第5話
三日に一回はこの世の終わりだと思うことがある。
例えば三日前には欲しかった漫画が売り切れになっていてこの世の終わりだと思ったし、六日前には数量限定のスイーツがタッチの差で売り切れになってこの世の終わりだと思った。
私の世界はよく終わる。
未だ三日前の傷も癒えないまま学校にやってきて、そして。今日も私はこの世の終わりを実感した。
「……はぁ」
中間テスト。我ら学生の天敵であり、水と油でしかない憎き紙切れが先生から返却されたのだ。
どうして私がこの世の終わりだなんて思っているのかは、語る必要もないだろう。
なぜあんな紙切れにその日の気分を左右されなければならないのか。大体、テストの成績が悪いからってやれ赤点だのどうのこうのと囃し立てられるのってどうなんだ。
人間の価値は成績では決まらない。
テスト期間に漫画ばっかり読んでいたせいでテストの点数が落ちたっていうのは多少あるだろうけれど、面白すぎる漫画の方が悪いと思う。
とはいえ。
いつまでも現実逃避と責任転嫁ばかりしていても仕方がないから、私は放課後にこうして図書室に勉強しに来ているのである。
私は参考書の置いてある棚の前に立った。
目的の参考書に、手が届きそうにない。
「……む」
脚立を使ったらまるで私が身長低いと喧伝しているみたいで嫌だ。
私の身長は低くない。ただ本棚の背が高すぎるだけで。
それに、これくらいなら背伸びすれば取れるし。決して私の身長が低いなどということはない。
絶対に。
「む、むむ……」
頑張って背伸びをしてみるけれど、届く気配はない。いっそジャンプして取ってやるかと思っていると、突然視点が高くなって、欲しかった本に手が届くようになった。
いきなり身長が伸びるなんてことはありえない。
私は本を棚から取って、背後に目を向けた。
「……国光」
「やっほ、小日向。今日も小さいね」
「……」
国光が私を持ち上げていた。
私は小学生か。
「こういうの、普通後ろから取ってくれるやつでしょ」
「そしたら怒るじゃん。自分で取れたのにーって」
「そんなことで怒んないし! むしろこうやって持ち上げられる方がムカつく!」
私は国光を睨んで、下ろせと視線で訴える。
しかし彼女は私を下ろすことなく、そのまま席に向かって歩いていく。
「ちょっと、国光!」
「しっ。図書室では静かにしないと、ね」
国光はそう言って、私を椅子に座らせてくる。彼女は私の隣の席に座った。彼女が元々座っていたらしい席には、何冊もの本が置かれている。
法律、倫理学、歴史。
見ているだけで頭が痛くなりそうなタイトルが並んでいるが、国光は慣れた様子でその本を開いていく。
私は自分が座っていた席から荷物を持ってきて、隣で参考書を広げた。
本当はそのまま勉強するつもりだったけれど、なんとなく隣が気になって、本を見るふりをして国光の方を見る。
やっぱり、綺麗だよなぁ、と思う。
いつもは笑っていることが多いから気付きづらいけれど、真剣な顔も様になる。ちょっと冷たい印象も受けるものの、私は人の真剣な顔が結構好きだったりする。
真面目になった時にこそ、その人の本質が見えるような気がして。
真剣な顔に浮かぶ様々な感情を見ていると、頑張っているんだなぁって嬉しくなる。
「綺麗だなぁ」
「え?」
「あっ」
やばい、つい。
「なんでもない」
「なんでもなくないでしょ。なんか言ってた」
「なんも言ってない」
「綺麗って言ったでしょ。何が?」
「……聞こえてるじゃん」
私はため息をついた。
さっきまでの真剣さはどこに行ったのか、国光はニコニコと笑い出す。真剣な顔は国光じゃなくたって好きだけど、笑顔は国光が一番かもしれない。
純粋っていうか、可愛い感じっていうか、なんていうか。
「何が綺麗なの?」
「……国光の、真剣な顔」
私は観念して、素直な気持ちを白状することにした。
