第35話
二人で公園のベンチに座って、何をするわけでもなくぼんやりと夜の闇を見つめる。
私は自販機で買ったレモンスカッシュを勢いよく飲んでから、彼女の方を見た。
「実はさ。私、家族以外に誕生日を祝われたのって小学生ぶりなんだよね」
「そうなの? 瑠璃って人気あるから、皆に祝われてるんだと思ってた」
「ううん。最近は人に誕生日も教えてないしね」
確かに、瑠璃が誕生日を祝われているのは見たことがない。
春休み中に誕生日が来るためでもあるとは思うが、そういう場合は始業式の日に祝われるのが常だ。
現に私は誕生日を大抵始業式の日に祝われている。
でも、どうして瑠璃は誕生日を人に教えていないのだろう。
何か込み入った事情があるのかもしれないから、迂闊に聞くことはできない。
「……祝われていいのかなーって、中学生くらいから思うようになってね」
「……え」
「私、自分でも自分のことがよくわかってなかったから。勉強だって本当は純粋に好きなわけじゃなくて、周りより優位に立ちたいからしてるだけかも、とか思ったりね」
そういえば、瑠璃は前にそんなことを言っていた。
だけど、私は違うと思う。勉強をしている時の彼女の顔は単純な楽しさと真剣さで満ちている。
そこに誰かを見下したいとか、優位に立ちたいとか、そういう感情は見当たらなかった。
巧妙にそういう感情を隠しているだけかもしれないけれど、それはないと思う。これまで瑠璃をたくさん見てきたから、確信を持って言える。
瑠璃の好きは、純粋で綺麗なものだって。
それに、別に見下す目的でしていたっていいじゃないかと思う。どんな理由や目的があっても、頑張っていることは確かなのだから。
「本当に友達を友達と思ってるのか、とか。格好つけて見下してるんじゃないかとか、色々不安になっちゃって。……思春期っぽいでしょ」
彼女はにこりと笑う。
自嘲、ってわけでもなさそうだ。
もう悩んでいないのかな、と思う。今の彼女の表情は、悩んでいる人間にしては清々しい。
「でもさ。どこかの誰かさんが私のことを無邪気に信頼してきたから。かっこいいとか、見下しててもいいとか。ほんと、同い年とは思えないくらい純粋で、無邪気で。……あんなに言われたら、信じたくなっちゃうじゃん」
瑠璃はそう言ってから、私の手を握ってきた。
私はペットボトルをベンチに置いて、じっと彼女の目を見つめる。
彼女の瞳はまっすぐだ。
綺麗で、澄んでいて、いつまでも見ていられるほどに。
「ありがとう、心望。心望がいてくれたから、祝われてもいいって思えるようになった。……心望に祝われたおかげで、不安が全部なくなちゃった」
「そ、そっか。ならよかった。うんうん。流石私!」
「本当に。大好きだよ、心望」
「だっ……!?」
いきなり好きとか言われると、困る。
べた褒めされた恥ずかしさをナルシスト発言で誤魔化そうとしたのに、それも無意味になってしまう。
熱さを振り払うようにぱたぱたと顔を手で扇ぐと、瑠璃は笑った。
「あはは、照れすぎ。恋人同士なのに、好きって言われたら照れるんだ?」
「べ、別に!? 瑠璃が私のこと好きで好きで仕方ないことくらい知ってるし! 今更照れないし驚かないし余裕だし!」
「ふふ。そっかそっか」
照れる。熱い。
彼女の笑顔がいつも以上にキラキラで、どうにかなってしまいそうだった。
「も、もう私帰るから! ほんとに誕生日おめでとう! じゃあね!」
立ちあがろうとすると、彼女は私の手首を掴んできた。
そして、スマホの画面を見せてくる。
「終電、もうないよ? 歩いて帰るの?」
「え?」
時刻は現在0時30分。
電車はもう出ていない時間だ。
……。
まじか。
「お、終わった。……た、タクシーで帰るとか?」
「そんなお金あるの?」
「ないです……」
あるわけない。私の持っているお金はほとんど漫画代に消えているから、タクシーなんてとてもじゃないけど乗れない。
どうしよう。
「……これはもう仕方ないね。私の家に泊まっていきなよ」
「いいの?」
「いいよ。まあ、お代はいただくけど」
「え」
友達なのに?
ていうか前に泊まった時はそんなこと言ってこなかったじゃん。
もしかして最初からお金を奪うために話をしようなんて言ってきたのか。なんたる罠。言っておくが私はそんなにお金は持っていないぞ。
「心望は私のプレゼントなわけだし、抱き枕にでもなってもらおうかな」
「え、プレゼントになるのは昨日限定じゃ……」
「そんなこと一言も言ってないよね?」
……確かに。
えー。
なんか、やだ。変なことされそうだし。いや別に今は恋人なんだから変なことされてもいいのかもだけど。
「や、やっぱ歩いて帰る!」
「だから駄目だって言ってるじゃん。誕生日プレゼントが持ち主から離れちゃ駄目でしょ」
「プレゼントである前に人間なんですけど! かーえーらーせーてー!」
「もう、うるさいな。夜遅くにそんな騒いだら近所迷惑でしょ」
文句を言う私の唇を、彼女の唇が塞ぐ。
キスには慣れているけれど、いきなりのことだったから少し驚く。彼女の顔が離れていった後も、私は言葉を失ったままだった。
「ほら、私の家に帰るよ。……誕生日プレゼントになってくれるの、今日まででいいから」
「……む。今日までなら、なってあげてもいいけど」
「決まりね。行こ」
「……うん」
本当に強引だ。
嫌だと言えば嘘になるけれど、色んな意味でドキドキして仕方がないからちょっとやめてほしいとも思う。
だけど手を優しく握られるともう抵抗する気も起きなくて、今日も一緒にいられるならそれでいいかという心地になる。
瑠璃になら、私を好きにしてもらってもいい。
今になって私は、そう思った。
結局その後私たちは二人で瑠璃の家に戻り、シャワーを浴びてから一緒に眠った。
てっきり前に彼女の家に行った時みたいに変なことをされるものだと思っていたけれど、意外にも何もされなかった。
でも彼女に抱きしめられて一晩を過ごしたせいで、いまいち安眠することができないまま朝を迎えることになった。
別に変なことをしてほしかったわけではないけれど。
されなかったらされなかったで拍子抜けなわけで。
本物の恋人なんだからしてきてもいいよ、なんて思うだけ思ってはみたものの、流石に言葉にするのは恥ずかしかった。
でも、朝起きた後も彼女と一緒に一日を過ごすことができたから、私は満足だった。
特別なことをしなくたって、二人でいられれば幸せだ。
……物足りないなんて、決して思ってはいない。
私はそんなに、むっつりじゃないし。
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