第32話

「どうしたの? 何かあった?」


 彼女は私の頬に触れながら、優しく聞いてくる。

 こういう時は優しいのが、ずるいと思う。いつもみたいに私のことを馬鹿にしてくれれば、私だっていつも通りでいられるのに。


 でも、私が本当に困っているときに優しくしてくれるのが、彼女の良いところで。私はそういうところが、嫌いじゃない。


「ううん。ちょっと目にゴミが入っちゃったみたいで。何もないよ」

「何もないのに、そんな悲しそうな顔で泣かないでしょ。……辛い時は言うって約束は?」

「……本当に、何もないから」


 大学では瑠璃と離れ離れになってしまうから、寂しくておかしくなっている。そんなこと言ったら瑠璃を困らせるだけだ。


 私は瑠璃と違って、夢なんて持っていないし本気で頑張ろうと思っていることもない。


 そんな私が彼女の足を引っ張るというわけにもいかないと思う。

 きっと、優しい彼女は私が泣いている理由を知ったら、どうすればいいのか悩んでしまうだろう。それは駄目だと思う。

 私の寂しさなんて、彼女の夢に比べれば大したことのないものだ。


「わかった」

「うん。じゃあ——」

「今日は早退しよう」

「……え」


 彼女は私の手を引いて歩き出す。

 やっぱり彼女はいつも唐突だ。一体何がどうなって早退するなんていう結論に至ったのか。


「ちょ、瑠璃! いきなりすぎるって!」

「いいからいいから」


 早足で教室まで歩いた彼女は、そのまま盛大に扉を開け放つ。

 おい、無駄に注目を浴びているではないか。

 今から何か面白いことでも始めるみたいになってしまっている。


 ほら、瑠璃の友達なんてすごいキラキラして目で私たちのことを見ているじゃないか。


 そんな目で私を見ないでください。

 私にできることなんて猫のモノマネくらいだ。


 ちなみに莉果からの評価はそれなりだった。雪凪は爆笑していたが、ここで披露しても苦笑いされるのが関の山だろう。


「おっすお二人さん。どしたー?」


 瑠璃の友達が囃し立てる。

 そのキラキラオーラで私は溶けてしまいそうだった。


「私たち、これから授業サボって遊び行くから。先生に聞かれたら死んだって言っといて」

「はいはい、いてらー」


 軽すぎる。

 これがキラキラ女子の力なのか。

 いや、違う気がするけど。


 ていうか、いいのかな。こんな盛大にサボることを公言したら、誰かにチクられそうだけど。

 ……まあ、大丈夫か。

 瑠璃だし。人望ありそうだもん。


「ほら心望、荷物持って。行くよ」

「……うん」


 私はあれこれ考えるのをやめて、バッグを持った。

 瑠璃にもきっと、考えがあってのことだろうし。


 彼女はそのまま私を連れて、慣れた様子で学校を抜け出す。もしかしたら、私が気づいていなかっただけで、今までも学校を途中で抜け出したりしていたのかもしれない。


 私は少し呆れながらも、大人しく彼女についていった。





「よし、心望。欲しいぬいぐるみがあったら言って。なんでも取ったげる」


 彼女に連れてこられたのは、学校から何駅か離れた場所にあるゲームセンターだった。


 彼女は勝手知ったる様子でクレーンゲームのある場所まで歩いてきて、得意そうに言った。


「私、ここ結構来てるから。なんでもどーぞ」

「……じゃあ、あれで」


 私は大きなぬいぐるみを指差した。

 特に好きなキャラクターというわけではないけれど、瑠璃がどんな感じでゲームをするのか興味があった。


 考えてみれば私は、テレビゲームにせよクレーンゲームにせよ、彼女がゲームをしているところを見たことがない。


「なかなか強欲だね。大きなつづらを選ぶタイプか」

「バチが当たるかな?」

「あはは、大丈夫だよ。魑魅魍魎の類が出てきても、私が守ったげるから」

「……む」


 こういうこと、さらっと言うんだもんなぁ。

 別に嫌なわけじゃないから、いいんだけど。


 私は後ろに立って、彼女がクレーンゲームをする様子をぼんやりと眺めた。運動神経だけじゃなくてゲームの腕もいいらしい彼女は、大きいぬいぐるみも数回で落としていく。


「はい、どうぞ」


 彼女はぬいぐるみを私に手渡してくる。

 ほんのりと、胸が温かくなるのを感じる。それはぬるぐるみを胸に抱いているからじゃなくて、きっと彼女が私のためにぬいぐるみを取ってくれたのが嬉しかったからだ。


 平然と学校をサボってしまうくらい不真面目なくせに、こういうところは真剣で、格好良くて。


 ずるいな、と思う。

 ゲームだろうと格好良くこなしてしまう彼女は、ずるい。

 でも、彼女らしい。


 そう思うと、なんだか笑ってしまう。瑠璃に対する感情だとか、彼女と離れ離れになってしまうことについて悩んでいたけれど、彼女は全くいつもと変わっていないのだ。


 そうだ。

 別に、何が変わるというわけでもない。もし来年私たちが別れるとしても、これまでの時間が否定されるわけではないし、今日すぐに彼女と話せなくなるわけじゃない。


 どんな関係だって、いつまでも同じままではいられないのだ。

 変化は必ず訪れるもので、そこから逃れることなんてできないのだから。

