第4話 script-2
「・・・・・・・・・看板娘・・・では、ないです」
どうせ適当に誤魔化したところでどっからか情報を引っ張って来るのだろうから素直に応えた。
女子の情報網を侮ってはいけない。
「ああそうなんだぁ・・・・・・では、ない・・・ねぇ・・・いや、ヨリ戻したくないから適当な嘘言われたに違いないって近田ちゃん泣くからさぁ、念の為。了解了解。菊池さんだっけ?新しい店員さん」
いきなり歩実の名前が出て来て思わず真顔で赤松を見つめ返してしまった。
ジョブとかないのか、ジョブとか!
「!?」
唖然とした表情の槙をまじまじと見つめて、ふむふむと勝手知ったる顔で彼女が頷く。
「めちゃくちゃ手際よくて接客慣れしてるよねぇ」
バレた。
完全にいまのでバレた。
まだ本人すら言えていない気持ちを。
「あんた・・・なんで」
「んふふー。いや、実は私も椿亭贔屓にしてんのよ。何度か槙くんが店に入ってくとこ見たんだけど、他の同僚連れてってる感じじゃないからあれれーと思ってさ。隠れ家的なね」
いやーそりゃあ秘密にしときたいわなぁ、ふむふむと頷かれて思わず唸る。
一番知られたくない相手だったのに。
「あの・・・赤松さん」
「安心してよ。馬に蹴られたくないから、余計なことはしません。あ、ちなみにおたくの先輩が看板娘に夢中なのも知ってる」
槙と一緒に椿亭に通っている上司の椎名が、看板娘であるみちるに思いを寄せていることを知っているのは槙だけのはずだったのに。
本当にこの人の諜報能力は恐ろしい。
「俺・・・・・・赤松さんのこと舐めてました」
「あらそ?見直してくれたかね?」
「あんた怖い人っすね」
「いやいや。社内で穏やかに過ごすために動いてるだけだからさ、ご心配なく。あ、近田ちゃんには上手いこと言っとくから。きみも頑張りたまえよー」
ポンと肩を叩いてパスタを一口も口にする事無く赤松が立ち上がった。
すぐにカフェテリアの入り口に向かって彼女が手を振る。
他部署の同僚と一緒にランチを食べる予定らしい。
じゃあねーと食えない笑みを浮かべて去って行った彼女のほうを一度も振り返ることが出来なかった。
「・・・・・・なんでよりによってあの人に・・・」
がっくりと項垂れて食べる気の失せた中華丼をトレーに戻す。
歩実は良くも悪くも目立つ女子だった。
ゼミの先輩にも可愛がられていたし、後輩からは慕われていた。
ゼミメンバーで出かけるとなると仕切り役を任されるのは必ずと言っていい程彼女で、本人もその役回りを納得していたし楽しんですらいた。
面倒事を察知すると上手く躱して避けることを常として来た槙から見れば、ちょっとどうかと思うくらい付き合いが良い彼女の周りはいつだって人に溢れていた。
同期の中で一番に内定を貰って、一番に役職付きになったのも歩実で、飲み会のたびに景気よくケツ持ちを買って出て女の子をタクシーに乗せてやる気遣いはあっぱれとしか言いようがなく、付け入る隙なんてない完璧な先輩だった。
そんな彼女が仕事を理由に飲み会に顔を見せなくなった時も、また昇進でもして忙しくしているんだろうと思っていたのだ。
オフィスの近くでメッセージを送っても忙しくて顔を見せられないという返事が来て、仕方ないなと一人ランチを決意した矢先、何度か顔を合わせたことのある歩実の同僚を見かけて、挨拶がてら彼女の様子を尋ねて、返って来た返事に愕然とした。
大口取引先と揉めて左遷されるだなんて、菊池歩実にあるまじき事態だ。
出向先の出荷センターのほうでも欠勤が続いているらしいと心配そうに零した同僚の言葉で、いよいよこれはヤバいのではと焦って何度も彼女に連絡を入れるも既読スルー。
歩実の性格を考えて左遷のことは知らない振りで何度か飲みに誘うも忙しいの一点張り。
挫折とは縁遠い人生を歩いて来た彼女がぽっきり折れてしまった後の最悪のパターンまで想定してしまって、二日に一度は連絡を入れるようにしてからひと月後、仕事場から徒歩数分の距離で偶然再会した歩実は、喫茶店の店員になっていた。
あれほど自信たっぷりだった笑顔をほんの少しだけ翳らせて、どうにか口角を持ち上げて、久しぶり-と口にした彼女の姿を見た瞬間、込み上げて来たのは絶対的な安堵。
その安堵が、突き詰めるまでもなく別の感情に直結しているとすぐに気づいて、近田に別れを切り出した。
以来、こっそりと椿亭に通い詰めている。
歩実には申し訳ないが、椿亭の店員になった彼女を見止めたほんの数瞬、頭を過ったのは打算だった。
あの頃の完全無欠の彼女には無かった隙が生まれていたのだ。
先輩風を吹かせて私について来いと先陣切って走っていた歩実には、到底並べないと思っていたが、いまはどうだ?
槙を前にした歩実は居心地悪げに、退職までの経緯をかいつまんで説明して、まあすぐ仕事決めるからさ!とあっけらかんと笑って見せた。
これまでの実績も経験もあるし、大丈夫だと励ましながら、彼女のそれらすべてが強がりだとはっきり分かる距離にいるのが、自分一人だという優越感に浸っていただなんて、歩実には死んだって言えやしない。
カフェテリアを素通りして、日勤帯で出勤した際は必ず椿亭にお昼を食べに行くのは、歩実の様子が知りたいからだ。
少しでも顔を見て安心したいからだ。
これだけ足繫く通っているのだから、さすがの彼女もこちらの気持ちに気づきそうなものなのに、付き合いの長さ故か、歩実は完全に自分を心配して、槙が店に来ていると勘違いをしている。
それもあながち間違いではないのだが、そこにプラスアルファで加わっている気持ちがあることをそろそろ伝えてしまいたい。
一向に決まらない再就職にげんなりと肩を落とした彼女を抱きしめる権利が欲しい。
そう思っていた矢先、椿亭のもう一人の常連客である椎名とお気に入り看板娘の仲が急接近した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます