第11話

「こひゅっ……ぜっ……はっ……」


 死ぬ。

 大体梅雨時に激しい運動をするなんて正気の沙汰じゃないのだ。運動は健康の維持のためにやるものであって、自分を苦しませるためにやるものじゃない。


「おーい、小日向。立てるー?」

「無理……」

「じゃ、そこで見てなよ。私の大活躍」


 私は体育館の端っこで横になっていた。床はちょっとひんやりしていて気持ちいい。でも全身が火照っているから、結局息苦しいのは確かだった。


 まだ十分くらいしか運動していないけれど、体力のない私は限界を迎えていた。


 天は二物を与えずというのは嘘らしく、国光は俊敏な動きで何度もゴールを決めていた。


 顔も良ければ成績も良くて、おまけに運動もできるときた。

 彼女と比べれば私はみじんこのようなものかもしれない。


「はぁ……」


 ぼんやりと彼女を眺めてみる。

 遊びだからわざわざ体操着は着ていないけれど、その割に動きづらそうにはしていない。彼女の友達も同じで、制服なのに普通にバスケをしている。


 これが類友ってやつなのかも知れない。すごい人の周りにはすごい人が自然と集まるものなんだろう。


 ……ん?

 待て、その理論でいくと私もすごい人なのでは。類は友を呼ぶ。私は国光の友達。ってことは、私もすごいってことだ。


 確かに私、可愛いし。

 そりゃまあ、告白されたこともなければ彼氏もできたことないけど。でも客観的に見れば可愛いし、一緒にいて楽しいってよく言われるし。

 全然劣ってないな、うん。


「小日向ー!」


 国光の声が聞こえる。

 私は横になりながら、シュートを決めたらしい彼女に手を振った。


 彼女は爽やかな笑みを浮かべて、私にピースしてくる。

 うーん、絵になる。


 真剣な顔で勉強しているところもいいけれど、楽しそうに笑いながら運動しているところも結構好きかもしれない。


 それは、単に容姿が優れているためだけじゃなくて。

 彼女の表情がいつだって生き生きとしていて、綺麗だからなのだろう。

 勝負は私の負けでいっか。


 いつもとはちょっと違う彼女の笑みが見れたから、今日はそれでいいってことで。本の感想は、また明日にしよう。


 私はきゅっきゅという足音を聞きながら、目を瞑った。

 ちょっとだけ、眠って休もう。昼休みが終わる前に多分誰かが起こしてくれるだろうし。

 目を瞑ると急に眠気が襲ってきて、私はそのまま眠ってしまった。





「小日向」


 誰かの声が聞こえる。

 まだ頭がぼんやりしているから、目を開けたくないと思う。


 私は近くにある柔らかいものに抱きついて、体を丸めた。ほんのり温かくて、ふわふわしている。お布団ってこんなに柔らかかったっけ。


 なんか甘い感じのいい匂いもするし。

 家の布団じゃないみたいだ。

 ……そもそも私、いつの間に家に?


「……っ!?」


 パッと、体を起こす。

 目を開けると、国光と目が合った。


「おはよう、小日向」

「お、はよ、国光」


 辺りを見渡すと、誰もいない体育館が目に入る。体育館にかかった時計には、ありえない時間が表示されていた。


「ご、五限と六限は!?」

「もう終わったよ。よかったね、ここで体育やるクラスなくて」

「なんで起こしてくれなかったの!?」

「だって、起こしてって頼まれなかったし」


 言われなくても普通起こすでしょ。いや、寝ちゃってた私が悪いのは確かなんだけど、でも。

 あまりにも友達甲斐がないと思う。


「あ、あああぁ。一回も授業休んだことないのが密かな自慢だったのにぃ……」

「あはは、不良になっちゃったね」

「それは国光もでしょ! っていうか、いいの? 国光、勉強好きなのに。授業サボっちゃって……」


 起こしてくれればそれでよかったんだけど、私のせいでサボらせてしまったなら悪いことをしたと思う。


「いや、授業の範囲程度なら全部抑えてるし。出なくてももう満点取れるよ。それに、勉強は自分のペースでできるけど授業は退屈だしね」

「そ、そうなんだ……」


 サラッと満点取れるなんて言えちゃうところが、やっぱり国光だなぁって思う。

 強すぎる。


「……ぷっ」


 今まで普通の顔してたのに、国光はいきなり笑い出す。

 なんだなんだ。

 私の顔に何かついているのか。


「ごめん。ちょっと、思い出し笑い」

「何か面白いことあったの?」

「小日向が、赤ちゃんみたいだったから」

「はぁ!?」

「めっちゃむにゃむにゃ言ってたし、ぎゅうぎゅう抱きついてくるし、体丸めてるし。可愛いよね、ほんと。お子ちゃま丸出し」

「な、なぁ……!」


 国光はめちゃくちゃ笑っている。

 人気の芸人を見た時だったこんなに笑わないぞ、私は。


 いや、ほんとに笑いすぎ。大爆笑しすぎてそのまま死ぬんじゃないかってくらい笑ってるし。


 この女。

 ちょっと顔が良くて運動ができて成績もいいからって、さては調子に乗ってるな?


