第30話

 制服は日常の象徴で、それを脱ぐタイミングのは体育の前か、家で部屋着に着替えるときくらいだ。


 人の家で脱ぐことなんてほとんどなくて、まして人に脱がされることなんてない。


 だけど今、私は瑠璃に制服を脱がされている。ブラウスのボタンを一つ一つ外されていくと、前がスースーする。


 暖房がかかっているおかげで寒いということはないけれど、日常の象徴である制服を剥がされていくと、少し不安になる気がする。


 スカートまで下ろされると、もう駄目だ。

 羞恥とか不安とか、期待とか。

 そういうものがごちゃ混ぜになって、頭がどうにかなってしまいそうだった。


「下着、可愛いね」


 囁くように、彼女は言う。

 やっぱり変態だ、と思う。この状況で下着の可愛さを褒められたって、嬉しい気持ちより恥ずかしい気持ちが勝るだけだ。

 顔が熱くなるのを感じる。


「へん、たい」

「触らせてくれるって言ったのは、心望だよ。心望も変態だね」


 だね、じゃない。

 別に私は瑠璃みたいにいやらしい気持ちをもって触らせるなんて言ったわけでもない。ただちょっと混乱して、当惑して、いつの間にか言葉が出てしまっただけで。


 瑠璃は慣れた様子で私の太ももに触れてくる。

 まるで、自分の体に触っているかのような無遠慮さだ。私の体は私のものなのに。


「それに、心望が読んでた漫画でこういうセリフ、出てきたじゃん。変態って思いながら読んでたの?」

「違う、けど」


 漫画は漫画、現実は現実だ。

 確かにそういうシーンを読んできゅんとしていたのは確かだ。感情移入だってしていたと思う。


 でも、実際同じような状況になると、きゅんとくるより恥ずかしさが勝る。

 そう、恥ずかしいのだ。見られるのも、褒められるのも、触られるのも。


 同性の友達に見られて恥ずかしいと思うのは、初めてかもしれない。さっき莉果たちに触られた時も別に、恥ずかしくもなんともなかったのに。


 やっぱり、違う。

 何もかもが違って、私が私じゃなくなるような感じがする。今までの私が崩れて、別の私に変わる。


 その温かな掌が私の肌に触れるだけで。

 彼女の細い指先が、表皮の上を滑るだけで。

 私も知らない私が顔を覗かせて、止まらなくなる。


「嬉しくないの? ……それなら、なんて言われたら嬉しいか教えて?」


 彼女は私に触れながら言う。

 太ももからお腹へ。


 お腹から、もっと上へ。瑠璃以外に触れさせたことのない場所にまた触れられると、ピリピリした。


 いつになく楽しそうにしている彼女の顔が目に入る。

 笑顔は瑠璃のものが一番だ、なんて考えていたけれど、今はそうは思えない。ちょっと憎いようにも思える。


 どうしてこんなに、人に触れるのに慣れているのだろう。

 少なくとも私は笑顔で瑠璃に触れることなんてできないと思う。


 最初に偽の恋人になろうと提案してきた時も平然とキスしてきたし、そういうのに慣れているのかもしれない。

 彼氏、いないって言ってたのに。


「……ねえ。莉果たちとはいつも、ああいうことしてるの?」


 何も言えないでいると、瑠璃が耳元で囁いてきた。


「して、ない」

「本当に? 心望が気づいていないだけで、変なことされたりとかしてない? ……こことか、さりげなく触られたりとか」


 手が下着の中に滑り込んでくる。

 そんなところ、さりげなく触られてたまるかと思う。

 犬だってそこに触られたら気づく。


「どんな理由があったのか知らないけどさ。心望が他の人に体触らせたの、やっぱり楽しくないよ。私がいるのに」

「それは……」

「言い訳は聞かないよ。触らせたのは事実だから。……ね、心望。声出してみてよ」


 正気を疑うようなことを、彼女は言う。

 さっきは声を出さなきゃ大丈夫とか言ってたのに。


 この家に来た時、私は彼女のお母さんに挨拶をした。だから私がいることを彼女のお母さんは知っているし、変な声なんて出せるわけもない。


「私にしか聞かせないような声を聞かせてよ。せっかく触ってるんだから」


 彼女はそう言って、私の体を弄っていく。

 もしかしたら。


 彼氏はいたことないけれど、彼女はいたことがあるのかもしれない。そうじゃなきゃおかしいってくらいに、彼女の手つきは慣れている。


 ピリピリする。

 背中がチリチリする。


 気持ちいい感覚と嫌な感覚が交互に体にやってきて、感情の処理がうまくいかなくなる。


 友達の恋人の話を聞くのは、好きだ。私も一緒になってきゅんとすることができるから。


 でも、もし瑠璃に恋人が他にいるのだとしたら、その人の話は聞きたくないと思う。

