第49話 RAID-1

「お疲れ」


今日もせっせと椿亭に妻の顔を見に出かけて行く椎名と別れて、一人カフェテリアの片隅で洋食のランチプレートをかきこんでいたら、白衣姿の羽柴がふらっと姿を見せた。


アジフライ定食のランチプレートを手に、前の席に腰を下ろす。


と、すぐに同じく白衣姿の研究員が数名カフェテリアに入って来た。


会議でも長引いたのだろう。


「お疲れ。なんかお前の顔見るの久しぶりだな。籠ってた?」


研究員は朝から晩まで研究所ラボに詰めているので、同じ会社に勤めていても顔を合わせない事の方が多い。


歩実のように、他部署との連携が多いセクションなら話は別だが、槙と羽柴は、メディカルセンターの中でもとくに他所の部署を覗きに行くことが無い仕事をしているので、会うのはひと月以上ぶりだった。


上がって来た申請で名前を見て、お、出勤してんな、と確認する程度である。


「それは俺のセリフ。夜勤対応多かったんじゃない?」


羽柴からの問いかけに槙は軽く首を横に振った。


「いや、最近はそうでもない。つかうちもとうとうリモートワーク導入したからさ」


その話すらしていなかったのだと思い出した。


「え、出来るの?」


「一応な、ネットワーク構築して、あとは椎名さんが上を黙らせた」


センター長の親族である椎名は、メディカルセンターの立ち上げから関わっている社員で、色々と融通が利くのだ。


当然、持ち出せないデータが大半なので、完全にリモートワークに切り替えすることは不可能だが、週に2度は自宅で仕事が出来る環境が整っただけでも有難い。


「・・・椎名さんすごいな。あの人グループ役員なんだろ?」


「ああ、みたいだな。でも詳しいことは知らん。つか興味ない」


「まあ、槙はそうだろうね・・・・・・あ、そうだ、こないだ菊池さんと立ち話したよ。俺、槙より菊池さんと顔合わせてることのほうが多い気がするな」


研究所ラボの施錠確認や機器搬入なんかでたびたび施設管理と研究所ラボはやり取りがあるのだ。


残念ながら、セキュリティールームに歩実が来ることよりも、研究所ラボに歩実が足を運ぶ機会のほうがずっと多い。


仕事なのだから、当然だ、とは思うものの、ここ最近歩実を自宅に呼べていないせいもあって、明らかに不機嫌顔になった。


一時は、月曜の朝一で搬入作業があった為、毎週末彼女は槙の部屋で過ごしていたのだが、ここ最近早朝搬入がないため、歩実が槙の家に泊まる理由がないのだ。


理由なんてなくとも、いつでも好きなだけ来てくれればいいと思うのだが、一人時間も大事にしたい、とハッキリと告げられているせいで、しょっちゅう彼女を呼びつけにくいのだ。


前の彼氏と別れてからの数年で、すっかりお一人様に慣れてしまった歩実の私生活は、一人でも十分楽しく過ごせるらしい。


彼氏が必要ないくらいに。


これまで口にしたことの無い女々しいセリフを吐きそうになって、また泊まりにおいでと無理やり笑顔を貼り付けてみたものの、一人の休日に槙がやることと言えば、ネットゲームくらいのものだ。


ここ数年ずっとオンラインで仲良くしている顔の知らないネトゲ仲間に、つい先日初めて、毎週末のようにログインしているが、私生活は大丈夫なのか、と質問を投げたら、彼女は部屋の隅で絵を描いているので、こちらには干渉してこない、という返事が来た。


同じ部屋にいながらそれぞれが別々のことをして楽しく休日を過ごしているカップルもいるのだ。


同じように自分たちだって出来るはずである。


そういえば、羽柴の年上の彼女も自立した公務員で、人生設計をしっかり持っていそうな女性だった。


付き合い始めた、と聞いてから暫く経つが、その辺りはどうなんだろう。


何となく、歩実と羽柴の恋人はタイプが似ている気がする。


「智咲さんだっけ、元気?」


「うん。仕事忙しくしてるよ。そうそう、その話したかったんだよ」


水を向けられた羽柴が、アジフライを飲み込んでから改まった表情でこちらを見て来た。


上品というか繊細というか、女手一つで育てられたことが納得の雰囲気を持つ羽柴は、食事の仕草も丁寧で、槙のようにがつがつかきこむことがない。


羽柴には、どこか母性本能を擽られる、と昔の知り合いが話していたことを思い出す。


「ん?どした」


「俺、家買った」


三十代の男性のほとんどが経験するであろう一大決心の一つがマイホーム購入だ。


まさか年下の羽柴に先を越されるとは。


「は・・・?家?え、戸建て!?」


「まさか。中古マンション。俺の住んでるとこで下の階に空きが出るって聞いて、すぐに押さえた」


「・・・なんでまた」


母一人子一人で生きて来て、この先も母親の面倒は見るつもりだと聞いていたし、地元に戻ってからは親子仲良く生活していると思っていた。


羽柴の母親はなかなか豪快な女性で、二人暮らしにも不便はなさそうなのに。


槙の問いかけに、再び箸を動かし始めた羽柴が、小さく答えた。


「そうでもしないと結婚してくれそうにないから」


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