別に、恥ずかしいことでもない。友達を褒めるくらいはいつもしていることだし。国光とは元々三番目に仲がいい友達だったから、あんまり褒める機会がなかったけれど。
いい機会だ。褒め散らかしてやろう。
「いつもの笑顔も好きだけどね。真剣な顔も綺麗でよかったから、つい口に出しちゃったってだけ」
「……ふうん? 綺麗って、どういう風に?」
なんか、妙にぐいぐい来てる気がする。
彼女は私をじっと見つめながら迫ってきていた。
綺麗な瞳。私も色々とおしゃれには気を遣っているが、やっぱり国光には負ける。どれだけメイクしたって、きっと国光の瞳の綺麗さには負けると思う。
カラコンの煌びやかな感じともまた違う。
自然だけど、ある種の不自然さすら感じるほどに綺麗なその瞳は、中に含まれている感情によってその姿を変える。
同じ感情がその瞳に宿ることはきっとないのだろう。
だから彼女の瞳は万華鏡のように、いつ見たって新鮮で、綺麗で、見る度に不思議な心地になるのだ。
「本気なんだなーって感じの綺麗さ? なんて言えばいいんだろ。私、人の真剣な顔を見るのが好きなんだ。頑張るぞーって気持ちが伝わってくる気がして」
「……私、そんな顔してた?」
「うん。勉強、好きなんだね」
私が言うと、彼女は目を丸くした。
え、何その反応。
「……まあ。知らないことを知れるのって、楽しいから」
「あー、わかるかも。私も勉強始めるまでは嫌なんだけど、始めたら意外と楽しかったりする時もあるし」
「あはは、そういうもんだよね。私はもう、色んなこと知るのが趣味みたいなとこあるから、始めるのも苦じゃないけど」
国光の知らない一面を見た気がする。
友達と楽しそうにしているところばかり見てきたけど、意外とこうやって静かに本とか知識と向き合うのも好きなんだ。
……うん、いいかも。
好きなことがあるって、素敵なことだ。それがどんなことでも、好ましいと思う。
「いいね、それ。好きなことに真剣に向き合うって、かっこいいよ」
「……」
国光は変な顔をした。
む。
もしやお前に言われても嬉しくないみたいな感じだろうか。そうだとしたら不満である。私だって一応、真剣に漫画とかと向き合ってるし。
そう思っていると、彼女に頭を撫でられた。
「相変わらずだね、小日向は」
相変わらずってなんだ。
というか、やっぱり舐められてる?
ムッとしながら国光の顔を見た私は、毒気を抜かれた。国光がいつにも増して綺麗な笑顔で、私を見ていたから。
ちょっとだけ。
ほんのちょーっとだけ、ドキッとした。
「お子ちゃまだけど、嫌いじゃないよ」
「……だ、誰がお子ちゃまか!」
思わず声を上げると、鬼の形相をした女の子と目が合った。どうやら、図書委員らしい。愛想笑いを浮かべてみるけれど、無駄らしい。
私たちは結局、図書室を追い出されることになってしまった。
せっかく今日は勉強をする気分だったのに、台無しである。
「……国光のせいで追い出された」
「私のせいなんだ。騒がしくしたのは小日向なのに」
「騒がしくさせたのは国光でしょ!」
「……んー。やっぱお子ちゃまだ。でも、いいよ。お詫びしてあげる」
彼女はそう言って、私の手を握った。
友達と手を繋ぐことは結構あるけれど、国光と手を繋ぐのは初めてかもしれない。首を傾げる私をよそに、彼女は軽やかに歩き出す。
追い出された割に、元気だと思う。
彼女の勉強を邪魔してしまって、悪いことをしたかな。少しそう思ったけれど、不意に見えた彼女の顔が楽しそうだったから、大丈夫かと思い直す。
でも、お詫びってなんだろう。
疑問に思ったけれど、お詫びなら変なことはされないだろうと思い、彼女の手を握り返した。
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