第4話
時が止まったような気がした。
苺の仄かな甘い香りと、彼女の匂いが漂う。
視界の端でふわりと動く栗色の髪を見ると、時の流れが元に戻るような感じがした。
「な、なな……」
「小日向、口の端っこにクリームついてた。お子ちゃま」
彼女は微かに白くなった舌を私に見せてくる。私をドキドキさせるためにわざとやっているんじゃないかと思うくらい、その仕草はこう、なんというか。
艶かしいというかえっちというか。
とにかく、なんかダメな感じの仕草だった。こんな二人っきりの部屋でやるようなものじゃない。
別に彼女のことを意識しているわけではないのに、心臓の鼓動が速くなる。
恋人。二人っきり。しかも、変な雰囲気。
いやいや、何を考えているんだ私は。
「それ、舐める前に言ってよ!」
「お子ちゃまって?」
「そっちじゃない! ついてるって言ってくれれば、自分で取った!」
「そうなんだ。てっきり自分じゃ取れないくらい子供なのかと」
「私のこと舐めすぎでしょ」
「二重の意味でね」
「……物理的に舐めたのは今のが初めてでしょ」
「今後舐めすぎってくらい舐めるかもだし。色々と」
「い、色々と……?」
色々とって、一体どこを舐めるつもりだ。
え、待って。もしかして本当にそういうつもりで部屋まで私を連れてきたとか?
流石にそこまでの心の準備はできていない。
「舐めてほしいところとか、ある? どこでもいいよ、舐めたげる」
趣旨が変わっている。そもそも今回は私が間抜けにクリームなんて顔にくっつけていたから舐めたっていうことじゃないのか。
クリームがついていないのに肌をなめられたら、それはもう色々とまずいわけで。舐める意味が変わるし、舐めさせるつもりなんてない。
いくら恋人同士でも、舐め合うとかそういうのはあんまりしないと思うし。というか私は莉果たちと話を合わせたいだけなのだから、そんなに過激なことをするつもりはない。
だというのに。
「それとも、私のこと舐めてみる?」
国光はにこりと笑った。
私からは何もしないなんて思っているんだろうか。
私たちは対等な関係だ。舐められたら舐め返す。キスされたらキスし返す。そういうものじゃないといけない。
大体私ばかり国光から色々されて、驚かされていては釣り合いが取れない。このままじゃ駄目だ。
舐められてばかりでは終われない。
というか、まだ何も始まっていないし。今後恋人らしいことをしていく中で、国光が上で私が下なんていう構図が出来上がるのはまずい。
私だってやる時はやるんだというところを、今ここで見せてやろう。
「後悔しないでよ。国光から言ったんだから」
「わお。本気でやるんだ。……いいけどねー」
国光は余裕な顔をして目を瞑る。
そうやって余裕かましていられるのも今のうちだ。こうなったらポメよろしく顔中舐め回すくらいの勢いでやってやるとも。
私は身を乗り出して、国光に顔を近づけていく。
その時、彼女の手が私の方に伸びてきたのを見て、私は咄嗟に身を引いた。そのせいで体がポットに当たって、お茶が溢れる。
「あっ」
ポットの保温性がかなり優れていたらしく、熱々のお茶が体にかかる。
やっぱり、裕福な家ってポットも高価なのを使ってるのかな。家のサイズ感も結構すごかったし。
家ってサイズ感とかそういう言葉使わないのかな。
スケール? 大きさ? なんて言えばいいんだろう。とりあえず、すごいとしか言いようがないのは確かだったけど。
「小日向!」
「え? ……あっつ!」
痛覚が遅れてやってくる。
家のスケールがどうだの考えている場合じゃなかった。
かなり熱い。下手すりゃ火傷するんじゃないかってくらい。あれ、こういう時ってどうするのが正解だっけ。脱ぐんだっけそのまま冷やすんだっけどうだっけ。
「馬鹿! 早く脱いで!」
「え、あ、う?」
「あー、もう!」
ブレザーは部屋に着いた時に脱いでおいたから、ブラウスを脱げばいいだけなんだけど。焦っているせいかどうにもうまくボタンが外せない。
わたわたしていると国光が私の方までやってきて、ぶちぶちとボタンごとブラウスの前を引き裂いていく。
国光の力が凄まじいのか、制服の耐久性に問題ありなのか。わからないまま国光に服を脱がされていく。
「下着とスカートは? かかってない?」
「う、うん」
「はぁ、よかった……」
国光は脱がせたブラウスを床に放って、私の肩に手を置いた。
確かに熱かったけど、そんな心配するほどだろうか。
