国光——」


 混乱していると、辺りにどん、という重い音が響き渡った。

 はっとして空を見上げると、光が瞬いた。

 花火だ。


 漆黒だった夜の空に黄色がかった白の光が走って、消えていく。かと思えば色とりどりの光の筋が四方八方に広がって、夜が彩られていった。


 昼と同じくらい、いや、昼よりも輝いて見える空に、釘付けになる。

 キラキラしている、と思った。


 前に見た夜の景色よりも。私が今までに見てきた、どんなキラキラよりも。花火が鮮やかに輝いて見えるのは、国光の頭の上にいるからかもしれない。


「……綺麗」


 ぽつりと呟くと、下にいる彼女が笑った気がした。


「でしょ。この場所ね。夏は花火が見えるから、結構人気だったりするんだよね」

「今日は、これを見せるために私を誘ったの?」

「ま、半分はね。もう半分は、お馬鹿すぎる小日向をどうにかするって目的があったからだけど」

「……む」


 国光は私を馬鹿にしないと気が済まないのだろうか。

 そう思うけれど、今はムカつかない。


 だって、半分だけでも、国光が私にこの景色を見せたいと思ってくれたのは事実だから。それは、とても嬉しいと思う。


 私の好きなことを覚えていて、私の喜ぶようなものを見せてくれた。

 国光が皆に人気な理由が、少しわかった気がする。


「それでもいいや。……えへへ」

「小日向?」

「キラキラだ。すっごく。今までで一番、キラキラだよ。ありがとう、国光」

「……どういたしまして」


 私はしばらく彼女に肩車されたまま花火を眺めていたけれど、ふと思いついて、肩から下ろしてもらう。


「私、まだ全然疲れてないけど」


 彼女はそう呟いた。

 国光の肩がちょっと心配だったのはあるけれど、下ろしてもらったのはそれだけが理由じゃない。


「肩の上で見るより、肩を並べて見たかったから」

「小日向の身長で見えるの?」

「人混みから離れたら、ちゃんと見えるよ。だから、隣で見させてよ」

「……いいけど」


 私は彼女に肩をくっつけた。

 身長差があるから肩と肩をくっつけることはできないけれど、体をくっつけることにきっと意味がある。

 何を言われても、今はこうしていたい気分だった。


「国光」


 花火の音が遠い。

 夜の闇を切り裂く光の筋は、どこか国光に似ているようにも見えて。


 だから国光もキラキラしているのかもしれないなんて、そんなことを思う。

 やっぱり私は、お子ちゃまかもしれない。


「何?」

「ふふ、やっぱなんでもない!」


 私はそう言って笑った。

 私がどんな笑顔を浮かべていたのかはわからないけれど、国光は私の顔を見て、今までにないくらい変な顔をした。


 呆けているというか、なんというか。

 いや、どういう感情?

 わからなかったけれど、いっかと思う。


 感謝の気持ちとか、やっぱり好きかもって気持ちとか。色々全部を言葉じゃなくて、笑顔に乗せることにした。


 私の言葉は多分、簡単すぎて色んな思いを伝えるには弱すぎるから。

 だから一番得意な笑顔で全部伝えようと思ったんだけど、伝わってなさそう。

 それも私たちらしいのかも。


 明日になったら私は国光のことをやっぱ好きじゃないってなったり、ムカついたりもするんだろう。


 でも、本気で彼女のことを嫌う日なんてくるはずない。

 私はそう思いながら、弾ける花火を見上げた。

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