第27話

「おはよう、心望」

「あ、うん。おはよ、瑠璃」


 朝、瑠璃と挨拶をする。

 秋の朝は空がすごい清らかで、なんだかいい一日になりそうって感じの気分にさせられた。


「朝ごはん食べた?」

「ううん、これから食べる」

「そっか。じゃあ、ここで待ってようかな」

「……」


 朝の挨拶は、大抵瑠璃の方からしてくる。私の方が学校に近い場所に住んでいるから、先に登校することになるのだ。


 だから後に入ってきた瑠璃から挨拶してくることが多いのだが、今日もその例に漏れない。


 瑠璃に挨拶をされるのはいつも通りのことで、何もおかしくはない。

 ここが学校ではなく、私の家の前だということを除けば。


「あの、瑠璃?」

「なあに、心望」

「なんでいきなり家に来たの?」


 私と瑠璃の家は逆の方向にある。瑠璃の家からここに来るには、学校の最寄駅を経由する必要があるのだ。

 わざわざ学校を素通りして私の家に来たのは、一体。


「なんとなく、顔が見たいと思って」

「学校でも見れるよね!?」

「それはそれ、これはこれ」

「えー……。と、とりあえず、ここで待つのはやめて。悪いし。私のご飯ちょっと分けるから、上がってきなよ」

「うん。お邪魔します」


 久しぶりに瑠璃の奇行を目の当たりにした気がする。

 まあ、これくらいなら別にいいか。

 朝から瑠璃の顔が見れるというのも、悪い気分じゃないし。





「心望、まだ?」

「まだ入ったばっかでしょ。先行ってて」

「それはちょっと。また心望がいなくなったりしたら、困るし」

「……」


 二限目。着替えを済ませて体育館に向かう途中、私はトイレに立ち寄ることにした。


 一緒にお手洗い行こうねー、なんていうのはしょっちゅうあるから別にいいんだけど、そんな生やさしいものじゃないから今の私は困っているのだ。


 待たれている。

 扉の前で。


 いくら友達同士でも扉の前で待ったり待たれたりはしないのではないかと思う。


 ペットの猫がトイレについてきてしまうみたいな話は聞いたことあるけれど、それと同じなのだろうか。


 これが分離不安症というあれか。

 いや、朝から瑠璃の様子が変だってことはわかっていたけれど、まさかここまでしてくるとは思いもしなかった。


「入り口で待っててよ」

「うん。待ってる」

「……。入り口って、トイレの入り口だからね? 個室の扉の前じゃなくて」

「……そういえば。さっきは中に入れてくれたのに、今は入れてくれないんだね」

「さっきと今じゃだいぶ状況違うんですけど!?」


 トイレの個室に入れてたまるか。

 そういう特殊な趣味は私にはない。というかほんとにどうなってるんだ、今日の瑠璃は。


 明日以降もこんな調子だったら、友達を続けるかどうか真剣に悩んでしまうのだが。

 私は大きくため息をついた。





「心望。お昼食べよう」

「あ、はい。わかりました」


 昼休み。

 すっかり疲弊した私はもう瑠璃に逆らわないことにした。


 今日は多分、そういう日なんだろう。昨日不安な思いをさせてしまった分、しょうがないと思って受け入れるしかない。


 まあ、慣れれば大したことはない。心を無にして現実をあるがまま受け入れれば、全て解決。


 私を舐めるなよ。

 心頭滅却すれば火もまた涼し。

 私は最強だ。


「はい。じゃあ、ここにどうぞ」


 瑠璃はお膝をぽんぽんし始める。

 私は戦慄した。


 彼女の横にはキラキラ女子が二人。そして、教室にはたくさんのクラスメイト。瑠璃の膝の上になんて座った日には、私のカーストが最下層を突き破って奈落の底に落ちてしまう。


 わー、やだ。

 でも昨日のこともあるし、うぐぐ。

 うむむむむ。

 あー、もう!


