第3話

 なんとなく、ケーキがおやつに出てくる家は裕福な気がする。

 国光の部屋に来る途中に彼女のお母さんとすれ違ったけれど、品が良さそうな感じだったし。


 私はなんとも言えない心地でクッションの上に座っていた。

 意外にも国光の部屋は女の子って感じの部屋だった。ベッドにはぬいぐるみがいくつか置かれていて、家具は淡い色で揃えられている。


 実を言うと私は可愛いものとかキラキラしたものが結構好きだったりする。

 だから国光もそうなのかなぁ、と思うと、ちょっと親近感を抱いたり抱かなかったり。


「お待たせ。お茶持ってきたよ」

「あ、うん。ありがと。……手伝おっか?」

「いいよいいよ、座ってて」


 腰がむずむずする。最近はあんまり友達の家に遊びにいくとかもなかったから、新鮮というか落ち着かないというか。


 友達の家族がいる時に家に遊びにきた時特有の、こう、なんとも言えないむずむず感と緊張がある。


 それに加えてこれから一体何をするんだろうっていう不安とかもやもやが胸に渦巻いていて、どうにもならない。


 やっぱり家に入るの、断った方がよかった?

 いや、でもそれって、変なこと考えてますよーって言ってるようなものでは。

 うーん。


「……いい匂い」

「でしょ? お母さんがいっつもお茶屋さんで買ってくるハーブティ」

「へー。なんか、お上品な感じだね」


 濃い蜂蜜色のお茶が、ポットからカップに注がれる。

 ハーブティにはリラックス効果があると聞いたことがあるけれど、今の私がリラックスしているかは定かじゃない。


 つい勢いで国光と偽の恋人になってしまったけれど、どうなんだろう。恋人っぽいことをするってだけで、私たちはそれなりに仲がいい友達だ。


 そのはずなんだけど、どうにも気まずいような。

 昨日キスなんてされたからだろうか。


 どうしよう。何か話さないともっと変な感じになってしまいそうだけど、話すって言っても何を?


 さっきまでは自然と話ができたのに、こうして部屋で二人きりでいると、変に意識してしまう。


「小日向」

「な……うぇっ」


 何、と言おうとしたら国光が近くまで迫ってきていた。

 いや。迫ってきていたというか、もうほぼ押し倒しにきている。驚いてのけぞると、彼女は私の肩を押してきた。


 背中がベッドにくっついて、彼女の匂いがする。

 お茶の匂いより淡く、甘く、どこか遠い匂い。別世界から香ってきているようなその匂いが鼻腔に満ちると、彼女しか目に入らなくなるような感じがする。

 大きな瞳が私を映している。


「ぼーっとしてるけど、どうしたの?」

「ど、どうもしてない。国光こそ、何。いきなりこんなの」

「恋人同士の、お家デートだし」


 頭に偽、がつきますけど。

 いや、本物の恋人同士でもいきなりこんな迫ったりとかしなくない?


 別に私は国光をそういう目で見ているわけではないから、迫られたって困惑はしてもドキドキまではしない。

 でも。


「小日向はお家デートで何したーとか、友達と話さないの?」

「話したこと、ない。まだ、そんなに莉果たちの彼氏の話とか、聞いたりもしてないし」

「じゃあ、一歩リードだね。お家デートの話、小日向からできるじゃん。せっかくだからさ。お家デートでしたいことあるなら、していいよ。私もするし」


 私もするってなんですか?

 え、待って。国光は一体私に何をしようとしているんだろう。確かに友達同士なら大体のことはノーカンになると思うけど。


 でもこうやって押し倒してからすることと言ったら、まあ、あれなわけで。流石に友達同士でもそこまでしちゃったらノーカンじゃ済ませられなくない?


 いや、国光の文化ではそれもノーカンだったり?

 いやいやいや。


 確かに国光はクラスの中心グループにいるような人間だけども。クラスの中心にいるような人間はなんでもノリでやるーなんて、そんな偏見は持ってない。


 持ってないけど、だけども。

 頭がぐるぐるしてきた。


「何もしないなら、私から」


 国光はそう言って、ふっと笑った。


「目、瞑りなよ」

「え……」


 目を瞑ったら、何をされるかわからない。だけど目を瞑らないまま変なことをされるのはもっと恥ずかしい気がする。


 キスもノーカンなら、何をされてもノーカン?

