第38話
近頃の私は、多分クラスの誰よりも毎日を大事にして生きていると思う。
あれから四ヶ月が経ち、早くも夏休みになっている。三年生になったからといって何もかもが突然変わるわけではないけれど、最近の私はかなり偉いと思う。
「心望、ここ教えて」
雪凪が参考書を持って言う。
今日、私は莉果と雪凪と一緒に勉強会を開いていた。普段は皆一人で勉強しているのだが、たまには集まってやるのもいいだろうということで今日、私の家で勉強会をすることになったのである。
人に勉強を教えると、自分の中の知識が整理されていって効率が上がるような気がする。
そう考えると、こうして皆で勉強をするのも悪くない。
「しょうがないなぁ。私が誰よりもわかりやすく教えてあげる!」
「お願い」
私は雪凪のわからないところを教えてあげながら、自分の勉強を進めていく。
まだどこの大学を受験するかすら決めていない私だが、一年間瑠璃に勉強を教わってきたおかげで、かなり成績が上がっている。
それに、勉強が嫌いでもなくなった。
彼女の好きなものを好きになろうと努めるうちに、いつの間にか机に向かうことが億劫でなくなっていた。
好きとまでは、まだ言えないんだけど。
「いや、ほんと心望勉強できるようになったね。教えるのもうまいし」
しばらく勉強した後、休憩を挟んでいると、不意に雪凪が言った。
彼女はカップを無駄にくるくるさせながら、コーヒーの香りを楽しんでいる風を装う。
絶対わかってないだろうと思うけど、私もそこまで深く香りを感じ取れるわけではない。
瑠璃におすすめされたコーヒー豆を買っているのだが、未だこれを美味しいと感じるまでには至っていない。
好きになれるように頑張ってはいるんだけど。
「相変わらず瑠璃に教わってんの?」
莉果が問う。
私はかぶりを振った。
「ううん、最近は自分でやってるよ。向こうも忙しいみたいだから、あんまり会えてないし」
「ふーん……。寂しい?」
「え? いや、別に。瑠璃が頑張ってることは、知ってるしね」
「向こうが頑張ってるのと心望が寂しいかどうかは別問題じゃない?」
「莉果。心望は自分にそうやって言い聞かせてるんだよ。詰めちゃだめ」
「別にそういうのじゃないし」
嘘だ。
本当は、寂しい。彼女の夢をちゃんと応援すると決めたから、口にも態度にも出さないようにしているけれど、寂しいものは寂しいと思う。
会った時は全力で甘えるようにしているし、ハグもキスもたくさんするけれど、それでもあんまり寂しさは薄れないのだ。
とはいえ。
彼女と会える一日をいつだって私は大切にしている。彼女を楽しませて、私も楽しんで。そうやっていい思い出をたくさん作れば、後悔はしないと思う。
たとえ彼女と疎遠になる日が来ても、一日一日のキラキラした思い出が、未来の私のこともきっと輝かせてくれるはずだから。
「瑠璃はきっと寂しがってると思うけどねー。だって、心望にマーキングするくらいだし」
「マーキング?」
「そ。このネックレスとか、瑠璃にもらったんでしょ?」
莉果は私がしているネックレスを指差す。
確かにこれは、誕生日に瑠璃にプレゼントされたものだ。小さな青色の石がついたネックレスは、キラキラしているし可愛らしい。
プレゼントされてから毎日首につけているけれど、何度見ても飽きないと思う。
「そうだけど……」
「そのシャーペンとノートも、ヘアゴムもでしょ」
「え、なんでわかるの?」
ぎくりとする。
私は彼女にもらった青のノートを勉強用にしている。かなりページは減ってきたものの、未だ現役だ。
「だって、どう見ても心望の趣味じゃないでしょその色。しかも、瑠璃色だし」
「……え」
「ほら、見てみ。瑠璃色」
莉果はスマホを操作して、画面を私に見せてくる。
瑠璃色として表示された色は、確かに私がこれまで瑠璃にもらってきた品々の色と同じだ。
だけど、あの瑠璃がそんなこと考えるだろうか、と思う。
たまたま彼女が青色好きで、私にそれをプレゼントしてきたという可能性は。
いや、ないか。
そういえばこのノートとシャーペンは、別に彼女の好きなものってわけではなさそうだった。彼女は好きなものということにしておいて、みたいなことを言っていたが、それはつまり、別に好きなわけではないということで。
そんなものを私にプレゼントした理由があるとすれば。
瑠璃色のものを私に持たせたかったから?
……えぇ。うーん。
いやいや、ないない。
だって、瑠璃だし。
「瑠璃はそんなこと考えないと思うよ? そもそもマーキングって何さ」
「私が一番仲良いんだー、とか、心望は私のものだーとか、そういうのを周りに知らしめる的な?」
「いや、瑠璃をなんだと思ってんの」
「むしろ心望、気づいてないわけ?」
「何に?」
「瑠璃が心望を見る時、すごい柔らかい表情してるってこと。あれはもう、友情以上の何かを感じるね」
別に、それに気づいていないわけではないけれど。
友情以上、かぁ。
もし彼女が本当にそんな気持ちを私に抱いてくれているなら、嬉しいけれど。
でも彼女が私に接してくれる時の態度は前から変わっていないように思う。もしや、前からずっと私のことが好きだったとか!?
