<29・世界>

 恐らく、女神を完全に殺す方法はない。そんなことはアダムバードにも最初から分かっていた。むしろ、殺してしまっては困る。この世界を作った神様である以上、そうなったらどんな悪影響が出るかも未知数であるし、そもそも女神エリオーネには生きて人間達に呼びかけを行って貰わなければ困るのだ。

 そのためには、とにかく彼女を逃げないように拘束して、ひたすら“説得”をするしかないのである。それはそれ、下手に殺すより残酷じゃないの?と言われてしまえばそれまでなのだが。


「う、ううう!空気汚い、つっらい……!」


 その女神は今。魔王城の庭の木の上から、見事に鎖で縛られて吊るされている状態だった。顔色は真っ青だし明らかに吐きそうな顔をしているが、まあ死ぬことはないだろう。アダムバードから受けた魔法のダメージも、ゆっくりとしか回復していっていないようだった。

 最初から、自分達の狙いは一つ。いかに女神を、魔界に落とすか、それだけであったのである。


『女神は不自然なほど、魔界に姿を現さない。……これは、女神にとっても魔界の空気が毒になっている可能性が高いってことじゃないかしら。もしくは、女神の空間転移能力が、魔界では一切使えない可能性ね』


 魔王アダムバードの力は、女神が恐れるほどのもの。ならば、エリオーネと対等に戦える可能性は充分にある。が、仮に正面から戦うことができたとしても、エリオーネは不死身である可能性が高いにも関わらずアダムバードは長寿とはいえ不死ではない。耐久戦に持ち込まれたら圧倒的に不利であることは否めない。ゆえに、とにかく女神の動きを止める最後の一撃が必要だったというわけだ。

 そこで、ナコが提案してきたことこそ、エリオーネをトラップにハメて、魔界に突き落とすというものだった。魔界へ落としてしまえば、女神といえど大幅に弱体化させられる可能性があり、少なくとも空間転移を封じて魔界に閉じ込めることができる公算が高いからである。


『じゃあ、どうやってそこに至るのか、ということなのだけど。……次元の狭間まで彼女を追いかけていっても、向こうにさっさと逃げられたんじゃ話にならないわ。せめて、戦う気にさせないといけない。だから、まずは挑発して向こうの逃げる気を削ぐ、そして冷静さを奪う。まあ常套手段よね』


 女神が魔族を目の敵にするのは、嫉妬と恐怖が理由なのではないか。自分と同じほどに美しく、自分を脅かす可能性があるほど魔力を持った種族。そのようなもの、自分の意思で作ろうはずがない――だから、出来損ないと呼んで数が増えないうちに消し去ろうとして失敗した、というのが二千年前の顛末だったのではないか、と。そう見抜いたのは全て、ナコだった。

 そして今回も、何が何でも魔族を消し去ってしまいたいと思っている。特に、自分と同じ金の髪を持つ男が魔王の座に就いたのだ。様々な意味で気が気ではないはず。それこそ、本当は自分の手で殺してしまいたいと思っていてもおかしくない。臆病者と罵れば、それだけで挑発に乗ってくる可能性は高いだろうと。実際、ナコが言った通りの展開になったわけだが。


『そして、女神と直接対峙するメンバー……アダムバード、ジョナサン、ケンイチ、マリナ、私。この中で、女神が警戒するとしたら明らかにアダムバードとジョナサンだわ。私達はチートスキルを持っているといっても弱点のあるスキルばかりだし、スキルを除けばただの子供に過ぎないもの。誰も彼も決定打を与えられる能力なんか持ってないんだから、女神が警戒しないのも当然よね。少なくとも、アダムバードとジョナサンを消してからゆっくり料理すればいいだけの雑魚よ。……悔しいけれど』

『なるほど、それを見越してチートスキルにデメリットを設定していった可能性が高そうだな。万が一勇者が自分に刃向っても制圧できるように』

『私もそう思うわ。……そして私達が重要視されないということは、貴方達二人が倒されるまでは私達の動きに注視されることもないということ。悪いけれど魔王様、貴方と部下さんには囮役をやってもらうことになるわ』

『構わぬ。我も最初からそのつもりよ』


 つまり。女神の眼を完全に自分達に引きつけ、その隙に勇者四人が工作を行う作戦であったのだ。

 幸い、魔族は科学力にも秀でている。異空間転送装置ならば、魔法の訓練をしていない異世界人たちにも設置することが可能。そして、自分達の転送装置の優れているところは、“全く見知らぬ場所への転送は多少難しくとも、知っている座標への転送は簡単である”ということ。そして見知らぬ場所への転送も、事前にいくつかのデータを集めれば可能となるケースがあることだった。

