第8話 instance-2

遅番のシフトで入ったみちるが、お土産先に渡せて良かった、と微笑んでフロアに出ていく。


バックヤードに戻ってロッカーに受け取ったお土産を片付けてから後を追えば、ちょうど噂の椎名が店にやって来たところだった。


柔らかく微笑んでみちるに話しかけていた彼が、歩実に気づいて軽く会釈してくる。


二人の会話に割り込むつもりは毛頭なかったので、カウンターの手前で同じように会釈を返せば、珍しく椎名が声を掛けて来た。


「槙も誘ったんですが、手が離せないようでして」


「え!?さ、誘わなくていいです!あ、いえ・・・・・・その・・・」


こんな言い方では槙と歩実の間になにかあったようじゃないか。


誤解される何かなんて絶対にありはしないのに。


先週のあれ以降槙とは顔を合わせていないのでどうにも気まずくてかなわない。


槙のほうも今度こそ歩実に気を遣ったようで、一切連絡を寄越してこなかった。


思えば、仕事を辞めてから今日までこんなに連絡も取らず、顔も見ないのは初めてだ。


左遷が決まってから飲み会に顔を出さなくなって、グループのトーク画面ではみんなが仕事頑張ってねーまたね!と声を掛けてくれた。


歩実としても、気持ちが落ち着いたらこれまで通りの自分でみんなの輪の中に戻れると思っていたのだ。


結局出荷センターでの仕事に馴染めず退職が決まって、二回連続で飲み会の誘いを断ってもみんなの返事は変わらなかった。


唯一個別で連絡をして来たのは槙だけで、しつこいくらいに飲みに誘われた。


ゼミ仲間でつるんでいる時にはその場の空気に上手く溶け込んで馴染んでいる彼だが、個人的に連絡を取り合うことは今までなかった。


月に一度は飲み会で顔を合わせていたし、わざわざ別で連絡を取り合う用事も無かったし、必要性を感じた事も無かった。


こうもしつこく連絡をして来るのは、察しの良い彼が歩実の現状に気づいたのかもしれないと一瞬思ったりもしたが、これまでの自分とは真逆の立場に陥ってしまった現実を受け入れることがどうしても出来なくて、槙のことはのらりくらりと避けて来た。


こうして椿亭で再会していなければ、次に仕事が決まるまでは絶対に顔を合わせたりしなかったはずだ。


偶然会社の近くで歩実の同僚に会って、異動のことを聞いたので気になっていた、と言われて、退職してアルバイト生活をしていることを仕方なく暴露はしたものの、まさか大学時代のようにしょっちゅう顔を合わせる関係になるとは思っていなかった。


だから余計彼の前で取り乱して八つ当たりしてしまったことが恥ずかしい。


あの日の自分は本当にどうかしていたのだと思う。


次にどんな顔をして彼に会えば良いのか分からない。


出来る事なら椿亭のアルバイトも休みたいが、先の見えない転職活動を続けていく以上、出来るだけ貯金を切り崩したくはないので致し方無い。


いっそのこと家賃の安い部屋に引っ越そうとかと考えたが、引っ越し費用だって馬鹿にならないのだ。


これまで自分はどんな顔でみんなの相談に乗って来たんだろう。


いま誰かに人生相談をされたら、逆に相談してしまいそうなくらいだ。


弱気になる仲間を励まして元気づけることばかりして来たくせに、転んだ後の起き上がり方が分からないなんて。


椎名の前でプライベートな事情を明かすつもりは無かったのに、うっかり零した本音をどうすることも出来ずに視線を逸らす。


「様子を見て来てくれと頼まれました。元気だった、と伝えても?」


「・・・・・・・・・」


あの野郎気遣いできるなら最初っからそうしなさいよ!


ああも頻繁に店に来る事がなければ、昨日みたいな醜態を晒すことも無かったのに。


「物凄く元気です、と伝えてください」


「わかりました。もしよかったら・・・そのうち四人で食事でもと思っていたんですが・・・」


「え!?」


四人というのは尋ねるまでもなく椎名、みちる、槙、歩実のことだろう。


「わあ、いいですね!歩実さんとはお店でお茶しかしたことないし!」


「え・・・ええ・・・っと・・・」


「もちろん、ご迷惑でなければ。この間もみちるちゃんから歩実さ・・・失礼、菊池さんのお話を沢山伺ったので」


「歩実で大丈夫ですよ、椎名さん。私と槙の方こそお邪魔じゃありませんか?折角付き合い始めの楽しい時期なのにコブツキでデートなんて・・・」


「そんなこと!」


「俺としても、これからより仲良くさせて貰えれば有難いなと思っているんですが・・・」


紳士なイケメンにここまで低姿勢で誘われてお断りできる大人女子が居るなら会ってみたい。


みちるの手前そう言っているだけかもしれないし、まあここは話半分くらいに頷いておこう。


「こちらこそ、有難いお誘いです」


よろしくお願いします、とまるで得意先との契約締結の時のように答えた歩実に椎名は穏やかに微笑んで、それからさらに目元を柔らかくしてみちるに視線を下ろす。


「良かった。じゃあ、槙とお店決めておきますね。みちるちゃん、二人のシフトが合う日、夜にでも連絡してくれる?」


「あ、はい、わかりました!」


ご飯楽しみですね!と嬉しそうに微笑む無邪気な笑顔は贔屓目抜きでも抜群に可愛い。


どこに出しても恥ずかしくない看板娘である。


カウンター席から片手を上げた常連客に笑顔で答えるみちるを母親のような気持ちで見守っていると、椎名が声を潜めて呼びかけて来た。


「歩実さん」


イケメンからの至近距離の呼びかけに久しぶりに胸がきゅんとなる。


「っはい」


「槙が、心配していました」


みちるにも聞こえない声量は、歩実への気遣いからだ。


どこまでも抜かりのない応対能力はエリートサラリーマンの鑑である。


「・・・・・・あ・・・はい」


「なにか、伝言はありますか?」


「・・・・・・・・・大丈夫・・・って、伝えて貰えますか?」


彼が歩実の気持ちを慮って冷却期間をくれたことは痛い位よくわかった。


後輩にここまで気遣われていつまでもウジウジしているわけにはいかない。


それに何より、心配してくれた槙と気まずいままなのは嫌だ。


あの日彼がくれた言葉は、夜になってまた不安になった歩実の心を温かく包み込んでくれた。


ああ、そうだ。


私いつもみんなに言ってたじゃないか”大丈夫、大丈夫”って。


大丈夫にする為に私が全力で頑張るから、平気だよって。


今更、そんなことを思い出した。








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