第9話 API

「飲み会じゃなくて、お食事会か」


久しく耳にしていなかった単語を復唱して、歩実はいま誘いかけてくれたばかりのみちるを振り返った。


椿亭の二階で暮らしている彼女とは、駅前の居酒屋で軽く飲んだことはあるけれどちゃんとしたお食事会をしたことはない。


アルバイトを始めてすぐに歩実の歓迎会をやろうとマスターが言いだしてくれた時も、お気持ちだけで!と答えて、結局椿亭閉店後にお店でマスターとみちると三人でちょっとしたホームパーティーをしてもらった。


だから彼女が改まって口にするお食事会に違和感しかない。


みちるの口ぶりからしてかなりかしこまった会のような気がする。


彼女が参加するかしこまった食事会の見当がつかなくて首を傾げれば、みちるが緊張気味に口を開いた。


「椎名さんが、良さそうなお店選んでくれるそうです」


「こないだの、社交辞令じゃなかったんだ・・・」


四人でそのうちお食事でも、という椎名のお誘いを実は話半分に聞いていたのだ。


椎名とみちるのデートにお邪魔する形になってしまうので、本当に参加して良いものかと悩んでしまいそうなのだが。


「私が、歩実さんのこといっぱい話したから・・・?椎名さんが、ゆっくりお話してみたいって・・・言ってて。私も椎名さんと歩実さんが仲良くなってくれたら嬉しいなって・・・後・・・まだ、その、椎名さんと二人きりが結構緊張しちゃうので、一緒に居て貰えると心強いなっていうのも・・・」


「えええなにそれその可愛い理由!!!いやでも四人って・・・いいんだけど、いいんだけどね!?」


これはもう新婚のようないちゃいちゃっぷりを目の当たりにして胸焼けしながら強めのお酒を飲むパターンかしら。


まあ、可愛いみちるの幸せそうな顔を見られるならそれはそれでいいのだけれど。


あの日以来会っていない槙のことを思うと、胃が痛くなるのだが、可愛いみちるの提案を無下になんて出来ない。


「椎名さんお話も上手で、あ、でも、聞き上手なんで絶対楽しいですよ!駄目、ですか・・・?」


元来の姉御肌が完全復活した歩実は、分かった分かった、と頷いた。


こんな風に妹分から可愛くお願いされて否と答えられる人間が居たらお目にかかってみたいものだ。


「いいわよ。もちろん!ご飯でもお酒でも行こう!」


「ありがとうございますっ!良かったぁ・・・じゃあ、私早速椎名さんに返事を・・・」


スマホを取り出してメッセージを送り始めるみちるを横目に、カウンターに頬杖を突いてお食事会かぁ、と一番最近のお食事会の記憶を呼び起こす。


部長が月間成績上位三人を誘ってくれたお食事会が最期だろうか。


いつもお馴染みの同期の男性社員と後輩の三人で部長を囲んで、お決まりのご苦労さんの労いと共に乾杯をして暫く経った頃から急に旗色が悪くなったのだ。


歩実が任されていた若手の営業進捗のチェックがちょっと厳しすぎるんじゃないか、という遠回しな指摘が同期から入って、それに追い打ちを掛けるように数字だけじゃなくて人も見て育てないと、と部長の小言が零れた。


任された若手が取ってくれない数字の穴埋めに走り回って尻拭いをしているのは他ならぬ自分で、それでも激励こそすれ後輩に愚痴を零したことは無い。


しっかり私を見て着いてきてね、と鼓舞してきたつもりだったのだが。


まあ、たしかに菊池さんの熱量はちょっと古臭いというか、とほろ酔いの後輩からの茶々に、営業チーム一丸となって盛り上げるのが大事だから、指摘はほどほどに頼むよと部長からやんわりと釘を刺された。


あの後すぐに担当変更の指示が入って、老舗案件を同僚に持って行かれて、新規開拓に駆けまわっているうちに後輩のミスが発覚してフォローが後手に回って、先方からクレームが入って、後はもう雪崩のように色んなものが崩壊していった。


うわー食事会にいい思い出ないわぁ・・・・・・


こっそり溜息を吐いたら、デニムの後ろポケットでスマホが震えた。


見ると槙からメッセージが届いている。


一瞬身構えてしまったのは、あの日椎名に伝言を頼んで以来の連絡だから。


眉根を寄せながら確認すると。


”椎名さんとの飯、俺も行くから”


短い一文を確かめて、彼のいう飯が、先ほどみちるの言っていたお食事会だと思い至る。


”あ、そうなの、わかった”


まあ来るだろうとは思っていたのだが。


”カップルを前に一人酒寂しいでしょ?”


飛んできたメッセージが相変わらずの内容で、ああ槙は槙のままだとホッとする。


弱いところを見せたから態度が一変することなんて無いとは思っていたけれど、ほんとうにどこまでも相変わらずで、憎まれ口でさえ嬉しくなった。


もう、槙の前では先頭を切って突っ走らなくても、大丈夫なのだ。


”図太い神経してるから平気よ。というのは冗談です”


”図太いのは知ってる”


”私もあんたがいい具合に無神経なの知ってる”


こんな風にざくざく遠慮なしの返事を返せるのはいまや槙一人だけである。


”椎名さんが奢ってくれるらしいんで、上手い酒飲ませてもらお”


贅沢は禁物と、外飲みは控えて、アルコールは週末のみと自分を戒めている歩実である。


一時のように後輩たちに豪快に焼肉を奢ってタクシー代を払ってやれる余裕はもうない。


当然美味しい食事とお酒はご無沙汰だ。


椎名のことだから、可愛い恋人を適当な安っぽい店に連れて行くことは無いだろう。


となれば、久しぶりに値段を気にせず上等のお酒を飲むことが出来る。


二人のイチャイチャっぷりには目を伏せて、槙と世間話でもしながら美味しいご飯を食べるだけ。


これなら何の問題もない。


”それいいね!!”


久しぶりにわくわくする気持ちが込み上げて来て笑顔になった。


返信はすぐに届いた。


”そう言うと思った”






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