ははは、馬鹿か私は。
「実際こんなプレゼントもらってるわけだし。絶対心望のこと大好きだよねー」
「そ、そうかな?」
「私もそれは思う」
雪凪が応じる。
自己肯定感の高まりを感じた。
もしかすると瑠璃はとっくの昔に私に恋をしていて、それに私が気づいていないだけだったのかもしれない。
だとしたら、悪いことをしたと思う。私の魅力が凄すぎたばかりに、瑠璃には辛い恋をさせてしまった。私は罪な女だ。
……はぁ。
本当にそうだったら、どれだけ幸せだろう。
でも、彼女が私と本物の恋人になってくれたのも、会う時必ずキスしてくれるのも確かで。
少なくとも並以上の好意は寄せられていると思う。問題は、それが恋愛感情かわからないってことで。
未だに彼女は友達同士ならキスくらいノーカンだし、本物の恋人になろうと一年でお別れになるなら付き合ったうちに含まれないのだと思っているのかもしれない。
「本当にそうだったら、いいんだけどね」
「……どしたん?」
莉果が私の頬を突いてくる。
「ううん、別に。来年になったらお別れなんだし、もっともっと瑠璃と一緒にいたいっていうのは、あるんだけど。でも——」
「え、待って。瑠璃と同じ大学行かないの?」
「え?」
「いや、普通に瑠璃についてくもんだと思ってた。え、何? お別れって、もう会わないつもりなの?」
捲し立てられると、少し困る。
「だって、違う大学行ったらあっちも別の友達ができるだろうし、そもそも距離が遠かったらあんまり会えないだろうし」
「なんでついてかないの? 同じ大学じゃなくても、同じ地域の大学とか行けばいいじゃん」
「それは……」
私だって、考えなかったわけじゃない。
でも。
「だって私、瑠璃と違って夢とかないし」
「は?」
「夢のために大学に行こうとしてる瑠璃に、何もない私がついてったら迷惑かもだし、そもそも行く大学を瑠璃と一緒にいたいからとか、そういう理由で決めていいのかっていうのもあるし。そういうの、引かれるかもだし——」
莉果と雪凪は顔を見合わせて、苦笑した。
なんだその反応は。
私は本気で悩んでいるのだが。
「心望、いつからそんなに面倒臭くなったの?」
雪凪が言う。
どういう意味ですか?
「猪突猛進で単純なのがいいところだったのに。心望はあれこれ考えるのに向いてない人間なんだから、やめなよ」
「えぇー……」
これでも成績は上がってるのですが。
ていうか私、そんな馬鹿だと思われてたの?
内心ちょっともやもやしていると、雪凪に頭を撫でられた。
「一緒にいたいならいたいでいいじゃん。引かれるとか迷惑とか関係ないでしょ。もし引かれても、押しまくれば絆されてくれるよ。心望相手なら、瑠璃も甘くなるだろうし」
「そうかなぁ……」
「そうだって信じなよ。恋愛は相手を殺すか相手に殺されるか。ぶっ殺す勢いで惚れさせれば勝ちだから」
雪凪の表現はいちいち物騒だ。
ていうか。
「あの、私と瑠璃のこと——」
「はい、というわけでスマホを出しなさい。私が色々とセッティングしてあげよう」
「はいはい! 私もやる!」
おい、なんだこの流れは。
私は文句を言おうとしたが、二人の勢いに押されて、結局スマホを差し出してしまう。
二人は私のスマホを勝手に操作して、誰かに電話をかけ始める。
相手はどう考えても、瑠璃だろう。
彼女は勉強で忙しいのだから、あまり迷惑をかけてほしくない。そう思ったけれど、二コール目で彼女が電話に出てしまったから、もう後には引けなかった。
「もしもし、心望?」
「もしもし瑠璃? 今日夜時間ある?」
「……莉果じゃん。なんで心望のスマホからかけてきてんの」
「いいからいいから。で、夜は?」
「七時以降なら、時間作れるけど」
「じゃあ八時に学校集合で!」
「いいけど……」
「おっけ! じゃ、また学校で!」
一方的な会話が終わる。
私と瑠璃は完全に置いてけぼりにされている。
……えー。いいのかなぁ。
「よし! こうなったら勉強終わり! これから心望を飾りつける作業に入るよ!」
「あいよー」
なんなんだこれは。
私はまだ何も言っていないのに、勝手に瑠璃についていかせてもらう流れになっている。
確かに、一緒に行きたい気持ちがないわけじゃない。
いや、むしろその気持ちは日に日に増している。
でも。好きだからこそ、迷惑をかけたくない。重荷になりたくない。今が楽しいのだから、それでいいじゃないかとも思う。
だけど本当に、私はそれでいいのか。
そう問われたら、いいとは言えない。
本当は離れ離れになりたくない。来年も一緒にいたいし、その先だって。
ずっとずっと、本物の恋人として一緒にいたい。だけどその言葉を、口にしていいのだろうか。
迷いは莉果たちの前では無意味で、私は彼女たちにあれこれと世話されることになった。
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