第24話
私は小学生の頃、かなりの悪戯っ子だった。
あの頃、学校でした悪いことは先生から親に連絡されるシステムだった。
しかし連絡してくる時間はその先生によってまちまちだから、悪戯した日は学校から帰ってきたらソワソワしたものだ。
いつ連絡されるかわからないし、連絡がきた後は絶対怒られていたし。
……ちょうど今、私はそんな気分を味わっている。
「うわ、これエロ本じゃん。こんなの読んでるの?」
国光は私のベッドに寝転がりながら言う。
うちの親の適応力はいっそ見習いたいくらいだ。いきなり泊まることになった国光を丁重にもてなしていたし、打ち解けるのも早かった。
国光がすごいのか、親の方がすごいのかはわからないけれど。多分両方だろう。
そんなこんなでお風呂に入り、夕飯も食べ終わった私たちは部屋に戻り、こうしてくつろいでいるのだ。
と言っても、くつろいでいるのは国光だけだ。
私はいつ無茶振りをされるかとビクビクしているせいで全くリラックスできていない。
ここ、本当に私の部屋だよね。
なんで国光の方が慣れた感じでだらけているんだ。
「過激な描写はあるけど、少女漫画だから。エロ本じゃないし。作者に謝りなよ」
「こういうの読んでるから、小日向はむっつりなんだねぇ」
しみじみと言うな、この。
私はむっつりなんじゃなくて、思春期の女の子としてそれなりにそういうことに興味があるだけなのだ。
というか人の本棚を勝手に漁るんじゃない。
ついでに私のぬいぐるみを枕にするな。
ペンギンが潰れて凄まじい顰めっ面になっているではないか。元に戻らなかったらどうしてくれる。
「……小日向ってさ。俺様系がタイプなの?」
「漫画として読むならね。破天荒なキャラの方が、色々事件があって面白いじゃん」
「破天荒の意味違うと思うけど。……まあ、そうかもね。実際いたらうざいだろうけど、物語の中でならね」
どちらかといえば、国光は俺様系に近いのではないか。
いきなりキスしてきたりするし、人をからかうのが好きだし。
俺様系をうざいと思うのは、同族嫌悪なのかもしれない。
「何、その顔。何か失礼なこと考えてない?」
「別にー。国光も大概じゃんとか、思ってないし」
「私、こんな押せ押せじゃないでしょ。俺のものになれよ、とか言わないし」
「似たようなものだと思うけど」
「ふーん? じゃ、俺様系らしく小日向に迫っちゃおっかな」
彼女は漫画を置いて、ゆらりと立ち上がる。
おいおい、待て待て。
私は別に俺様系が好きなわけじゃなくて、ただ物語的にそういうキャラがいた方が起伏が生まれていいっていうか、主人公が俺様系に押される様が見たいっていうかなんていうか。
とにかく、私が迫られたいわけじゃくて。
「痛っ……」
彼女から逃げようと後ずさると、踵が痛んだ。
思ったよりも靴擦れがひどくて、踵は真っ赤になってしまっている。安静にしていれば治ると思うけれど、しばらくは痛むだろう。
やだなぁ、と思っていると、国光と目が合った。
「大丈夫? 見せて」
国光は私に駆け寄って、手で足を持ち上げてくる。
くすぐったい。
思えば他人に足を触られるのなんて初めてかもしれない。
恥ずかしくてくすぐったくて、顔が熱くなるような感じがする。
「あーあ。すごい赤くなってるじゃん。すぐ言ってくれれば、ここまでならなかったのに」
「だって……。っ!?」
踵に生暖かいものが触れるのを感じて、私は体を跳ねさせた。
子猫のように舌を出した彼女は、それが当然であるかのように私の踵を舐めている。
ちょ、待っ、え。
「な、何してんの変態!」
「傷って、舐めると早く治るって言うし」
私よりよっぽど知識があるはずの国光は、平然と間違った知識を披露してくださる。というか本当に唐突すぎる。
「やっ、汚いから駄目だって!」
「大丈夫。さっき歯、磨いたから」
「そっちじゃなくて、私の足の方が!」
「それも大丈夫。小日向の体に、汚いところなんてないよ」
いや、そんなこと足舐められながら言われても困るのですが。
というか、汚いところがないわけなかろう。人間なんだし。国光は一体私のことをなんだと思って——
「だ、だから舐めるのやめて!」
「やめないよ。だって、私のせいじゃん。私が小日向にもっと信用されてたら、小日向はちゃんと足が痛いって早く言ってくれてただろうし、そしたら怪我なんてしてなかった」
「それはっ……!」
それなら消毒液とかかけてくれないだろうか。あんまりぺろぺろされても、犬じゃないんだからってなる。
そもそも国光は恥ずかしくないのか。
