第9話

 莉果たちにデートのことを話すって考えると、こう、話しやすい場所に行った方がいいのは確かだ。


 そうじゃなきゃ恋人として国光とデートする意味がないし。

 でも、二人で楽しめない場所に行ったって仕方がないとも思う。地味でも、他者に話したらつまらないようなデートでも、国光を楽しませられれば勝ちだ。


 相手が楽しかったら、私も楽しいし。

 だからデート先は、電車に乗りながら結構考えた。そりゃあもう、国光に話しかけられても「うん」しか言えなくなる程度には、頑張って考えたとも。


「……ここでデートするの?」

「うん」

「……なんで?」

「え、なんでって言われましても」


 私たちは本屋の前に立っていた。この辺で一位二位を争うほど大きなこの本屋には、大抵の本が置いてある。ビル丸々本屋だし。

 まあ、高校生らしいデート場所かどうかは、わかんないけど。


「だって、国光本好きでしょ?」

「いや、まあ嫌いじゃないけど」

「だよね。じゃあお互い好きな本を見て回るってことで! 本買ったらまたここに集合ね!」

「いいけど……」


 私は胸を張って言った。国光はなぜかすごい微妙な顔をしていたけれど、特に異論はないようだった。


 国光が買いたい本は上にあるらしく、エスカレーターで上の階に登っていく。

 私は上の階には用がないから、漫画本が置いてあるコーナーに向かった。


 ……。

 ……?


「あれ?」


 別れちゃったら、デートの意味なくない?

 そう気付いた時には、国光の姿はもう見えなくなっていた。


「……なるほど」


 国光が微妙な顔をしていたのは、こういうことか。

 ……ふむ。

 馬鹿か私は。





「ぷっ……あはは! ほんと、小日向って馬鹿だよね。お子ちゃますぎ」

「……」


 本を買った後、私たちは近くのカフェで休憩を取っていた。国光は意外と本を買うのに時間がかからなかったらしく、私よりも先に本屋の前で待っていた。


 私はというと、この前買えなかった漫画の最新巻が置いてあったからついテンションが上がって、色々余計なものまで買ってしまったのである。


 そのせいで時間がかかって、国光を待たせてしまったのは悪かったと思う。

 楽しませるはずだったのに、こんな調子じゃ駄目だ。

 結局このデートの欠陥を国光に話したら、見事に笑われるし。


 そんなに笑わなくても、とは思うけれど、何も言えない。今日は私の負けである。


「くふふ、は、ふー。酸欠になるわ」


 そんなに笑うか。

 私だって一応、国光のことを考えてデート先を選んだのに。

 結果はこのザマだけど。


「で? いい本買えた?」

「……まあね。国光様はお気に召さない本が、そりゃあもうたくさん買えましたとも」

「拗ねすぎでしょ。何? どんな本?」

「漫画」

「ふーん。……あ、飲み物来たよ」


 むすっとしていると、店員さんが頼んだものを運んできてくれる。私が頼んだのはカフェオレで、彼女が頼んだのはブレンドコーヒーだ。


 ミルクも砂糖もいらないと言っていたけれど、すごいよなぁ、と思う。

 カフェオレのお客様、と言われて返事をしようとすると、先に国光が手を挙げる。


 結果私の前に置かれたのは、墨汁のように黒々としたブレンドコーヒーである。


 私は国光の方を見た。彼女はニコニコ笑いながら私を見つめている。

 おい、これはなんの冗談だ。


「せっかくの初デートだし、お互いのことをもっと知らないと損でしょ?」

「そんなの知らないし」

「拗ねんなって。私が楽しめるとこ、選んでくれたんでしょ? 嬉しいよ」

「……む」


 そう言われて、悪い気はしない。

 別に褒められたかったわけではないけれど、少しでも彼女が喜んでくれたのならそれでいいのだろう。友達にせよ恋人にせよ、遊ぶときは相手も楽しくないといけない。


 とはいえ。

 私をおもちゃにして楽しまれるのは、ちょっと困るけど。私は健全なデートをしたいと思っているのであって、彼女に弄ばれたいとかそういう倒錯的な考えはない。


 そもそも私は、恋人ができたら甘い生活を送りたいと思っていた人間なのだ。

 毎日好きと言い合って、キスもしてみて、いつでも手を繋いで歩く、みたいな。


 こういうところがお子ちゃまなのか。

 ……うぐぐ。


「お互いの好きなもの、体験してみようよ。ほら。ブラックも結構美味しいから、飲んでみな」

「……いいけど」


 この前キスしたとき、彼女の舌にはかなりの苦味が染み付いていた。よほどコーヒーが好きなんだろうが、うーん。


 私は正直、あんまり得意じゃない。苦いのって好きじゃないし。

 甘いものの方が絶対美味しいと思う。さっき一緒に頼んだ食べ物、早く来ないかな。


 いや、待て。

 私が頼んだのは焼き菓子セットだけど、確か国光が頼んでいたのは——


「お待たせしました。焼き菓子セットとコーヒーゼリーになります」


 やっぱり。

 えぇ、コーヒーにコーヒーゼリー合わせます?


