1-4 ♂ 鏡に映るは美少女のすがた ♀

「おーい、みーくん?」

「……あ」


 愛音あいねに呼ばれて俺は我にかえった。

 

「わり、ぼーっとしてた」

「あはは。本当はサボってたんじゃない?」

「ち、ちげーよ」


 俺たちは例の山小屋の中に入ると、窓を開け放し空気を入れ替え、蝉の大合唱をBGMに保管物の整理を始めた。(俺と愛音は西側、龍斗は東側の部屋を担当することになった)

 

 迷路のように設置された棚には、様々な書籍や古道具の類が置かれている。


「ねえ、みーくん」背後の棚を整理していた愛音が言った。

「ん? なんだ」俺は作業を続けながら答える。

「もうすこししたら、夏休みだね」

「ああ、そうだな」

「夏が――来るね」

「……やけにもったいぶるな」と俺は鼻から息を抜いた。

「あのさ、みーくん。夏休みになったらさ、その――」

「なんだよ」

に――行かない?」


 蝉の声が乱れた。

 すぐに他の蝉がやってきて少なくなったぶんを埋める。

 

「夏の旅行か――いいな」


 俺は作業の手は止めずに。


「楽しそうだ。来年だと受験でそれどころじゃなさそうだしな」

「ほ、ほんと?」

「ああ――」


 言った。

 

「あとで、の予定も合わせようぜ」

「……あ」


 そこで愛音が、どこか遠くの世界にいるかのような声をあげた気がしたが――

 俺は手にしていた皿を落としそうになってしまい、彼女の表情などを深く確かめることはできなかった。

 

「……うん。そうだね」


 愛音がもとの世界に帰ってきて、言った。


「りゅーとも、一緒に」

「おー。楽しみが増えたぜ」


 幼馴染3人揃っての旅行を想像して口元を緩ませていると、その龍斗から声がかかった。『ミナター、こっちの部屋きて』


「ちょっと待っててくれ、今行く」


 俺は作業を一時中断して立ち上がる。

 ちょうど後ろの通路に愛音がいたが……手が止まっているように見えたので、『お前こそサボんなよ』と笑って言って横を通り過ぎた。


 そして部屋を出ようとしたところで――

 

「――いだっ‼」

 

 棚の上段から俺の身体を掠めるように、何やら木箱のようなものが降ってきた。

 

「きゃっ⁉ みーくん、大丈夫っ?」と愛音が心配の声をくれた。

「う……ああ。ちょっと擦りむいただけだ」


 頭への激突は避けられたが、腕の部分に傷を負ってしまった。

 すこし間をおいて血が滲むように出てくる。


「ったく。なんだよ、一体……あ」


 上を見上げて目を凝らすと、そこには。


『――にゃあ』


 さっきの白黒猫が棚に座っていた。どうやらこいつがらしい。

 尻尾を優雅に揺らして、心なしか俺を小馬鹿にするような視線を向けている。

 

「うー……てめえ! さっき噛みついた上に、さらに追加攻撃までしてきやがって……痛っ」


 遅れてひりつくような痛みが走った。腕を見ると、ちょうど溜まった血が雫となって地面に落ちていくところだった。その先には猫が落とした箱の中身が散らばっている。古めかしい書籍が何冊か。内部を仕切っていた板。緩衝材の役割を果たしていたらしい木くず。その中でも嫌に目を引く、やけに古めかしい紙で梱包された〝手のひら大の物体〟に向かって――


 俺の血が、落ちた。


 ぽおおおおおおん。


 と。夕焼けに染まる音楽室で鳴るピアノのような音が聞こえた気がした。

 血が触れた部分に一瞬光が滲み、それが包装紙全体へと広がっていく。


「……あ。しまった。汚しちまったか?」


 手を取って確かめるが――どこにも血の跡はついていない。まるで中に吸い込まれてしまったみたいだ。


「つうか中身、割れたりしてないよな……?」


 俺は心配になり包装をほどいていく。


「あれ? ……みーくん」

「ん、どうした」

「外……こんなに暗かったっけ?」


 愛音に言われて俺も窓に目を向ける。確かに。

 太陽が雲に隠れたわけでもない、空全体のトーンが一気に落ちたような不思議な暗さだった。あれだけうるさかった蝉の声も一切聞こえない。まるで世界から俺たちのいる場所だけが切り離されてしまったようだ。


「ねえ……なにか変だよ」と愛音が心配そうに言う。「今日はもうやめにしない? りゅーとにも言ってさ、早くここから離れたほうがいいよ。なんだかそんな気がするの」

「ああ……そうだな」俺もただならぬ気配を感じて顔をしかめる。「すこしだけ待ってくれ。こいつの中身だけ確かめてから――よかった、無事みたいだ。……あ。つうかこれ、龍斗が言ってた【首飾り】じゃないか?」

