第5話 compile-1

「ひえええ!勇気あるわぁあああ!」


パチパチとバックヤードで頼もしい年下の先輩に拍手を送ると、看板娘が照れたように首を横に振ってみせた。


これぞまさしくハニカムスマイルである。


見ているこちらまで幸せな気持ちになってくる看板娘の必殺技だ。


「いえ!付け焼き刃の勇気です、ほんとに、ただただ勢いで・・・っ」


「でも、そのおかげで椎名さんとお付き合いできるようになったんだから!ほんと凄いよ、みちるちゃん!私が背中押すまでも無かったねー」


椿亭に営業で来ていた頃から、何度か話を聞いていた素敵な会社員の彼は、実際に会ってみると文句なしのイケメンサラリーマンで、人間も非常に良く出来た大人の男性だった。


槙を伴ってやって来るまでは決まって一人で遅めのランチを食べに来て、その際は大抵カウンター席の端っこが指定席だった。


すでに顔馴染みになっていた二人は、はた目から見ても仲が良かったので上手く行くのではと思っていたのだが、まさかこんなに急に恋が始まるなんて。


少し前から、お店にくる独身男性たちからみちるがよく声を掛けられるようになっていたので、ヤキモキしていた歩実としては、彼女が好きな相手と付き合うことができて本当に嬉しい。


ずっと下り調子だった歩実の人生にも明るい兆しのお裾分けが貰えそうだ。


そういえば、こんな風に誰かのコイバナに一喜一憂したのは久しぶりのことだった。


持ちかけられる相談は大抵仕事のことばかりだったのだ。


後輩たちはみんな歩実が色気より仕事と食い気であることを知っていた。


だから、イロコイ事の相談を受けたのなんて大学生ぶりだった。


なので尚更くすぐったい気持ちになる。


「ちょうど昨日、お昼時に来られてたメディカルセンターの女子社員さんたちが椎名さんの話をしてて・・・懇親会でいい感じになってた女の人がいるって聞こえて来ちゃって・・・それで」


「焦って告白したと」


「はい・・・いま思うとほんっと信じられないんですけど・・・」


真っ赤になって俯くみちるは土壇場で本領発揮するタイプのようだ。


居ても立っても居られなくなった彼女は、タイミングよく遅めのランチを摂りにやって来た椎名に、サービスでテイクアウトのコーヒーを差し出した。


紙カップに”好きです”のメッセージを添えて。


店を出てからそれに気づいた椎名は夕方椿亭にやって来て、付き合って欲しいと言われたらしい。


コーヒーが繋いだ素敵なご縁、なんとも喫茶店にピッタリなラブストーリーである。


まるで娘を嫁に出すような気持ちで良かった良かったと頷く。


槙は椎名の後輩だから、きっと今頃話を聞かされているだろう。


次に椎名が店に来たら、上手く席を外して二人きりになれるようにしてあげなくてはならない。


飲み会と接待の手際の良さはプロ並みだとお墨付きを頂いた腕の見せ所である。


「いいなーぁ・・・恋かぁ・・・」


報告終わりです!と逃げるようにフロアに戻って行った彼女の後を追ってバックヤードから出る。


心なしかみちるの背中がウキウキして見えるのは、彼女の心が弾んでいるせいだろう。


肩までのボブがふわふわ揺れて何とも可愛らしい。


空いた食器を片付けるみちるが、こちらを振り向いた。


「すみません、歩実さん、グラスお願いしていいですかー?」


「もちろんでーす!」


「ありがとうございます!あと、ダスターお願いしまーす」


「はーい!ついでに紙ナプキン補充しますね」


「助かります!」


勤務時間が増えるにつれて二人の呼吸もどんどん合うようになってきた。


最初こそかなり年上の後輩ということで遠慮していたみちるだが、今ではすっかりよき同僚として歩実を慕ってくれている。


みちるは素直な性格故か、一人で無理することを絶対にしない。


トレーが1往復で終わらない食器の量の時はすぐにヘルプを出すし、歩実に頼る事をまったく厭わない。


歩実なら、無理して一人で運び終えるか、自力で何往復もするところを彼女は上手く人に甘えて見せる。


頼られた方は嬉しくなるし、やりがいも感じられる。


これまで一人でがむらしゃに走って売り上げを追いかけ続けた自分がいかに空回っていて、周りが見えていなかったのか、痛い位に思い知らされた。


苦しかったあの頃、誰も声を掛けてくれなかったと周りを恨んだけれど、そうさせない空気を放っていたのはいつだって自分自身だ。


一人でやりますできます、頑張れますと意地を張って、張って、張り切れなくて折れた。


出荷センターで歩実を迎え入れてくれた社員たちの様子を見れば、いかに自分が営業部で腫れ物のように扱われていたのかが窺い知れた。


あの左遷は、すでに営業部の厄介者になっていた歩実が最後の引き金を引いただけで、すでにそうなる準備は整っていたのだ。


しのぎを削って切磋琢磨していると思っていた営業マンたちが影で歩実のことを煙たがっていたことも知っているし、可愛がっていた後輩が歩実からのプレッシャーがしんどいとぼやいていたことも知っていた。


知っていたけれど自分を変えることなんて出来なかったから、見て見ぬふりをして来たのだ。


同僚や先輩の営業たちは、売上の数字で黙らせる自信があったし、後輩に関しては自分が邁進する背中さえ見せればちゃんと付いて来ると勝手に信じ切っていた。


だから、この現実は本当は自業自得だ。


走って、止まれなくて、自分で蹴散らした。


頑張ればどうにかなるなんて、そんなのは嘘だ。


自分の技量を正しく見極められない人間に、正しく頑張ることなんて出来るわけがない。


だから、みちるちゃんは愛されて、私は空っぽなまま。


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