 改めて自分の目の前に置かれると、すごい圧力を感じる。

 黒に黒。いや、ゼリーの方にはクリームがかかってるけど、でもなぁ。


 あまりにも黒すぎるでしょ。運動部の茶色いお弁当を目の前にした時と同じくらいの圧力を今感じている。


 しかもこの黒黒ペアを私が食べなきゃ駄目なのだ。

 もしかして嫌がらせ?


 そう思って国光を見ると、穏やかに笑っていた。そこにからかうような色は見えない。


 本気だ。

 本気と書いてマジでこれが国光の好きなものなのだ。


 そして彼女の顔を見るに、自分の好きなものを私にも楽しんでほしいと思っているご様子である。


 うぅ。

 うううぅ。

 純粋な好意を無下にするなんて私には無理だ。からかっているようなら食べないつもりだったけど。


「い、いただきます」


 私は意を決してコーヒーを飲んだ。

 苦い。

 苦くて、酸っぱくて、ちょっと泣きそうになる。


「どう?」

「お、美味しい」


 嘘である。

 やっぱりブラックコーヒーは私の体に合っていない。でもこの状況で国光の好きなものを否定するなんてできない。


 苦手なものは苦手って言った方がいいんだろうけれど、でも。


 今回は、初めてのお外でのデートだから。私にとってはともかく、国光の中ではいい思い出になってくれればいいと思う。


「そっちはどう?」

「んー、ちょっと甘すぎ感はあるけど、美味しい」

「そっか、ならよかった」


 国光は楽しげに笑っている。

 私は彼女に笑顔を返しながら、コーヒーゼリーを食べる。ちょっと甘みがあって、美味しいような、そうでもないような。


 でも頑張って苦味の奥にあるものを感じようとすると、仄かに何かこう、旨味的なものが感じられるような気がした。


 明日からたくさんコーヒー飲もう。

 嘘を嘘のままにしておくのも嫌だし、明日から本当にブラックコーヒー好きになれば問題もあるまい。


 私はちょっと泣きそうになりながら、ダブルコーヒーを全部摂取した。

 体の30%くらいがコーヒーになったような気がしたけれど、これでデート前半のマイナスはプラスに変えられたかな。


 私はちょっとした達成感を感じながら、満足げに笑う国光を眺めた。

 この笑顔を守るためなら、少しくらいの無理なら全然許容範囲だ。

 ……多分。





「美味しかったねー」


 帰り道、国光はいつもより弾んだ声でそう言った。

 私は彼女の少し後ろを歩きながら、まだ舌に残っている苦味に眉を顰めた。


 日はもう完全に沈んでいるが、ジメジメしていて気温も高い。さらに苦味が襲ってくるものだから、私は死にそうになっていた。


「そうだね。今日は国光の好きなもの、知れてよかった」

「……まだだよ」

「うぇ?」


 まさか、まだ私にコーヒーを飲ませる気か。

 ちょっと待っていただきたい。今日これ以上コーヒーを飲んだら、明日以降にも響くから勘弁してほしい。

 そう思っていると、彼女は本屋のビニール袋をバッグから取り出した。


「交換しようよ。今日買った本。読んで感想言い合うの、楽しそうじゃない?」

「……いいよ」


 最新巻はすぐに読みたいが、それはそれとして国光が好きな本も気になる。

 しかし。


「国光って、漫画読むの?」

「あんまりかな。でも、小日向が好きなもの、もっと知りたいし」

「そう? じゃあ……」


 私もバッグから袋を取り出して、国光と交換する。

 国光は、笑った。


「今日、楽しかったよ。小日向のおかげだね」

「私の失態のおかげでしょ」

「ううん。小日向が色々考えてくれたおかげ」


 本気で言われると、それはそれで困るような。


「だから、お礼」

「え?」


 国光はぴたりと立ち止まる。私も立ち止まると、手を引かれた。

 そのまま彼女は私にキスをしてくる。


 国光って、キス好きなのかな。偽の恋人になるって決めた日から、結構頻繁にキスしてくるけど。


 私も別に、彼女とのキスが嫌いなわけではない。

 でも、こんなに何度もキスしちゃっていいのかな、と少し思う。忘れられなくなったらどうしよう。


 彼女の柔らかい唇に慣れた私は、男子とキスした時、果たして何を思うだろう。

 そんなことを思いながら、私は無抵抗で彼女を受け入れた。


「帰ろっか。今日は早く帰って、本読みたいし」

「ん。……はい」


 私は彼女に手を伸ばした。

 意図はそれだけで伝わったのか、彼女は私の手を握る。


 なんで今手を繋ぎたくなったのかはわからないけれど、彼女が手を繋いでくれたことで、私はちょっとだけ幸せになった。


 歩き出すと、ビニールが擦れる音が響く。

 彼女の買った本はどんな内容なんだろう。

 ちょっと、楽しみかもしれない。

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