第24話 ASCII-3

椿亭は、看板を上げていない喫茶店だ。


マスターが自宅を改築して趣味で始めたその店は、メディカルセンターから徒歩5分ほどの距離にあるにもかかわらず、ほとんど知られていない。


偶然店を知った客は、敢えて椿亭のことを他の人間に教えようとはしないので、極々一部の常連客だけの隠れ家のようになっていた。


メディカルセンターの施設管理に勤める赤松花あかまつはなが椿亭を知ったのは一年程前のことだった。


それ以降仕事では言いにくい相談事(主に恋愛相談)を持ち掛けられた時に数人の同僚たちとランチを食べに行っている。


それまでずっとマスターと姪っ子の二人体制だった椿亭に毛色の違うニューフェイスが現れた時には、一瞬マスターが引退するのかと心配したものだ。


おっとりとした雰囲気のマスターとみちるとは真逆の、はきはきした快活な接客態度は好感度抜群ではあるけれど、椿亭向きか?と問われれば否と言わざるを得ない。


何か事情があって椿亭でアルバイトとして雇われたらしい彼女は、あっという間に店に溶け込んでしまった。


前職をうかがわせる手際の良さと細やかな気配りは、あんたなんでアルバイト店員なんてやってんの?と首を傾げたくなる。


人の顔を覚えるのが得意なようで、二度目に接客して貰った時には、前回のオーダーを踏まえたサービスを提供されて、ほんとに使える人だなと感心した。


窓際席に案内されていつもどおりお冷とおしぼりを置いた彼女が、赤松の前にもう一つおしぼりを置いたのだ。


きょとんとなったのは同席していた後輩だけで、赤松は口笛でも吹きたい気分だった。


『こちら、おしぼり追加で置いておきますね』


『覚えててくれたんですか?』


『はい。以前来られた時に、ご依頼いただいたので』


にこりと微笑んだ歩実の返事に、本気でこの人うちに連れて来たいなと思った。


前回赤松が後輩と一緒に椿亭を訪れたのは2週間ほど前の事だ。


ランチセットのサンドイッチを食べ終わった頃に、おしぼりの追加を頼んだ。


食後のコーヒーの前に新しいおしぼりで手を拭きたくなったのだ。


『すごい・・・記憶力いいんですね』


感心したように歩実を見上げる後輩にへらっと人好きのする笑みを浮かべて歩実が軽く頭を下げる。


『あはは。宝の持ち腐れなんですけどね。ごゆっくりどうぞー』


笑顔でカウンターに戻って行く彼女の凛とした後ろ姿は、エプロンよりもパンツスーツのほうが似合う気がした。


そして、似たような事が数回あって、より一層菊池歩実という人間をメディカルセンターに引っ張りたいなと思うようになった。









・・・・・・・・・・・・・・








「黄月ぃー。いまいい?」


施設管理課の課長である黄月航太きづきこうたは、赤松の直属の上司でもあるが、同期でもある。


そして、メディカルセンターの立ち上げスタッフとして、開設時のドタバタを共に乗り切った戦友でもあった。


なので、公の場以外では役職抜きの呼び捨てがデフォルトだ。


黄月のほうもその方が気が楽だと言っているので、社内では基本お互い名字呼びである。


フロアが見渡せる課長席でノートパソコンに向き合っていた黄月が、一つ頷いて視線をこちらに向けて来た。


「おおーどしたー?」


すでに時刻は21時を回っている。


この時間まで残っているのは、夜間対応のある開発やセキュリティーチームと、常に残業のイノベーションチームくらいのものだ。


メディカルセンターの立ち上げ当初、事業部長である西園寺が自ら選んだ少数精鋭で始めた事業は、この数年でかなり大きくなり、オメガバースの出現によって西園寺グループの名前は全国に知れ渡った。


それに伴い従業員の数も大幅に増えたのだが、施設管理のメンバーは、開設当初から変わっていない。


課長の黄月を筆頭に、主任の赤松、残りは時短勤務のママさん社員数名が全構成員だ。


完全に人手不足ではあるのだが、使えない人間や合わない人間を入れることを赤松がとにかく嫌がったので、この状態がキープされたままになっている。


これまでも何度か黄月が追加人員の要請を事業部長に上げようと提案してきたが、いい人が居ないと突っぱね続けていた。


おかげで施設管理は恒常的に残業が続いている。


独身で同居している家族もペットもいない赤松は、この仕事が好きだし性に合っているので、残業したって構わない。


が、親友の旦那様でもある黄月は、出来るだけ早く帰宅させてやりたい。


他ならぬ、妻ゆみのために。


だから、どっかにいい人いないかなー、とずっと探していたのだ。


「ウチに人を入れたい。なる早で」


「ふぁっ!?まじで!?なに、誰!?」


仰天した黄月が椅子から勢いよく立ち上がる。


ガン!と回転椅子が壁にぶつかって大きな音を立てた。


「椿亭のウェイトレス」


「椿亭・・・・・・?ああ、あの看板上げてない喫茶店か。マスターの姪っ子さん?」


「違う。なんか毛色違う人が入ってんのよ。やり手の匂いがプンプンする人。私とも気ぃ合いそうだから、スカウトしたい」


「・・・お前が気に入った人なら俺は誰でもいいけど・・・すげぇな。この一年ずーっと人増やすの反対だったくせに。そんな見込みあるんだ」


「うん。ある。というかあのままウェイトレスさせとくの勿体ないのよね。こっちでバリバリ働いてもらいたい。西園寺さんに承認貰ってくれる?」


「それはいいけど、どんな人なんだ?」


「どんな?んー・・・そうだなぁ・・・・・・誰かがちゃんと手綱握っててあげたらめちゃくちゃ走れちゃう人」


「・・・・・・で、お前がその手綱握るつもりだと」


「あんたより私のほうが適任でしょうよ」


底なしのお人好しで駆け引きベタの黄月が課長職についているのは、赤松を押さえられる人間だと評価されているからだ。


そして黄月自身も自分の価値を重々理解している。


「まあ、そうだな。西園寺さんも、うちのこと心配してたし、喜ぶんじゃないか?市成さんCCでメール投げとくわ」


「んー。よろしく!さあ、施設管理第二シーズン突入するぞー!」


元気に拳を振り上げた赤松に、黄月が呆れた顔でお前ほんと元気だなとぼやいた。

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