「みーくん!」

「ん?」

「――それっ」


 愛音が驚愕の表情を浮かべるのも無理はない。

 俺が手にした首飾りは、今や夜のとばりが降りたかのように真っ暗な空間で――


 煌々こうこうと〝光〟を発していたのだから。


「のあっ⁉ なんだ、これ……!」


 思わず手を離す。しかし首飾りの位置は変わらなかった。その場に


「と、飛んでる……⁉」

「みーくん、離れてっ!」

「なっ⁉ うおおおおおっ⁉」


 叫んだと同時。

 首飾りを中心に――光が爆発した。


「っ⁉」


 振り払うこともできず、逆らうこともできず。

 俺の身体はその極彩色の光の奔流ほんりゅうの中へと飲み込まれていく。


「みーくん――‼」

 

 全身が光に包まれていく。身体が熱い。地響きだろうか、唸るような轟音が聞こえる。世界が震えている。あるいは俺のいる空間そのものが拍動している。それに合わせて俺の心臓はたぎった血液を全身に向けて押し出していく。毛穴があわ立つ。息が苦しい。しかし同時に――、とも感じる。自身の身体をつんざく鮮やかな光の束が、細胞のひとつひとつに深く染み渡っていくような感覚がある。がある。もうなにも考えられない。


「……っ!」


 刹那、どおんという雷鳴が聞こえた。雷? 何がどうなっている? 分からない。わずかに残った視界の端、稲光に照らされた窓の外で――白と黒の猫が『にゃあ』と鳴いた気がした。


 その光景を最後に。

 俺の意識は遠のいていった。ブラックアウト。


 

      ♡ ♡ ♡

 


「みーくんっ!」

「ミナタ、大丈夫……?」


 幼馴染ふたりの声が聞こえる。俺はおそるおそる目を開いた。

 どうやら俺はまだ生きているらしい。


「……わりい。大丈夫だ。ったく、なんだったんだ、一体……って」


 しかし――自分の〝声〟に妙な違和感があった。いつもよりも甲高い。


「なんだ、この声……んっ」


 確かめるように喉に手を当てる。


「うー……なんだか首元がしてる気がするな……え?」


 視界に飛びこんできた手にも不和を感じた。いつも見ているよりも白くて、ふたまわりほど小さい。


「――うん?」


 というかさっきから、目の前の幼馴染ふたりはどうしたんだ?

 目を思いきり見開き、震える指を伸ばして、口はあわあわと開閉している。まるで未確認生命体U・M・Aでも見つけた時のようだ。

  

「なんだよ、本当に鬼か蛇でも出たのか? ……ん、やっぱり声が変だな。耳になにか詰まってるのかもな」


 首を振ろうとして、自分の下半身に目がいった。


「は……? なんだ、このした布は」


 俺がさっきまで履いていたデニムパンツ(バーゲン品)じゃない。

 小さな花柄があしらわれた、少なくとも俺のタンスの中では見たことのないさらりとした生地が、足元に向かって広がるように面積を増している。


「……!」「……、……!」


 俺は答えを求めるように愛音たちを見た。

 しかしふたりは信じられないものを見るように変わらず顔を引きつらせている。


「ったく、なんだよ。言いたいことがあるなら早く言ってくれ、不安になるだろうが」

「……ねえ。本当に、みーくん、だよね?」

「あ? 何言ってるんだ、当たり前だろ」


 まったく。変なことを言いやがる。

 


 しかしふたりは驚きの表情を崩さない。

 最初に動いたのは龍斗だった。思いついたようにひとつ手を打って、近くの棚から姿見を引っ張り出してきて俺の目の前に置いた。


「説明するよりも――見た方が、はやい」

「はっ。説明ってなんのだよ……え?」


 見た方が早い。

 そんな龍斗の言葉は――どこまでも、正しかった。


「ん? ……あ?」


 俺がなにかを喋る。

 すると鏡に映ったも口を開閉する。


 俺が腕や足をあげる。

 すると鏡の中のも同じように手足を動かす。


 当たり前だ。

 何か特別な仕掛けでもない限り、鏡というのは〝自分自身〟を映し出すものなのだから。


「……は?」


 そして、今目の前の鏡の中には――

 ほかの学校頂点カーストトップの幼馴染ふたりと並んでも、一切見劣りしない。


 

 女の子の〝カワイイ!〟を凝縮したが――映っていた。


 

「はああああああああああああああああ⁉」


 

 俺の叫び声は、やっぱりどこまでも聞き慣れない甘いものだった。


 


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