第19話 SVN-2

あと20分は待たされると思ったけど、と笑われて、そっちが正解だったか!と地団駄踏みそうになる。


「ここ結構駐禁取られるから、待たせたら悪いと思って・・・じゃなくて、なんで急に!」


「歩実さんのシフト見たら休みだったから。どうせ暇だったでしょ?」


「暇だけどさ!」


悲しいかな仕事を辞めたことを誰にも伝えていないので、いつものメンバーには声を掛けられないし、同僚からの連絡にはまた会おうね、という社交辞令しか返せていない。


掛け持ちバイトで家賃と水道光熱費をどうにか賄っているため、なんとか貯金には手を出さずに済んでいるが、当然余裕なんて無い。


これまでのように後輩を誘って景気よく飲みに出かけることも出来ず、次の企画に向けての下準備をすることも出来ず、空っぽのスケジュールを家事をして埋めるというなんとも侘しいルーティーンを繰り返していた。


「朝飯どっかで食お?」


そう言ってウィンカーを出して車を車道に戻した槙が、海沿いに向かって車を走らせる。


これまでゼミメンバーでグランピングやバーベキューに行くたびお世話になって来た槙の車に一人で乗るのは当然ながら初めてだ。


人数確認と忘れ物チェックをして、この後のスケジュールを確認しながらわいわいがやがやドライブを楽しむメンバーは今日はいない。


「今日って目的があって呼んだんだよね?行きたいとこどこ?こうなったら最後まで付き合うからさ」


「いやー目的はとくには。とりあえず食べながら相談で」


「・・・・・・なにそれ・・・」


「せっかく休みが一緒なんだから、一緒に過ごしたいなと思って。普通でしょ」


槙がちょくちょく挟む意味深な台詞に過剰反応していた時期は過ぎてしまって、もう頷くことに慣れてしまった。


こういうのをあれだ、流されるというのだ。


このままうっかり返事もしないうちに付き合っている体になってしまいそうな気もする。


「あー・・・まあ・・・・・・よし、一緒に朝ご飯食べよう」


駄目だ駄目だと拳を握って、ひとまず目的を朝ご飯に設定した。


ちょうどお腹も減っているし、のんびり朝ご飯を食べて自宅に戻ったってまだ十分休日は残っている。


放置したままの洗濯物や食器類のことは一旦頭の中から放り出して槙に告げれば。


「天気いいから、海沿いのカフェ行くね。何か所か良さげな場所見つけてるから、そん中から気になる場所教えて」


「えっと・・・それは・・・」


「今日は一日デートしてねって誘ってる」


「強引だな!」


朝起きて寝ぼけたままの歩実に無理やり約束を取り付けて来た男の言うセリフではない。


誘われていないし、むしろ来い、くらいの勢いだったし。


「これが一番有効かなと思ってさ。ほんとは部屋まで行こうかと思ったんだけど、号室までは訊いてなかったから。何号室?」


「さ・・・言わないから!ほんっとあんた油断も隙も無い!」


「やっと隙が出来たから付け込んどかないと。あ、俺の部屋5階だから。502ね。暗証番号も教えとくからいつでもおいでよ」


「ちょっと、教えなくていいってば!不用心でしょ!」


「危険な相手には教えないだろ」


「槙、セキュリティ部門なんでしょ、もうちょっと色々警戒して」


「俺も無防備になるからさ。傷つけないから、俺のこと絶対大丈夫な枠に入れてよ」


「・・・・・・・・・そんな枠ないよ」


あ、この話題は嫌だな、と本能的に腰が引けそうになった。


外の世界との接点をすべて遮断した小さな小さな空間。


たしかそれは、歩実のなかにある。


あの日、走る事をやめて立ち止まった歩実が入り込んだ一人だけの居場所。


他の誰も寄せ付けない、絶対に触れさせたくはない場所。


ぽっきり折れて初めて出会った弱い自分が逃げ込んだ場所。


言ってないのに、そんな素振りも見せて来なかったのに、どうして彼には伝わってしまったのだろう。


誰からの期待も受けない一人きりの空間は、寂しいけれど不思議なくらい落ち着いて心地よいこと。


もうこのままここから出なくてもいいかもしれないと、ほんの少しだけ思ってしまっていること。


外の世界と繋がる事は、また、あの現実と向き合うことの始まりで、そうなったら立ち止まってはいられない。


それを、怖いと思う自分がいること。


「嘘吐くなら、もっと強い声で言わないと」


意味ないよ、と諭すように言われて唇を噛みしめる。


途端、それに気づいた槙が膝の上の手を握って来た。


唇を噛みしめたことを咎められたのだと気づいて、慌ててそれを払ったら、今度は器用に耳たぶを撫でられた。


みっともなく悲鳴を上げそうになったところを必死に堪えて、どうにか冷静を装う。


動揺したら、確実に負けだ。


「・・・・・・・・・・・・槙、いまのは躱すとこだよ」


「もう躱さない」


いつになく強い声で返されて、ぐっと息を飲む。


「・・・・・・・・・好きなら見て見ぬ振りすることも覚えようね」


必死に強がって切り返せば。


「好きなら自分を曝け出すことも覚えようね。ほっとかないから、大丈夫」


噛みつきたい気持ちと、泣きたい気持ちがない交ぜになって押し寄せて来る。


また言われた、大丈夫。


なんで、そればっかり、言うの。


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