「えっと……ありがと」
「どういたしまして」
上がすーすーする。いくら部屋の中でも、半裸でいると少し寒い。何か着替えが欲しいけれど、言い出せるような雰囲気でもなかった。
「お腹、赤くなってるじゃん。見せて」
「え? いや……」
「いいから」
確かにお茶は熱かったけれど、火傷まではしていないと思う。だけど今の国光には有無を言わせないような圧があって、私は仕方なく彼女にお腹を見せた。
人にこうしてお腹を見せるのなんて初めてだから、ちょっと落ち着かない。
着替えの時だって、こんなにまじまじ見られることなんてないし。変なお腹はしていないと思うけど。
そう思っていると、国光の手が私のお腹に触れる。お茶よりは温度が低いけれど、それでも、熱く感じるくらいの体温。
くすぐったくて身を捩ると、彼女は眉を顰めた。
「動かないで」
「そんなこと、言っても。……くすぐったくて」
「……なんでポット倒したの」
「なんでって……国光に、触られると思ったから」
「私のこと舐めようとしてたのに、触られるのは嫌だったんだ」
「嫌っていうか……変なこと、されそうだったし」
「変なことって?」
私の口から言わせるつもりか。
今までの国光ならともかく、今の国光は平然と私の色んなところに触ってきそうだから困るのだ。
あんまり変なことをされても、莉果たちとの会話の種にはならないし。
「……こういうこととか?」
国光はそう言って、私のお腹に触れてくる。
手ではなく、舌で。
ぞくり、と背筋が震えるような感じがした。お腹にも鳥肌が立っている気がする。私は一瞬固まったけれど、すぐに彼女の頭を叩いた。
「や、ちょっ……変態!」
「舐めて冷やしてあげようとしてるのに、ひどい言い草」
「変なことだってわかっててやってるでしょ! ちょ、舐めないで、ってば!」
妙に私のことを心配していたかと思えばこれである。むしろさっきまでの態度はなんだったんだろう。もしや、私のお腹を舐めるための演技か。
いや、でも、うーん。
さっきの彼女の顔色を見るに、本気で心配してくれていた気がするけれど。それはそれでどうなんだろう。
ついさっきまで心配していた相手のお腹を躊躇なく舐めにいくのって、どんな心理なんだ。
全く共感できない。
「小日向のお腹、綺麗だよ」
この状況で言われて喜ぶと思っているのか。
ほんとに、なんなんだ。国光の中ではこれが恋人同士の触れ合いなのか。だとしたら彼女の価値観というか、世界観とかそういうのは人とかなりずれていると思う。
「国光の変態! こんなの、恋人同士でもやらないでしょ!」
「なんでそう言い切れるの? 小日向、彼氏いたことないんだよね?」
「うっ」
「もしかしたら皆やってるけど、言わないだけかもよ?」
「……私は皆やってて、話題にも出すようなことをしたいの」
「私は皆が言わないようなこともしてみたいし」
スタンスの違いが出ている。でも、恋人関係を解消しますとは言えないのが辛いところだ。
こうなったら国光との関係を維持しながら彼氏を作るしか……。
いや。
それはなんか、駄目な気がする。偽とはいえ恋人がいるのに別の恋人を作ろうとするのはあまりにも不誠実だし、国光にも悪い。
でも、じゃあ。
国光のこの不思議極まりない価値観に付き合わなきゃいけないってことか。それもきついような。
うぐぐ。
最初から見栄なんて張らなきゃよかったって言ったら、その通りなんだけど。
「……じゃあ、いい。いいよ。いくらでも舐めればいいよ。じっくりねっとりたっぷり舐めればいいじゃん」
「やけになってるねー。まあ、じゃあ、遠慮なく」
そこは遠慮してくれ。
私は小さくため息をついた。
こんな調子で、国光とうまくやっていけるんだろうか。普通の友達として付き合っていた時はなんともなかったのに、急に不安になってきた。
だけど子猫みたいにお腹を舐めてくる国光を見ていると、なんだか全部が馬鹿馬鹿しくなって、まあいっかって気持ちになった。
こういうところが、舐められる原因だったり?
友達皆に舐められてはいるけれど、こうやってぺろぺろされるのは流石に初めてだ。全くもって嬉しくないし、楽しくもないけれど。
「国光の、馬鹿」
呟いてみるけれど、国光は特に反応しない。
私はちょっとムカついて、彼女の頭を叩いた。
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