1-8 ♂ あくまで生理現象だから仕方ないよねっ ♀
「確かに、これはいくら時間があっても足りなかったかもしれないな……」
俺は机にうなだれながら言った。
仮にもカノジョである
マンションの中を探索しながら、そこにあるものをひとつずつ確認していく。当然ながら〝女子関連〟のものは、俺が男だった時の部屋には存在しなかったため、その都度こまやかに愛音が説明をしてくれた。
特に
「なあ……女子って毎日こんなことしてるのか……?」
基本のメイク講座をひととおり終えて。
俺は『心・身・脳』すべてをぐったりと疲弊させて言った。
「ふふ。慣れたらそのうち楽しくなってくるよー」と愛音は笑った。「それに、みーくんはこんなに素材が良いんだからっ。活かさないともったいないよ」
「……俺は、男だ」
「今は女の子、でしょう?」
「うー……」
否定できないことが悲しかった。
今の俺は女の子だ。誰がどう見たって。誰にどう聞いたって。
100人が100人そう答えるだろう。
「………………」
「あれ? みーくん、どうしたの? なんだかさっきから
「へっ? な……なんでも、ない」
まずい。
気づかれた。
「どうしたの? 顔色もすこし悪そうだし……もしかして、体調悪い?」
愛音が心配そうに顔を覗き込んでくる。
俺は目をそらして、途切れ途切れに言う。
「大丈夫、だ。気にしないで、くれ」
指摘をされたら余計に気になってきた。
俺は身をよじるようにしてお腹に力を入れる。太ももを擦り合わせる。ふだんはそこにあるはずの
「みーくん? はっ……もしかして」
愛音も気づいたようだ。
俺の様子がさっきからおかしい原因。
「なあ愛音。講座ついでに、聞きたいことがあるんだが」
それは――
「女子が、と……トイレに行かなくても済む方法を、教えてくれないか……?」
どうしようもなく下半身を
「……っ!」
愛音は頬をぱっと赤く染めて、目を見開いて、『うううううん』と一瞬考えこむようにしてから、
「えへ――無理、かな」
と恥ずかしそうに首を振った。
「女の子も人間だからね。っていうか! 我慢は身体に悪いよ? どうせいつかはしなきゃいけないんだし……ねっ? がんばってやってみよー」
そんな『ためしにやってみよー☆』みたいに軽いノリで言われても。
「……む、無理だ!」
俺からしてみれば大問題でしかないのだった。
「元男の俺にとっては、このカラダで用を足すのはハードルが高すぎる……うっ⁉」
しかし膀胱には容赦の2文字はないらしい。
俺は内また歩きで涙ながらにトイレへと駆け込んだ。
♡ ♡ ♡
「どう? 順調……?」
トイレの扉一枚越しに愛音が聞いてきた。
「……まだ、だ。これ、から」
俺は身をよじりながら答えた。
いつの間にか呼吸が荒くなっている。
何度もコトを試みようとしてみたのだが――
俺は最後の一歩を踏み出すことができず、扉を開けて廊下に出た。
「や、やっぱり無理だ……!」
「みーくん?」と廊下に立っていた愛音が目を丸める。
「うー……どうしても踏ん切りが、つかないんだ」
「でも、それでどうするつもり?」
「……もう少し、がまんする」
「がまんして? そのあとは?」
「……うー」
俺はそれ以上答えることができない。
(たしかに愛音の言う通りだ。人間である以上は、
洗面台の鏡に俺の顔が映る。視線がぐるぐると泳いでいる。冷や汗が滲んでいる。頬が赤くなっている。もう限界だ。色々と。
「……ふう。しょうがないなあ、みーくんは」
そんな俺の様子を見かねたのか。
愛音が優しい溜息をつきながら言ってくれた。
「じゃあ……一緒に、する?」
「へ?」と俺は目をまたたかせる。「はあああっ⁉」
「あ、へんな意味じゃないよっ?」
ヘンな意味にしか聞こえなかった。
「扉越しにね、指示を出してあげる。だってさ? 仮に今、一時的にここから逃げ出したとしても、いつかは絶対に乗り越えなきゃいけないんだよ? だから、一緒に……ね?」
言葉だけなら『同じ目標に向かって共に頑張ろうとする青春物語』のように聞こえるかもしれないが、実際はトイレに行くのを拒否して単に駄々っ子をキメてるだけだ。
それでも。
「うー……わかった。愛音と、
「うんうん、いい子だね」
とまさしく小さい子を褒めるかのように愛音は笑みを浮かべた。
俺はふたたびトイレの個室の中に入る。
扉越しに愛音の囁くような声が聞こえてくる。
「みーくん。私の言う通りにするんだよ?」
「……ん」
「まずはスカートの裾を、持ち上げてみて」
俺はゆっくりと深呼吸をしてから――スカートに手をかけた。
「も、持ち上げ、た」
「そしたら前で束ねて、片方の脇に抱えこむようにするの」
「……し、した」
「片手があいた?」
「……おう」
「じゃあその片手で――
「っ⁉」
おろしてみて。
何を? とは聞かなかった。
聞かずとも。
分かったから。
「うー……っ!」
俺はこくりと唾を飲み込み、意を決して。
ピンク色のパンツを。
つるつるとした生地の神秘の布を。
爪先でくいと
――おろしていく。
「ゆっくりで、いいからね」
「……ん」
「ゆっくり、ゆっくり。膝下くらいまで」
「……さげ、た」
「うんうん。そしたら、抱えた服の裾がつかないように――すわって」
すわった。
「そしたら――全身の力を、ぬいて」
ぬいた。
「……んっ」
限界ぎりぎりまで我慢していただけあって。
「ぅ、ああああ……」
同時に。
骨の髄から全身に滲むように解放感が広がっていく。
「はああああああ――」
口から不可避的に安堵の声が漏れる。
漏れて――止まった。
「……お、おわった、みたいだ」
「ん……」と愛音はそこでどこか恥ずかしそうな
「うん? なんでだ……?」
「……ばいきんが、ついちゃうから」と愛音はすこし言いにくそうにした。
「ばいきん?」
俺は頭の中で『後ろ→前』に拭いた時のイメージをしてみた。してみて……愛音が気まずそうにしていた理由を察し『わ、わかった……!』と慌てて忠告を受け入れた。
――じゃああああああ。
ひととおりの
洗面台で手を洗って。タオルで拭いて。
扉越しにずっと優しく声かけてくれていた愛音の前に立った。
「――おわった?」と愛音がきいた。
「……おわった」と俺は小さめの声で答えた。
「ちゃんとできたんだね。えらいよ、みーくん……!」
「――お、おう……!」
愛音に褒められたことで、
「俺……できた、できたぞっ……! あれだけ無理に思えた高い山を、登ることができたんだ……!」
達成感から謎のハイテンションになりつつ、俺は愛音と抱き合い喜びあう。
「よくできたねえ、みーくん。すごいすごいっ」
「ああ、よかった……これでしばらくは、
ただ『トイレができた』というだけなのに。
俺の目にはいつの間にか涙が滲んでいた。感動の涙だ。
そんなふうに喜びで打ち震えていたら――
「うんうん。そしたら、この流れで――〝次〟いってみよっかっ」
「……え?」
愛音は。
俺のことを『えらいねえらいね』と褒める笑顔の延長線上で。
まさしく幼児をおだてるように言った。
「今度は
富士山を超えたあとには
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