第32話 parameter-2

鶏肉のみぞれ煮をお箸で摘まんで、口を開けろと訴えれば。


「んー・・・」


嫌がるかなと思ったけれど、意外にも素直に槙が口を開けてくれた。


歩実とて衆人環視の中でこんなことは出来ない。


タイミングよく人がいないからこそのちょっとしたスキンシップである。


椎名だったらば、一目なんて気にせずみちるにあーんしてやってなんなら唇に残った欠片を舐めとってしまいそうだ。


「お、うま」


「でしょ。ほんとうちのカフェテリアってご飯美味しいよねぇ。同じメニューほとんど見たことないし・・・管理栄養士さんがめちゃくちゃ頑張ってメニュー考えてくれてるんだろうね。私献立考えるの苦手だから尊敬するわ・・・ほら、もう一個食べな」


「いいの?」


「うん。なんか宗吾の食べっぷり見てたらお腹膨らんじゃったわ・・・ほんっと気持ちいいぐらいがつがつ食べるね、あんた。唐揚げとか大量に食べさしたくなる」


「次うち来た時作ってよ」


「揚げ物はキッチン汚れるから嫌なのよ」


油跳ねしたキッチンの壁を見るたびげんなりする。


その後の換気扇掃除も。


だから、家で作る料理はもっぱら煮物メインになった。


大量に作って冷凍しておけるし、圧力鍋で時間も短縮できるし何より洗い物が楽でいい。


「俺揚げ物好きなのに」


「んんー・・・フライヤー買ってくれたら作ってもいい」


最近は卓上で使えるコンパクトなものも出ていて、気にはなっていたのだが、いかんせん一人暮らしの女子では使い道が無さすぎると諦めていた。


けれど、二人分の料理を作る、となると買っても十分元が取れそうだ。


当然、出資は高給取りの槙にお願いするけれど。


「あ、そうなの?んじゃあ買おう」


「決断早いな!」


「なんか欲しいって言われるの初めてだし・・・」


総合職で男顔負けに働いてきたので、当然欲しいものはいつだって自分で手に入れて来た。


これまで付き合った男性に、あれ買って、これ買って、とねだったこともない。


欲しいな、と思ったらそのたび我慢なんてせずにお買い上げしてきたからだ。


そうか、初めて恋人におねだりしたのか、私・・・しかもフライヤー・・・


いやまあ、指輪やネックレスをねだるよりもずっと自分らしいのだけれど。


「フライヤーだけどね・・・ん」


照れ隠しで大きめの鶏肉を槙の口に押し込む。


歩実だったら二口になるところを、槙は豪快に頬張ってくれた。


「会社で宗吾の顔見るの、やっと慣れて来たわ」


まさか大学時代の後輩と付き合って社内恋愛するだなんて、総合職の頃の自分には想像もつかなかった。


歩実の言葉に、槙がひょいと眉を持ち上げて、すぐに歩実の背後を見て驚いた顔になった。


「ごめん、邪魔したね」


聞こえて来た声は、研究所ラボの研究員のものだ。


「羽柴さん、お疲れ様です」


白衣姿でこちらに歩いてくる羽柴は、身なりも容姿もスマートで、野暮ったいところが少しもない。


入社してすぐに各セクションを赤松と一緒に回った時に挨拶をしたのだが、社内で会うのはそれ以来だった。


「お疲れ様です。すみません・・・知らん顔するつもりだったんですけど・・・槙と目が合ってしまって」


「え?槙・・・?」


きょとんとなって向かいの席を見返すと、槙がこくんと一つ頷いた。


「彼女。んで、こっちは地元が一緒」


歩実を指さしてから、羽柴を指さして端的に説明を口にした彼が、ばつが悪そうにグラスの水を飲む。


「あ、そうなの⁉えっと・・・・・・宗吾がいつもお世話になってます」


地元が一緒ということは、彼もこの辺りの出身なんだろう。


昔馴染みに彼女、と紹介されるのは、大学の後輩達に交際報告するのとはまた違った緊張がある。


面映ゆい気持ちで軽く頭を下げる。


「こちらこそ・・・ランチデート、いいですね」


「え⁉いや、デートってほどでは・・・」


たまたまお昼が一緒になっただけで、待ち合わせしていたわけでもない。


が、社内恋愛だと、こういうちょっとした時間に恋人同士のやり取りが出来るのだ。


「面倒くせぇな・・・羨ましがんなよ」


「こら、宗吾、口悪い」


昔馴染みの気安さからなのか、こんな風に乱暴な口を聞く槙は珍しい。


それだけ心を許しているということなのだろう。


「だから、邪魔してごめんって。わざわざお昼ずらしてきてるのに、悪い事したな」


「・・・え?」


わざわざお昼をずらした?急ぎの依頼が入ったとさっき聞いたはずなのだが。


目を白黒させる歩実を横目に、槙が追い払うように手を振った。


「・・・お前もう仕事戻れよ」


「言われなくてもコーヒー受け取ったら戻るよ」


カフェテリアに併設しているコーヒーショップから、挽き立てのコーヒーのいい香りが漂ってくる。


お疲れ様です、と歩実に笑いかけた羽柴が、あつあつのコーヒーを手にカフェテリアを出ていった。


「・・・・・・お昼ずらしたの?」


「・・・・・・・・・最近昼間会えてなかったから・・・仕事、慣れたか気になって」


視線を合わせずに槙が最後の白ご飯を頬張る。


「そういうことは週末に訊いてくれてもいいんだけどね?」


「俺・・・ここんとこ夜間作業多いだろ・・・帰って歩実いたら、それどころじゃなくなるし」


月曜の朝から点検作業が入っている日は、日曜の夜から槙の家に泊めてもらうことが多いのだが、夜間作業を終えて戻って来た槙は色んな箍が外れてしまっているので、まあ、大抵ベッドに押し込められる事になる。


「・・・・・・そ、それはもうちょっと・・・その、加減しようよ、色々と」


週末のあれこれを思い出して視線を揺らした歩実に、槙がきっぱりと言い返した。


「それは無理」

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