第23話 ASCII-2
「良かった。これで安心して部署に戻れます」
心底ほっとしたように肩の力を抜いた椎名にあれ?と違和感を覚える。
「え、あの、椎名さんもしかしてこれのためだけに?」
恐る恐る問いかければ、椎名がふわりと相好を崩した。
「ええ、そうです。少しでも早く応募の返事が貰いたくて。今頃、槙がソワソワしながら待っていると思います」
歩実のために忙しい仕事の合間を縫ってわざわざ足を運んでくれたのだ。
「・・・・・・本当になんとお礼を言えばいいのか・・・・・・ありがとうございます!」
「いえ。これも何かのご縁ですから、一緒に働けることを祈ってます」
「ありがとうございます。あ、じゃあ、みちるちゃん呼んできますね!」
「いえ。今日は夜に会う約束をしているので、今は結構です」
どうやら恋人との逢瀬の時間もない中、歩実を優先させてくれたらしい。
椿亭で働き始めたのは、この瞬間のためだったのだと、心からそう思えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「も、もしもし!?」
スマホを握りしめて誰かからの連絡を待つのはいつぶりだろう。
思わず動揺してどもってしまった呼びかけに、スマホの向こうで笑い声が聞こえた。
『そんな慌てなくてもいいのに。椎名さんから聞いた』
聞こえて来た槙の声に、ドキドキするのに、なぜだか同時にホッとする。
なんだろう、この懐かしい感覚は。
「うん。色々気を遣ってくれてありがとう」
『ベストな方法を選んだだけ。とりあえず面接頑張って』
「うん。めちゃくちゃ頑張るよ」
『あと、西園寺さんすげぇ色男だけど惹かれないで』
まじで頼むよ、と付け加える槙の真面目腐った口調が逆におかしい。
「そうなんだ、面接ちょっと楽しみだな」
『なんでだよ。奥さんも子供もいるからな』
「冗談に決まってるでしょ。浮気なんかしないよ」
これでも好きになったら一途な女なのだ。
脇目もふらずに突っ走るのは得意中の得意である。
うっかり口を滑らせた歩実の言葉に、まきが一瞬黙ってから口を開いた。
『・・・・・・それってさ』
これはまずいと慌てて声を被せる。
今じゃない、今じゃないのだ、まだ。
「あ、あのさ、槙の仕事落ち着いたらゆっくり会いたいんですけど」
『なんで敬語?』
「いや、自分から誘うの初めてだし・・・けじめとして」
『律儀』
「私は義理堅いほうだよ」
『たしかに・・・・・・歩実さん今帰り?』
「うん。もうすぐ駅。この間までは、本気で家賃安いマンション探さなきゃって思ってたんだけど・・・面接上手く行ったら今の所でも十分生活していけそう。なんか一気に先行き明るくなってきた・・・噂には聞いてたけどほんとに西園寺って色々手厚いね」
面接は一週間も先の話なのにもうすでに面接に受かったような気持ちになってしまうのは、詳細項目に書かれていた待遇が想像の数倍良かったせいだ。
地方都市の中でも抜群の福利厚生を誇る西園寺グループは離職率がかなり低い。
手厚い保障と待遇が約束されていれば、人がいくらだって勤勉になれるのだ。
以前勤めていた食商品メーカーもかなり優遇されている方だったが、西園寺グループはその遥か上を行く。
研究者や技術者が多く集う企業のどちらかといえば地味な雑用部門ですらこれだけの好待遇なのだから、椎名や槙はもっと好条件で働いているのだろう。
『歩実さんがそのつもりなら、いつでも養えるくらいの貯蓄はあるから、気楽に行っといでよ』
「冗談に聞こえないから怖いわ」
『いや、冗談じゃなくて。俺よりもっとすごいのは椎名さんだけど。まあ、家賃払える払えないの心配はいつでも解消できるからご心配なく』
「・・・・・・頼もしいな」
『俺もそれなりにここで実績積んでるんでね』
「槙は目立たないところでちゃんと努力してるから偉いよ」
『・・・・・・・・・不意打ちで褒めるのやめて貰っていい?』
「あ、照れるんだ。だってほんとの事だし。みんなと同じようにわいわいやってると見せかけてちゃんと資格の勉強して片手間に恋愛もしてゼミも盛り上げてたもんね」
『片手間の恋愛はいらないでしょ』
「あら、そう」
『もう片手間にはしないから。次会う時は歩実さんもそのつもりで』
「う・・・えっと・・・はい」
会いたいと言ったのはこちらのほうなのに、先手を打たれてしまって次の言葉に迷う。
もういっそ電話でよろしくお願いします、と言うべきだろうか。
いや、でも、返事をするのは面接の結果が分かってからにしたい。
槙が背中を押してくれたことに、全力で応えて、初めてちゃんと彼と向き合える気がする。
ぺしゃんこになった自分を、立て直すことが出来る気がする。
受かっても、落ちても、挑んだ結果を受け止めて、前を向ける気がする。
『俺しばらく缶詰になりそうなんだけど・・・一個だけ、頼み事してもいい?』
「ん、なに?」
『気が向いた時で良いから、留守電にメッセージ残してよ。疲れた時聞くから』
「なにそれ」
『聞いたら俺が癒されてやる気になるようなメッセージでよろしく』
「ちょ、それ難しくない?」
『盛大な愛の告白でいいよ、簡単でしょ』
「無理だよ!そういうことはちゃんと会って言わないと!」
留守電告白だけは勘弁してください、と必死に断れば、それもそうか、としぶしぶ槙が折れてくれた。
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