 ……いや、まあ、調子に乗ってもいいくらいすごい人ではあるんだけど。

 でも、だからって。

 人のこと馬鹿にしすぎ。舐めすぎ。意地悪すぎ。恨んでも許されるでしょこれは。


「くふふ、は、ふふ……」

「国光、絶対ロクな死に方しないからね。ていうか、いつか私が地獄に落とす」

「怒りすぎでしょ。膝、貸してあげてたのに。今すっごい痺れてるんだけど?」

「貸してくれなんて頼んでないし」

「……あはは、確かにそうだ」


 私はスカートを叩いて立ち上がった。

 枕になってくれてありがとうございましたなんて言うのはおかしいし、ちょっと気持ち悪い感じもするし。私はこれ以上膝枕について言及しないことにした。


「帰る。国光はそこで一生痺れてれば」

「一緒に帰るよ。痺れてるっての、嘘だし」

「……」


 やっぱりからかわれてるよな、これ。

 知り合いになったばかりの頃はもっとキラキラしていて、思わず国光さんって呼びたくなるような人だったはずなんだけど。


 いつからか彼女は今みたいに私のことを舐め腐るようになってしまった。

 去年が恋しい。まだ舐められていなかった頃に戻りたい。


「……はぁ」


 ため息をつきながら、私は教室に向かった。





 小さい頃、風邪で学校を休んだ日の昼頃にはなんとも言えない背徳感的なものを感じていた。


 そして、今。

 授業を二人でサボって、二人で帰り道を歩くという行為に、私は同じものを感じている。


 ちょっとだけワクワクして、でも悪いことしたなぁって感じもして。

 そんな気分を、彼女も感じているのだろうか。


 せっかくなら、彼女も同じ気分でいたらいいな、と思う。こういう気持ちの共有を友達とできたら、きっと楽しいから。


「本、面白かったよ」


 日が暮れてきた街を歩きながら、私は言った。

 隣を歩く国光が、目を細めた。


「そっか。ならよかった」

「国光ってああいうのが好きなんだね」


 国光が買った本は、意外にも絵本だった。もっと純文学とかを読んでいるのかと思っていたけれど、絵本だったから私でも読むことができた。


 この年で絵本を読むことってあんまりないけれど、読んでみると意外と面白いものだ。

 それに、ああいう本を読むんだって思うと、親近感も湧くものだし。


 やっぱり国光は遠い気がするけれど、でもちょっとだけ、近づいた気もする。友達にしては、私たちの距離は近くなったり遠くなったりしすぎだと思うけど。

 でも別に、嫌じゃない。


「もっと難しい本、読むのかと思った」

「まあ、読むには読むよ。でも、絵本って結構好きなんだ。小さい子供に読ませるものだから簡単な言葉で書かれてるけど、深い話が多いしね」

「あ、わかるかも」

「……ふふ、でしょ。難しい言葉じゃなくても人に大事なことを教えられる絵本の物語って、なんかさ。人と人との関わり合いの本質な気もするんだよね」


 ……おっと?

 話が難しくなってきた気がする。

 えっと、つまり。


「本当に大事なことって、簡単な言葉じゃないとむしろ伝わらないんじゃないかなって、ちょっと思う」


 そう言って、国光は笑った。

 いっぱい勉強してきた国光が言うなら、そうなのかもしれない。


 私は単純で簡単な言葉しか使えないから、難しい言葉をたくさん知っていた方がいいんじゃないかと思うけど。


「なんてね」


 国光はここじゃないどこかを見ているみたいに、遠い目をした。

 私たちは同じ道を歩いていて、同じ本を読むことだってできて、同じ景色を見ているのに。


 彼女の瞳が私の瞳には映らない何かを見ているのは、ちょっと嫌だと思う。

 馬鹿にしてもいい。からかってもいい。


 でも、見ているものを共有できないのは嫌だ。

 だって、友達なんだから。


「国光」

「なあに?」


 返事はするくせに、その瞳はまだ遠い。

 いきなりどうしたんだろう。というか、ムカついてきた。なんで私が目の前にいるのに、私以外を見ているのだろう。


 目に焼き付けろ、私の可愛さを。

 ……そうだ。

 前にやろうと思っていたあれ、今やってしまおうか。


「止まって、ちょっとしゃがんで」

「……いいけど」


 言う通りにしてきた彼女の肩に手を置く。

 よし、やるぞ。

 ……やるからな。


 いや、別に、緊張とかはしていない。確かに私は今キスしようとしているけれど、キスなんて何度もしてきたし。


 いつものように当たって砕ければいい。

 私はそっと、彼女の唇に自分の唇をくっつけた。

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