「はい、座ったよ! あー今日のお弁当の中身はなんだろうな! 実に楽しみですね!」


 ヤケクソである。

 私は自分の弁当箱を机の上に叩きつけた。さっさとお昼を全部食べてしまおう。


「おーい、瑠璃。大丈夫なの? 心夢ちゃん、すごいことになってるけど」

「大丈夫、割といつものことだから」


 私、いつもはこんなヤケクソ気味に生きていないんですけど。

 内心私は憤慨していたが、キラキラ女子に囲まれては文句など言えようはずもない。私だって別に澱んだ雰囲気を醸し出しているとかそういうのはないはずだ。


 でも彼女たちのキラキラオーラには太刀打ちできるはずもない。

 いかに私が可愛いといっても、可愛さではキラキラには敵わぬのである。


「はい、あーんして」


 そうくると思っていた。

 私は仕方なくお弁当を差し出して、あーんしてもらうことにした。


 これでは私がまるで小さな子供のようではないかと思う。むしろ私は瑠璃の奇行に付き合ってあげてるお姉さんなのだが。


 ああ、これで私のイメージがまた下がってしまう。

 でも瑠璃が凄まじく楽しそうにしているから、これはこれでなんて思ってしまう。私はもしかすると、単純というか馬鹿なのかもしれない。

 ため息をつこうとすると、唐揚げが私の口に突き刺さった。





「心望ー」

「はい」


 放課後、瑠璃と一緒に駅までの道を歩く。

 結局あの後キラキラ女子たちにまであーんをされて、私の体力は限りなくゼロに近づいている。

 早く帰りたいけれど、多分帰れないんだろうな、と思う。


「ねえ。今キスしたいって言ったら、どうする?」

「すればいいんじゃないでしょうか」

「してもいいんだ」

「なんでもすればいいよ。それで瑠璃が満足するなら」

「そっか。じゃあ……」


 はぁ、疲れた。

 ここまで疲れるのは久しぶりかもしれない。瑠璃に振り回されるのにも慣れてきたと思ったけれど、私もまだまだだ。


 静かに口を開けると、何かが口の中に入ってきた。

 舌で転がしてみると、甘い。

 それはどう考えても瑠璃の舌ではなく、オレンジ味の飴だ。


「……ふふ」

「……瑠璃?」

「あはは、ごめんごめん。ちょっと悪ふざけがすぎたね」

「……?」

「いや、心望ってどこまで私のこと受け入れてくれるんだろうなーって思って。押しに弱いみたいだから、調子に乗っちゃった」

「……???」


 えっと、つまり?

 ……。


 今日一日の奇行は全部、昨日不安にさせたのが原因とかそういうのじゃなくて、単なる悪ふざけってこと?


 ははは、ウケる。

 ……今日という今日はマジで許さん。


「わっ、私がどんな気持ちで一日過ごしたと思ってんの! 昨日寂しい思いさせたからかなーとか、元気ないのかなーとか色々たくさんいっぱい考えてたのが! 馬鹿みたいじゃん! もう知らないから!」


 ブチギレである。

 別に今日されたこと全部が嫌だったわけじゃない。それを本当に瑠璃が望んでいて、彼女のためになるのだったら、私が疲れるくらいは別にいいのだ。


 でも、でもである。

 ただ単に私で遊ぶためとか、悪ふざけとか、そういうのなら話は別だ。

 色んなものが踏み躙られたように思えて、流石に許せないと思う。


 私をからかうのが好きだってことはわかっている。わかっているけど、タイミングもあるし、限度もあるし。

 悪ふざけでトイレの前に居座るとかはほんとにやめてほしい。


「心望」

「……」

「……心望」


 そっぽを向いて歩くと、彼女に手を掴まれた。

 それでも無視して進もうとすると、前に回り込まれる。

 む。


「調子に乗っちゃったのは確かだけど、心望と一緒にいたかったのも、嘘じゃない。やりすぎたのは、ごめん。でも、私は心望と一日一緒にいられて嬉しかった」

「……本当に?」

「うん。昨日のことも、あるよ。心望がどこか、私の見えないところに行っちゃうと思ったら、不安で。……だから、どこまで一緒にいてくれるか試したかった」

「……それでもやりすぎ。すごい疲れたし」


 彼女の言葉が嘘じゃないことは、顔を見ればすぐにわかる。

 別に、ふざけていたわけじゃないならいいのだ。彼女の不安とか寂しさとかそういうのがなくなるなら、私の体を一日貸すくらいなら別に。


 でも、一度噴火した怒りの感情は簡単には消えないらしい。

 まだ頭が熱いというか、行き場を失った感情がぐるぐるしている。


「ごめん。今度からは、許可とってからにする」

「トイレの前で待ってたいーとかは許可絶対あげないからね?」

「うん。じゃあ、毎日夜と朝に電話するのは?」

「それくらいなら、いいけど」

「よかった。……今日、帰ったら電話してもいい?」

「いいよ」


 今日されたことに比べれば、毎朝毎晩電話するくらい余裕だ。

 私が頷くと、瑠璃はにこりと笑った。


「ありがと。今日はまっすぐ帰って、すぐ電話するね」

「あ、うん。待ってる……」


 瑠璃は楽しそうな様子で、軽やかに歩き始める。私はそれに引きずられるように、駅への道を歩くことになった。


 はぁ。

 なんか、ほんとにすごい疲れた気がする。

 ていうか、待てよ。


 もしかして、私と毎日電話をするという約束を取り付けるために、今日凄まじく変なことをしてきたのでは?


 なんかそういう交渉のテクニックみたいなやつ、あった気がするし。

 うーん。

 でも、まあ。いいか。


 別に嫌じゃない。毎日彼女の声が聞けるのはむしろ嬉しいと思う。彼女の声を聞くと少し安心するし、何より学校じゃ昼はあまり喋れない分、たくさんお喋りできるし。


 私は鼻歌を歌いながら歩く彼女を見て、静かに微笑んだ。

 やっぱり彼女は、笑顔が一番可愛いと思う。

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