第15話 component-2

分かりやすい照れ方は昔と少しも変わらない。


同僚や部下が、いつも穏やかで落ち着いていると評価する羽柴の本質は、実のところ昔からあまり変わっていないのだ。


「っ・・・・・・」


研究所ラボから出て来ることの方が少ない彼が、白衣姿のまま施設の入り口までやって来て笑顔で応対する女性なんて初めて見た。


気安い雰囲気から知り合いだろうと踏んだのだが、その時締めていたネクタイが今日と同じもので、以前コーヒーが撥ねた時にひどく慌てていたことをプラスして、意中の相手からだろうと予測を立てたのだがどうやら図星だったようだ。


研究所ラボに入って以来、上司や他部署の人間から紹介を受けているにも拘らず誰にも靡いていないのは、そういうことのらしい。


「なに、あの人がここに来るたびそのネクタイ締めてんの?一途だな、羽柴」


「槙が他人に干渉する時は、自分のプライベートが充実してる証拠だよね、彼女でも出来た?」


酢豚を口に運びながらしれっと意趣返しして来た羽柴の表情はもうすっかり落ち着いている。


動揺するのは一瞬ですぐにポーカーフェイスに戻るのが彼だった。


あの女性の前ではずいぶん砕けた表情を見せていたようだが。


「んー・・・あと、二押し・・・たぶん」


「え、まじで?誰、もう社内はやめるって言ってたのに」


「いや社外」


「ああ社外・・・そっか・・・何人か女子社員からお前のこと訊かれたんだけど、無理だね・・・・・・相手俺の知ってる人?」


「いや、こっちの人じゃないから、年上。大学の」


「へえ・・・」


「んで、そのネクタイ選んだ女、誰?そっちも年上だろ」


「なんで?」


「ネクタイと、お前の態度でなんとなく?」


当たりだろ、と口角を持ち上げれば、羽柴が珍しく視線を泳がせてから呟く。


「・・・・・・・・・うちの母親の元部下」


「へえ・・・役所勤めなんだ・・・部下ってすげぇな」


彼女との歳の差を考えると色々と厳しそうだなと勝手に想像してしまう。


まるでこちらの気持ちを読んだように、羽柴が口を開いた。


「・・・俺が高校生の時には向こうはすでに社会人だったよ・・・36」


「死ぬほど押さないと無理だなそりゃ」


「・・・・・・・・・押したいんだけど・・・」


「もしかして相手既婚者?」


もしそうならどんなに好きでもオススメは出来ない。


将来性抜群の友人を泥沼の争いの渦に突き落とすようなことはしたくなかった。


「違うよ。独身、だから余計困ってる」


「え?なんでだよ。独身のうちに急いでとかないの?」


「もうすでに一人の人生が出来上がっちゃってるから、俺が入り込む隙ないんだよ。あっち公務員だし終身雇用確定だから、お一人様でも全く問題なく楽しく暮らせてるしさ」


羽柴の想い人の人となりは分からないが、もしも歩実が今もまだ総合職を続けていたら、その女性と同じような36歳を迎えていたのかもしれない、とぼんやり思う。


あのまま歩実が走り続けていたら、二人の道は重なること無く確実に離れ続けていただろう。


「へー・・・隙なぁ・・・・・・俺もこないだまで隙なんて見つけられなかったけどな」


「じゃあ、どうやってあと二押しまで持ってったの?」


興味深そうに身を乗り出して来た羽柴の表情から察するにかなり手を拱いているようだった。


社内でも一目置かれている研究所ラボの研究者がプライベートで手詰まりになっているというのは傍からすれば面白いが、当人的には大問題だろう。


「あっちが色々あって無職になってへこたれた」


歩実には申し訳ないが、あの転機は槙にとってはチャンス以外の何物でもなかった。


羽柴が箸を動かす手を止めて目を丸くする。


「それは・・・めちゃくちゃチャンスだな。いや、無理、そんなの絶対あり得ないから、智咲さん意地でも死ぬまで働くからあの人」


ほんと参ったよとげんなり肩を落とした羽柴が、それでも大切そうにネクタイを指で撫でる。


「智咲さんって言うのか。センスいいな。それ、お前に良く似合ってるよ」


「・・・悔しいぐらい俺もそう思うよ・・・・・・ああ、そうだ、槙さ、イノベーションの雪村さんって知ってる?」


「高嶺の雪な、そりゃ知ってるけどほとんど接点ねぇよ」


どこか中性的な雰囲気の彼は”高嶺の雪”の異名がぴったりの美丈夫だ。


「俺よりそっちのほうが関わりあるかと思ったんだけど・・・施設管理の赤松さんと付き合ってるか知らない?」


「知らんけど、なんでそんなこと興味あんの?」


「・・・・・・智咲さんのさあ・・・後輩なんだって・・・・・・結構仲いい感じでさぁ・・・メッセージやり取りしてるみたいなんだよね・・・いまあの人医療都市推進機構に居るから頻繁にうちに来るし、イノベーションとはかなり密にやり取りしてみたいで・・・」


「そっち行かれたら困ると」


「困るよ。これ以上手の届かない場所に行かれたら物凄く困る」


「あー・・・それは・・・すごい納得かも」


手を伸ばせば届く距離まで近づいた歩実が、次の仕事を見つけて社会復帰するのは喜ばしいことだが、それを機にまた二人の距離が開くのは物凄く困る。


お互いいい歳だし、このまま専業主婦にでもなってくれれば安心なのだが。


と、そんな超飛び級並みの将来のことまでうっかり考えてしまって、槙はいよいよこれは本格的な恋の病だと苦笑いを零した。


穏やかな同僚の表情を羨ましそうに眺めた羽柴が、頬杖を突いてグラスのお茶を傾ける。


「どうせ赤松さんに訊いたってはぐらかされるに決まってるし・・・ほんと参ったよ・・・お前は今のうちにちゃんと捕まえときなよ。女心と秋の空って言うしね」


たしかに明日急に歩実の気持ちが遠ざからないとも限らない、と思ったら、やっぱり無理にでも椿亭にランチを食べに行くべきだったと後悔した。

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