3-11 ♂ 櫻井みなたの告白 ♀

「――ミナタ?」

 

 声が聞こえて。

 突っ伏すように公園のベンチに座っていた俺は顔をあげた。


「あ……龍、斗」

 

 久しぶりに声を出した気がする。

 俺のつぶやきは、ようやく龍斗に会えた安堵あんどと、それまでの不安とがごちゃまぜになってひどく不安定に夜の空気の中に響いた。

 

「っ――!」

 

 龍斗の息はずいぶんと切れていた。

 顔をしかめながら、俺のいるベンチへと近寄ってくる。


「いま、何時だとおもってるの?」

 

 と龍斗が言った。いつもより低くてかたい声だった。


「何時、って……」

 

 俺はちらりと時計台をみる。

 想像したよりずっと時間が過ぎていた。

 夜も相当に深い時間帯だ。


「何時だとおもってるの」と龍斗は繰り返す。

「あとはもう、ここしかなかったから」と俺はおそるおそる言った。

「……?」

「ここにいたら、龍斗が来てくれると思ったから」

「――来なかったら、どうするつもりだったの」


 龍斗は問い詰めるように言う。

 

「わからない。でも……」俺はそこであらためて龍斗のことを見て言った。「ちゃんと、きてくれた」

「……!」


 龍斗は一瞬目を見開いて。

 珍しく叫ぶように言った。


「ミナタの、ばか……!」

「え?」

「ボク、。おこってたから、ミナタには今日は会ってやらないって決めてた。……それくらい、きづいて」

「……ごめん」


 俺は目を伏せて続ける。

 

「ご、ごめん。ごめんな、さい……」

 

 ほどなく俺の瞳から涙がこぼれはじめた。


「ミナタ――?」

「謝らなきゃいけないのは、今日のことだけじゃない。昨日も。ううん、龍斗と最初にこの公園で日課キスをしてからずっと……俺、龍斗に〝嘘〟をついてた。取り返しのつかない、ふたりのことを傷つけるような嘘を、ついてた……だから。ごめんなさいっ……う、ぐ……っ」

 

 龍斗は唇を結びながら、涙交じりの俺の言葉をじいっと聞いていた。

 やがて短い息を吐いて言う。


「ん――泣くのは、ずるい」

「え? ……あ」

 

 俺はそこで初めて自分が泣いていることに気がついた。

 慌てて薄い桜色のハンカチを取り出し目の端にゆるくあてる。

 

「……ごめん」

「ん。もういい。じゅうぶん、おこった」と言って龍斗は俺の隣に座った。「まえと、逆」

「逆……?」

 龍斗は頷いて、「まえは、ここで――ミナタにおこられた」

 

 ふと思い出す。龍斗と愛音のふたりが、俺にナイショで街に出かけていて、そのことを問い詰めたら誤魔化されたときのことだ。


「べ、べつにっ! ……あれは、怒ってない」と俺は意地を張るように言った。

「ふ――それも、おこってたひとの言いかた」と龍斗は口の端をあげた。

「……うー」

 

 そのやり取りで、ずいぶんと俺たちの間の空気はゆるんだ。

 こころなしか背後の草むらの虫たちの合唱も、おだやかな音色に変わったような気がする。

 

「そういえばミナタ、髪型かみがたかえたの?」と龍斗がきいてきた。

「え? ……あ。そうだった」

 

 言われて思い出した。

 龍斗のこと探しながら、途中で動きやすいようにまとめたんだった。


「戻さないとな」

「どうして?」と龍斗が目をまたたかせた。「そのままでいいのに」

「うー……戻すったら戻す」と俺は軽く歯ぎしりしながら言う。「ちょっと待っててくれ」

 立ち上がろうとしたのを龍斗は制して、「ここじゃだめなの?」

「……メ、メイクも。なおしたいから。昼間は走り回ってたのに、一回もなおしてないし。さっき……泣いちゃったし」

 

 しかし龍斗はどこまでも無邪気に言う。

 

「べつにわざわざ別の場所いかなくても。ボクとミナタしかいないんだし。ここでなおせばいいよ」

「うー……わ、わかった」

 