 ……なら。


「瑠璃。勝負しよう」

「……勝負?」

「ここにあるゲーム機で、一時間遊ぶの。それで、より多く景品を取った方が勝ち」

「いいけど……勝ったら何かもらえるの?」

「特に決めてない。それは勝ってからのお楽しみってことで」


 私はじっと、彼女を見つめた。


「……ふーん? まあ、いいよ。やろっか」


 突然の勝負を、瑠璃は平然と引き受ける。

 私の知っている瑠璃なら、引き受けてくれると思った。だって、彼女はいつも全力で、今を楽しもうとしているのだから。


 私だって、そうだ。

 明日がどうあれ、今日は今日。明日は明日の風が吹くし、今しかできないことは何があったってしたいと思う。


 私が今したいことは。今しかできないことは。

 きっと瑠璃と一緒に、一日一日を楽しむことなのだろう。


 今までと同じように、私は瑠璃と日常を共に過ごしたい。あと一年しか時間がないなら、その分楽しく過ごしたいと思う。


 いつか振り返ったときに、キラキラした思い出だと感じられるような今日を作るために。


「じゃあ、また後で。負けても泣かないでよ!」

「それはこっちのセリフだけど……」


 私は瑠璃から離れて、別のクレーンゲームに向かった。

 お金を入れて、ボタンに手を置くと、剥がれたマニキュアが目に入る。


 あんなに綺麗だったマニキュアも、今は剥がれて色褪せて、綺麗だとは言えなくなっている。


 時間の流れというのは、そういうものなんだろうと思う。

 どんなに綺麗なものも、いつかは色褪せる。だけど最初に綺麗だったことは確かに記憶に焼き付いているから、無かったことにはならない。


 私にとって瑠璃との思い出がそうであるように、彼女にとっても、そうであってくれたらいいと思う。


 だから、今日一日をまずキラキラさせよう。

 寂しくても、悲しくても、泣いてばかりいたって今日は輝かない。

 私はそっと剥がれたマニキュアを撫でて、クレーンゲームに向かった。




「というわけで、私の勝ち! 瑠璃も惜しいところまでいったみたいだけど、残念だったね!」

「……」

「さて、勝負に負けた瑠璃ちゃんには何をしていただきましょうか」


 一時間後。再び集まった私たちは、手に入れたを見せ合っていた。


「……ずるくない?」

「何が?」

「いや、確かにそれもゲーム機の景品って言うのかもしれないけど、あの流れだったら普通クレーンゲームの景品って思わない?」

「私はクレーンゲームだけなんて言っておりませんが……」

「……最初からそのつもりだったんだ。ずるじゃん。お子ちゃますぎ」

「ははは、なんとでも言えばいいよ。勝ちは勝ち! 私が上!」

「……はぁ」


 瑠璃が持ってきたのは、大量のぬいぐるみ。

 対して私が持ってきたのは、メダルゲームのメダルだった。質はどうあれ、数は私の方が上だ。


 よって私の勝利ということになるのだが、瑠璃は不満そうだった。

 まあ、私が逆の立場だったら絶対文句言ってるから、当たり前だと思うけど。

 でも、今はそんなこと重要じゃない。


 大事なのは私が勝ったという事実なのだ。瑠璃なら私みたいに駄々をこねたりはしてこないだろうし。


「……瑠璃。私のお願い、聞いてくれる?」

「命令じゃなくて?」

「うん。命令じゃなくて、お願い。本当に嫌だったら、断ってくれてもいいよ」

「いいけど、なあに?」


 彼女の大きな瞳が、私を映す。

 私は深呼吸をした。

 嫌だったら断ってもいいとは言ったけれど、多分本気で嫌がられたら凹むと思う。

 でも、言うなら今しかない。


「一年。一年だけでいいから、偽物じゃなくて私の本物の恋人になって。……瑠璃の一年を、私にちょうだい」

「……え」

「もちろん勉強の邪魔はしないし、毎日私に付き合ってくれる必要もない。ただ、とにかく本物になってほしいの」

「もしかして、それ言うためにいきなり勝負なんて持ちかけてきたの?」

「……どうだろうね」


 瑠璃は目を丸くしてから、笑った。


「ぷっ……あはは! ほんと、心望は可愛いね。不器用だけど」

「む……!」

「……いいよ。なろっか、本物に。私の一年、心望にあげるよ」


 あっさりした返答に安堵する。

 結局はこれも、きっと瑠璃からすれば遊びの内に入るんだろうけれど。


 だけど、それでいい。

 私は後悔しないために、彼女と恋人になろうと思ったのだ。

 莉果の彼氏の話を聞いて羨ましいと思って、マニキュアが剥がれたら涙が出て。きっとそれが全ての答えだ。


 私は多分、瑠璃に恋をしている。意地悪で、優しくて、やること全部がいきなりだけど大好きな友達の瑠璃に。


「これからよろしくね、心望」

「うん、よろしく」


 瑠璃が私をどう思っているかはわからないけれど、今はそれでいい。

 この一年で瑠璃を最大限楽しませて、私の魅力に首ったけにしてみせる。

 偽物から、本当の意味で本物の恋人になってやるとも。


 私なら絶対できる。

 だって私は、誰より可愛くて魅力的なのだから。

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