 その理由は。


「や、だ。やっぱだめ、触んないで」

「なんで?」

「変、だから」

「何も変じゃないよ。むしろ恋人なら、これくらい普通だよ」

「そうじゃなくて……」


 恋人同士なら、体くらい触るかもしれない。

 だけど彼女に触れられた私はどう考えても変になっている。いつもと違う。これまでと違いすぎる。


 私らしさがどんどん失われていくような感じがする。

 混ざり合った良い感情と悪い感情がぐるりと体の中を渦巻いて、私だと信じていたものを洗い流してしまうような。


 これ以上触られたら。

 ピリピリのその先にいってしまったら、きっと。


「大丈夫。私に全部、任せてくれれば」

「んっ……」


 体が震えるのはなぜなのか。

 嫌じゃないのに、嫌なのはどうしてなのか。


 わからない。わからないものは、わからないままにしたい。でも、もっと触られたい。触られたくない。触られたら彼女の影に潜む誰かを感じてしまいそうになるから。


 でも、でも。

 駄目だ。

 もう、私は。


「や、やっぱり駄目!」


 爆発した私は、思わず彼女の胸を押してしまう。

 嫌な感触が手に伝わってきた、ような気がした。

 はっとして爪を見ると、マニキュアが盛大によれてしまっていた。


「わ、私の爪ぇ! あああぁ……!」

「……ぷっ。あはは、もう。何してるの、心望」

「だ、だってぇ! る、瑠璃ぃ! 塗り直してぇ……」

「……しょうがないなぁ。ほんとに心望は、変わらないんだから」


 彼女は呆れたように言ってから、机をまたごそごそと漁る。

 私はせっかくのマニキュアがよれてしまったことに絶望しながら、いつの間にか崩れていた姿勢を元に戻した。


 私たちを渦巻いていた妙な雰囲気はもう無くなっていて、自分が自分じゃなくなるような感覚ももうなかった。


 私はそれに安堵すると同時に、どこか物足りなさも感じていた。

 あの感覚を、まだ味わっていたかった?

 いや、でも。


 あのまま触られていたら多分、変なことになっていた。具体的にどんなことになったかなんて、わからないけれど。


「去年さ。私たちが友達になったきっかけ、覚えてる?」

「えっと……なんだっけ?」

「やっぱ忘れてるんだ。頭痛薬、くれたじゃん。あれだよ」

「そんなこと、あったっけ?」


 彼女は私の手に触れて、爪をいじり始める。

 他の場所に触れてきた時と違って、やらしい感じじゃない。


 それに安心する。

 でも、安心じゃない気持ちもあって。

 確かに私も、変態なのかもしれない。


「あった。それまでは私が話しかけてもしどろもどろだったし、私の友達に話しかけられたら逃げるみたいにすぐ話終わらせちゃうし。人見知りなんだなーって思ってたけど」

「……う」


 否定はできない。

 私はキラキラ女子に弱いのだ。なんか強そうだし、話合わなそうだし。強そうだし。オーラが違うし、何より強そうだし。


「なのに私が調子悪い時はすぐ気づいて、薬飲むかー、とか色々言ってくるし。それ見てさ。なんか、いいなーって思ったんだよね」

「……そうなんだ」


 私は人の顔色の変化にはよく気づく。

 だからその時も多分、瑠璃が具合悪そうだってすぐに気づいたんだろう。


「それ以来ちょっとずつ心を開いてくれるようになって、今はこうやって触らせてくれるまでになった。……なんか、遠いところまで来たって感じだよね」

「それは、そうかも」

「心望はずっと変わんないけど、私は心望のおかげで変わったよ。自分のこと、信じられるようになった」

「……そうなの?」

「うん。色んな悩みが、心望のおかげで無くなった。心望が私に、まっすぐ接してくれたおかげ」


 褒められると、ちょっとこそばゆい。

 でも、嬉しくもある。


 瑠璃が私のおかげで変わったということは、私の方が瑠璃より強いということになる。つまり私はキラキラ女子よりも強い。最強ということになるのではないか?


 いつもみたいにそう考えてみるけれど、なんだか楽しくない。

 瑠璃がどこか、遠い目をしているせいかもしれない。

 背中が、チリチリする。


「心望のおかげで、目標もできたし」

「それって……?」

「……私ね。卒業したら、県外の大学に行くことにしたんだ。まあ、合格できたら、なんだけど」

「……県外って、どれくらい離れたところ?」

「新幹線で行かないと駄目なくらいの、かな」

「……え」


 得意な気持ちが消える。

 突然の告白に、私は言葉を失った。

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