 俺はなんの飾りもないシンプルなヘアクリップを外してくしでとかしつつ、髪型をお気に入りのリボンでふたつ結びにした。

 ポーチから化粧道具を取り出して、小さな鏡に映しながらメイクをなおしていく。

 

「……あ、あんまり、見るなよ」と俺は横目を向けて言った。

「ん――ごめん。つい」

「終わるまで、あっち向いててくれ」

「ボクは気にしないけど」

「こ、こっちが気になるんだよっ」

「ん――別にいいのに」


 龍斗は釈然としないようにしつつも背中を向けた。


「でも――すごいね。ボクにはとてもできなさそう」

「女になったら、お前もできるようになるさ」と俺は皮肉に言った。

「あの大雑把おおざっぱだったミナタでもできるから?」

「……う、うるせー」

 

 俺はなんだか恥ずかしくなった。

 顔にも熱がたまってきた気がする。

 

「お、終わったぞ」

「もういいの?」

「……もう、いい」

 

 龍斗がこっちを向いて、俺のことを見つめた。


「な、なんだよ?」

「ん――あんまり

「……っ!」

 

 ぽん、と龍斗の肩を叩いて俺は言ってやる。


「うー……ばかっ! そんなことわざわざ言うなっ」

「ごめん。冗談」


 龍斗は片方の頬をあげてから、あらためて俺の顔を眺めた。


「いつものミナタみたいだけど。なんだかちょっと、……?」

「……!」

 

 俺はどきりとして目を見開く。

 そうだ。今は暗めの場所でもえるように意識してメイクをなおしたんだった。


 手持ちのコスメしかないから限度はあったけれど。

 チークはしっかりと発色する赤味を加えてみたし。アイメイクも濃いめにした。ハイライトも乗せて、全体のバランスを見ながら深い色のリップも選んだ。

 

 でも。べつに。

 そんな細かい部分に気づいてくれなくたっていい。


「そうか。おとなっぽい、か」

 

 たとえ〝雰囲気〟だけでも、伝わってくれたら。

 ――それでいい。


 そんなことを思った。そしたら。


「でも――かわいいよ」


 龍斗は。加えて。


「……っ‼」

 

 そんな100点を超えるひとことまで、くれたんだった。


「――あり、がと」と俺は目を伏せて、小さめの声で言った。


 しばらく心地よい沈黙が流れた。

 夜の風は適度な湿気をはらんで、生ぬるく肌をなでている。


「それで――話って、さっきのこと?」と龍斗がきいた。

「あ、いや。他にも……あって」

「なに?」

「その……えっと……」

 

 俺は胸の前で指を絡めて、また膝の上に戻した。

 龍斗に〝言わなきゃいけないこと〟がある。なのに。

 

 肝心かんじんな部分を言葉にしようとすると――

 喉元で詰まって出てこない。


「あの……その……っ」

 

 口をぱくぱくと開閉かいへいしていると、龍斗がおかしそうに微笑んだ。


「べつに、むりに言わなくていいよ――ん」

「え?」

 

 龍斗は鞄からいつものCDプレイヤーを取り出して、片方のイヤホンを差し出してきた。


「きく?」

「……きく」と俺は頷いた。

 

 プレイヤーは俺と龍斗の間に置かれた。

 そこから二股ふたまたに分かれたコードが俺たちのことを繋いでいる。


 イヤホンからは洋楽が聞こえていた。郷愁きょうしゅうを感じるアコースティックのギターサウンドの中に、芯のある歌声が響いている。


 今日みたいな星と月が出ている夜によく似合う、エモーショナルな雰囲気の楽曲だった。


「あ、そういえば」と俺は思い出して言った。「どうして、龍斗はちゃんと公園に来てくれたんだ? 怒ってたんだろ?」

「ん――」


 龍斗は頬をかきながら、すこし躊躇ためらうように言う。


「ミナタはだから」

「……なっ⁉」

「日課の約束のことをばかみたいに信じて。ボクがおこってるっていうのもわからずに、ずっと夜の公園でひとりで待ってたらどうしようって、不安になって――それで、来た」

「……龍、斗」

「そしたら、ほんとにいた」

「……ばかだから?」

「そ」と龍斗は短く言った。「ばかで、がんこで――かわいい、親友」

 

