第2話 module-2

この気安さは楽で良いのだが、遠慮を忘れたやりとりはつい仕事を忘れて飲み会の時のようなノリになってしまうから困る。


顔を合わせれば楽しくはしゃいで呑気に先輩面していられたあの頃がもはや懐かしい。


「先に引っ張り出したのそっちでしょ。椎名さんランチミーティング」


俺もこの後参加と付け加えた槙になるほどと一つ頷いた。


「あっそ。みちるちゃんはシフト休・・・・・・私に気を遣ってくれてるのよ」


「ああ・・・ごめん」


失言だったと慌てて謝罪を口にした槙の殊勝な態度にイラっとした。


気を遣うなら、そっとしておいてくれるのが一番なのに、どうして彼はそれとは真逆の方法を選ぶのか。


決して立ち回りが下手ではない槙がこうも足繫く店にやって来るのは、歩実を心配して店に来る体を装ってなにか裏があるのだというほうがよっぽど納得できる。


やっぱりみちるが気になっているのだろうか。


誰からも愛される看板娘には、歩実にはない魅力が全て備わっている。


就職難を乗り切って大手食品メーカーの総合職にありつけた時には、確実に波に乗ってこのまま勝ち組人生一直線だと信じて疑わなかった。


売り上げが上がるにつれて年収は右肩上がりになって行ったし、仕事のやりがいも増えた。


第一希望でこそ無かったものの、名の知れた企業の名刺を持って外回りをする誇りは何物にも代えがたかった。


順風満帆だったのだ。


飲料品部門で先輩社員から引き継いだ老舗の得意先以外にも、自分の足でも新規開拓して何件かの新規契約を取りつけた。


そのうちの一つが、椿亭だった。


部下も出来て仕事が増えた矢先、フォローが手薄になった得意先から立て続けにクレームが入って契約解除の騒動にまで発展してしまったことがきっかけで、開けていた人生に暗雲が立ち込め始めた。


謝罪行脚の後で出された辞令は出荷センターへの出向命令。


完全に出世コースから外れたと自覚した途端、何もかも嫌になって自暴自棄になった。


出荷センターでの仕事を三か月で辞めて、貯金と退職金でこの先の人生設計をやり直そうと決めた頃、行きつけになっていた椿亭のマスターから店で働かないか、と声を掛けて貰った。


実際、給料に見合った駅近のマンションの家賃は地方都市の片田舎でもそれなりの額だったので、目減りしていく一方の通帳に溜息を吐いていた歩実は二つ返事で飛びついて、転職先が見つかるまで、と働き始めて結局そのまま店に三か月以上居座っている。


失業者が急増しているご時世の転職活動を甘く見ていたのだ。


在宅のデータ入力のバイトと、椿亭のバイトでどうにか家賃を支払っている状態の歩実を知るみちるは、自分のシフトを削ってくれていた。


7歳も年下の女の子にこんな気遣いをして貰うような現実は、想像もしていなかった。


現実は思っていた以上に世知辛い。


そして、どんな状況でも優しい人はちゃんといるものだ。


もしもこの先同じような窮状に陥っている人がいたら全力で優しくしてあげようと思う。


挫折を知って気づいた事は、人は万能じゃないということ。


そして、自分が胸を張れる肩書を失くしても、変わらずに居てくれる人はいるということ。


「そこで申し訳なさそうにすんなってのよ。メディカルセンターってカフェテリアあるんじゃないの?バリスタが居るってほかのお客さんから聞いたけど」


「ああいるねー。でも俺マスターのブレンドのが好きだからさ」


「ふーん・・・売り上げ貢献するなら景気よくデリバリーで大量のコーヒーでも頼んでよね。そのほうがよっぽど売り上げになるわ」


「それ歩実さんにいくらか入るの?」


「入るわけないでしょ。なに言ってんのよ」


ノーマージンですよと笑って返せば、槙が初めて目元を和ませた。


人を食ったような表情ではない、気さくなそれは、大学時代からよく見ていたもので、意地悪モードが消えたことにこちらも臨戦態勢を解く。


「部署の人連れて来てって言いたいところだけど、お店人で埋まっちゃうから、一人か二人ほど連れて来てくれるのがベストね。あ、そうだあんた彼女は?最近話聞いてないけど」


「・・・別れた」


「え、そうなの?知らなかった。いつ?」


本社から出向中の女の子と社内恋愛中だと聞いたのは、たしか歩実の転落人生が始まる直前のことだった。


社内恋愛は面倒臭いと零していた彼がとうとう性根を据えて恋愛するのかと内輪で盛り上がったものだ。


「半年前?歩実さん最近飲み会顔出してないから」


「・・・・・・そうなんだ」


風向きが悪くなった歩実が顔色を悪くするのを見て取った槙が、軽い口調で飲み会来れば?と問いかけて来る。


散々先輩風を吹かせて後輩達に発破をかけて来た自分が早々に戦線離脱したことを言い出せなくて、結局退職して以降一度も内輪の飲み会には顔を出していない。


せめて次の仕事が見つかるまでは誰にも言うつもりは無かったのだ。


「うん・・・まあ、そのうちね。あのさ、私のことは」


「言うわけないでしょ」


「あーうん、だよね。ごめん。余計な事言った」


悲しいかな歩実の現状を知る唯一の友人は槙だけなのだ。


「あのさ、もうちょい俺のこと信用してよ」


「いやしてるよ!物凄く!全力で!」


「・・・ならいいけど・・・・・・飲み行きます?」


「ええーっと・・・給料日後なら」


椿亭のバイト代と在宅のデータ入力のバイト代が入るのはそれぞれ違う日なので、先々も考えてなるべく切り詰めた生活を心がけておきたいのだ。


これまでのように部下や後輩を連れて飲みに行く事も、豪快にタクシー代を出すことも出来ない。


「まだ意地張るか」


槙が呆れた口調で突っ込んで来たけれど、なにも言い返すことが出来なかった。










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