……恥ずかしくないか。だって国光だし。堂々としているところには密かな憧れを抱いているけれど、国光は堂々しているっていうか恥という感情がないだけかもしれない。
もういいや。
舐めたいなら好きに舐めればいい。
「もう、いい。ベッドで寝るから、好きに舐めればいいじゃん」
私は投げやりにそう言って、ベッドに寝転がった。
国光は私を追ってベッドに乗ってくるけれど、舐めてくる気配はない。もう満足したんだろうかと思っていると、今度は私の上に乗っかってきた。
国光は私を見下ろして、そのまま耳に触れてくる。
「小日向は私のこと、どう思ってる?」
「どうって……」
「どこまで信用してて、どこまでが駄目?」
国光の指が、滑る。耳から下へ下へと進んできた指は、そのまま私の胸に触れてきた。
ぴくり、と体が動く。
服越しでも、やっぱり体に触れられるとくすぐったい。
「ここを触るくらいなら、大丈夫?」
別に、服の上から触られるくらいどうってことない。
でも、どうしてか言葉が出なかった。
「じゃあ、ここ」
彼女の指が、お腹に触れる。
「……ここは?」
おへそからさらに、下へ。ふざけて触らせることもないであろう場所に指が伸びてくると、流石に体が強張った。
でもその強張りは、多分嫌だからじゃなくて。
戸惑いによるものが大きいと思う。
本当に今、触ってしまうのか。触られたらどうなってしまうのか。私たちの関係は? 私の心は? 国光の、今の気持ちは?
ぐるぐると巡る思考が、私の体を固くしていく。
だけど、拒否感はなかった。
触らないでと言えば、国光はきっと終わらせてくれる。そういうところは、多分信用しているんだと思う。でも私の口は熱い吐息を漏らすだけで、言葉を出そうとはしない。
それがどうしてかは、わからない。
「……じゃあ。これなら、どう?」
彼女の指は、上へと戻ってくる。
パジャマのボタンの上で止まった指は、くるりとその輪郭をなぞってから、やがてボタンを外し始める。
音もなく、ゆっくりと。
クーラーの風が涼しくて、お腹が冷えていく。でも冷えるのはお腹だけじゃなくて、徐々に徐々に胸まで冷えていく。
だけど頭に上った熱だけはどうしても引いていく気配がない。だから私は多分、今。顔を真っ赤にして彼女を見ているんだと思う。
「これでも、嫌じゃないの?」
国光はそう言って、下着から手を滑らせて直接私の胸を触ってくる。
ちょっとだけ汗をかいた彼女の掌の感触が、くすぐったい。
くすぐったいけれど、嫌じゃない。
私は自分でも驚くほどに、国光を受け入れている。
わからない。私は他者をここまで自分に触れさせて平気な人間だっただろうか。こんなに触られて、嫌と言えない人間ではない。
でも、でも、でも。
嫌じゃ、ない。
当惑する。驚愕する。自分の心に、今の状況に。私はもしかすると、最後まで彼女を受け入れてもいいとすら思っているのだろうか。
ノーカンじゃない。
確実にゼロから一にカウントされてしまうであろうその行為を、彼女となら。してもいいとすら思っている?
……わからない。
でも、そうだとしたら、どうして?
「小日向。止めないと駄目だよ。止めないなら。してもいいなら、私。何するか——」
とん、とん、とん。
誰かが廊下を歩いてくる音が聞こえる。私は咄嗟に布団を深くかぶって、国光ごとその中に引き摺り込んだ。
「心望……って、寝てるのか。電気くらいちゃんと消しなさいよ」
ばちん、と電気が消される音がした。
暗闇の中では、国光の瞳を見ることはできない。
だけどその息遣いは確かに感じられて、ちゃんと目の前にいるんだってわかる。
目の前に感じていた彼女の吐息が、段々と近づいてくる。いつもみたいにキスされると思ったら、そのまま彼女の吐息が、耳元で感じられるようになった。
「ねえ、小日向。小日向のこと、名前で呼んでもいい?」
ぽそりと、彼女は呟く。
思わぬ言葉。
今言うことじゃない気がするけれど、でも嫌じゃない。嫌じゃないから、私は頷いた。
「いい、よ」
「じゃあ、心望。私のことも、名前で呼んで」
彼女が私の名前を呼ぶ声は、どこか幼い。
私は小さく口を開いた。
「瑠璃」
「……うん」
それ以上、私たちは何かを口にすることはなかった。
だけど私たちの距離が今までよりも近づいたことだけは確かだった。
そして。
私は今日、自分が思っている以上に国光——瑠璃のことを受け入れていることを知った。
そう簡単に触れさせてはいけない場所を彼女に触れられるのが、嫌でないということも。
それが何を意味するのかは、今の私にはまだ、わからなかった。
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