 わからないけれど、ぐるぐるする頭に身を任せるままに、私は目を瞑った。


「じゃあ、口も開けて」


 私は小さく口を開ける。昨日の再現のようだった。

 しばらくそうして待っていると、冷たい何かが私の唇に触れた。少しぷつぷつしたその感触は、昨日感じた国光の唇でもなけれど、舌でもない。


 不思議に思って、私はゆっくりと目を開けていった。

 目に飛び込んできたのは、銀色と白色。

 国光の手に握られたフォークが、私の口に伸びてきていた。


「……苺?」

「せーいかい」


 私の唇に触れていたのは、国光のケーキの上にあった大きな苺だった。噛んでみると瑞々しくて、美味しい。


 大粒だけれど大味じゃなくて、ちゃんと濃厚な苺の味がするし、甘い。

 私はその爽やかな味で、少し正気に戻った。


「……国光」

「なあに?」

「私のこと、からかったの?」

「あはは、どうかな?」


 ……。

 ……この女。


「わ、私がどんな気持ちで口開けて待ってたと思って——」

「どんな気持ちだったの?」

「……む」

「キス、されたかった?」

「むむ」


 別に、されたかったわけではない。ただちょっと頭が混乱していて、何も考える余裕がなかったからつい目なんて瞑ってしまっただけで。


「別に、されたかったならされたかったでいいんだけど。そういうことをするために、偽の恋人になったわけだし」

「それは、そうかもだけど」

「……する?」

「し、ない」


 ノーカンだってわかっていても、自分からしたいですーなんて言うのは違うと思う。


 そもそも私は莉果たちと彼氏の話をしたいがために国光とこういう関係になったのだ。キスなんてそう何回も何回もしなくたって、一回で十分だ。


 一回キスしたんだから、その時の気持ちとか感触とか色々、もう話せるし。

 それはそれとして一回だけは、私から国光にキスしたいとは思っている。


 私だけからかわれて押されまくっている今の状況は、納得できない。私と同じ分だけ国光にも驚かせないと、不公平だ。


「じゃあ、ケーキ食べよっか。お茶も冷めちゃうしね」


 彼女は平然とそう言って、元の位置に戻ってケーキを食べ始めた。

 頂点の苺を失ったショートケーキは、見ていて物足りない感じがする。これが画竜点睛を欠くというやつなんだろうか。


 ……違う気がする。

 私は小さく息を吐いて、自分のケーキのてっぺんにある苺をフォークで刺した。


「口開けて」

「苺、くれるんだ」

「私だけもらったままっていうのも、やだし。ケーキの主役は苺でしょ?」

「クリームな気もするけどね。主役なのに、自分で食べないんだ」

「国光のもらったから。だから、ほら」


 私は国光の口に苺をねじ込む。

 彼女の艶やかな唇が動くのを見て、昨日あの唇が私の唇に触れたんだよな、と思う。


 だからって別に、何があるわけでもないんだけど。またキスしたいとか、綺麗な形の唇だなーとか、そんなことは思っていない。


 私は余計なことを考えないように、ケーキを食べ進めていく。

 こんなことで心を乱していたら、今後どうなるかわかったものじゃない。莉果たちと話を合わせるためには、あんなことやこんなことを国光としなきゃいけないわけで。


 まあ、でも。

 落ち着いて考えてみれば余裕な気がする。


 私たちは友達同士で、それ以上でもそれ以下でもない。ならキスをしようが何をしようが、大したことないし全部ノーカンだ。

 余裕余裕。

 なんでもしてこいってなもんだ。


「小日向。ちょっと、じっとしてて」

「はいはい。今度はなんですかー」


 ふん、今の私がさっきまでの私だと思うなよ。

 さあ、キスでもなんでも勝手にしてくるがよいわ。全部受け止めてやろう。


 腕を組んで待っていると、彼女の顔が近づいてくる。

 キスをされると思いきや、彼女は私の頬に顔を寄せてきて、そのまま。

 そのまま、私の頬を舐めた。

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