 親友、という言葉に一瞬ちくりと胸が痛んだけれど。

 それでも彼に悪気わるぎはない。彼は単に――だけだ。


「やっぱり龍斗は、優しいな」


 言葉にしなきゃ伝わらない。だから俺はきちんと口にした。

 

「べつに。やさしくない」

「優しいさ」

「やさしくなんか……ない」と彼は繰り返した。

 

 そのときの龍斗は、なんだか不思議と悲痛ひつうな雰囲気を漂わせていて。

 

 彼の横顔は。寂しそうで。哀しそうで。

 

 そのまま、どこか遠くの世界へ。

 なにも言わずに。今日みたいに。去ってしまいそうな気がして。


 溶けて消えて、急にいなくなってしまうような気がして。思わず。

 

「――龍斗っ」

 

 俺は。

 龍斗の手の上に。

 自らの手を。

 重ねた。

 

「……ミナタ?」

 

 驚いたように龍斗はこっちを向いた。

 俺は一瞬だけ気圧けおされたけど、負けないように手に力をこめた。


「いかないで……くれ」

「え?」

「もう、どこにも……いかないで、くれ」

 

 龍斗は不思議そうに目をしばたたかせる。


「ボクはどこにも、いかないよ?」

「そういうことじゃっ……なく、て……」


 ひりひりと喉が渇く。言葉は内側に張りついて出てこない。

 

 だけど。今言わないと。

 今正直にならないと。

 

 ――〝自分に嘘をつく日〟は、どんどん積み重なってしまう。

 

 そうして積み重なった嘘は――

 やがてだれかを、壊してしまうことになりかねない。


「……っ!」

 

 親友だとしても。

 言葉にしないと伝わらないのなら。

 

 はっきりと――口にださなきゃいけない。

 声にしなきゃいけない。

 

 今この瞬間に。感じる想いを。正直に。

 

 

「――龍斗っ」

 

 

 俺は顔をあげた。

 

 龍斗の顔が近くにある。長いまつげ。すらりとした鼻。整った顔。公園の無機質な外灯と、遠くに浮かんだ星の明かりに照らされて。まるで銀幕ぎんまくの世界の登場人物のようにもみえる。


 淡い色の癖毛くせっけ。空虚にも思える瞳。そして俺は。


 ――その中に、と思う。


 片方の耳の中で音楽が鳴っている。

 どくん、どくん、どくん、どくん。今にも爆発しそうな心臓の音と重なっていく。

 

 きゅう、と俺は龍斗の手を握り直すように力を入れる。龍斗の手はあたたかい。思ったよりもごつごつしている。男の子の手だ、と思う。手に汗が滲む。それが龍斗の手にもつたっていくことを思う。


 キミは驚いたような顔を浮かべている。

 口元が動いた。なにかを言っている。

 けれどそれは俺の耳には入ってこない。キックドラムよりも激しい俺の心臓の音にかき消される。


 どくんどくんどくん。俺は龍斗との距離をより縮める。


 どくんどくんどくん。身体をずらした拍子に、手がプレイヤーの音量調節ボタンに触れた。


 どくんどくんどくん。音量が次第に強く大きくなっていく。


 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん――


 音楽と心臓の拍動が最高潮に達したところで。俺は。

 

「――っ‼」

 

 龍斗に向かって。その背中に腕を回して。

 

 おもいきり。


 


 

「りゅう、と――」

 

 

 がしゃん。

 CDプレイヤーが地面に転がる。イヤホンが耳からはじけ飛んだ。

 

 音楽が消えた。一瞬のうちに静寂せいじゃくが世界に満ちる。

 その瞬間を逃さないようにして。俺は。

 

 龍斗の耳元で。

 言った。


 

「きっと、俺、お前のことが――


 

 そして世界は。

 静止した。


 


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