 今回自分達が次元の狭間に飛べたのも、マリナ、ユキト、ナコ、ケンイチの四人の体に残っていた魔力のデータや過去女神が人間界に現れた時のデータを分析し、次元の狭間に繋がるルートを特定したからだ。そして、次元の狭間に入ることに成功すれば、あとはそちらに装置を持ち込んで元の人間界や魔界に戻ることは難しくないのである。既に帰還ポイントのデータを入力済みの装置を、次元の狭間の空間で折を見て起動させればいいわけなのだから。

 今回、アダムバードたちが持ち込んだ装置は二つ。

 自分達の帰還用と、女神を罠にハメる用である。

 アダムバードとジョナサンが本気を出して戦えば、女神とはいえ全力で相手をしなければならなくなるだろう。他によそ見をする余裕がなくなるし、そもそもエリオーネにとって残る勇者メンバーは取るに足らない雑魚という認識のはずである。ならば、引きつけるのはそう難しいことではあるまい。女神とアダムバード&ジョナサン組が戦っている間に、勇者の四人は転送装置の一つを次元の狭間に設置する。設置が終わったタイミングで、アダムバードとジョナサンが女神をその装置の近くに誘導するという作戦だったというわけだ。

 で、最終的には女神が装置に気づく前に、ケンイチの能力で時間停止空間を自由に動くことのできる四人が、女神の体を装置のエリアに押し込んでスイッチを入れる。――四人合わせてタックルしても大した攻撃力にはならないが、奇襲をかけてトラップに押しこむくらいは充分にできるというわけだ。


――ここまで考えたナコは、流石としか言いようがないな。


 約束通り、彼女は元の世界に帰すつもりではいる、のだが。正直、あの知略は手放しがたい。時々でいいから魔王城に来て仕事を手伝ってくんないかな、なんてことをついつい思ってしまうアダムバードである。


「ううう、下ろしなさい、下ろしなさいってばあ……!」

「下ろしていいのか、女神?」


 アダムバードは、吊るされて暴れているエリオーネに呆れて言う。


「その真下、毒の沼だぞ。落ちたら溶けるだろ、お前でも。いいのか?」

「よ、よくなーい!」

「だったら暴れないで大人しくしてろ。そんでもって我らの言う通りに動け」

「うううううううううううう!」


 やけっぱちになった女神から、この世界の成り立ちと何故魔族を追い出そうとしたのかについては聞いていた。まあ、彼女も神としての立場とプライドがあったことは認めよう。そして、現代日本の“神”とやらも、住民があっさり巻き込まれて死ぬことを許しているあたり相当倫理観がトんでるし、彼女達にとってはそれが普通であるのかもしれないということ。

 でも。自分達は神ではなく、この世界に生きる人だ。

 彼女らにとっては“たかが一つや二つの命”が、自分達にとっては“かけがえのない一つの命”である。受け入れるわけにはいかない。たとえ、彼女らにどんな事情があったとしても。


「我らにとって、世界はこの場所以外にはない。……お前が安住の地を約束し、魔族と人間の結束に力を貸すのなら……お前達神に反逆しようという気は起こすまい。少なくとも魔族に関しては、我が魔王として責任を持つと約束しよう」

「……それを、信じろっての」

「信じるしかないのがお前の立場だろう。悪いが、お前が考えを変えない限りずっとそのまま吊るされて苦しむことになるがいいのか?」

「うううううう!」


 もうしばらく女神の説得には時間がかかりそうである。なるべくアテナ基地の人間達もまた動き出さないとも限らないし、できれば早めに決着をつけたいところだが。


「アダムバードさん!」

「!」


 パタパタと足音が響いてきて、アダムバードは振り返った。見れば、宇宙服のようなものをすっぽり着込んだユキトが、魔王城から走ってくるではないか。


「ユキト、何で城の外に……」

「治療が終わったジョナサンさんに、これ貸して貰ったんです!これ着てれば一定時間は魔界を出歩いても大丈夫だからって!」

「ジョナサンめ……」


 毒舌家のジョナサンだが、ユキトには少々甘いらしい。そういえばあいつ弟いたんだっけ、なんてことを思い出す。まあ、子供に甘いと言えば自分も自分なので、あまり人のことは言えないのだが。

 次元の狭間から魔王城に帰還した自分達は、ユキトの能力で傷を全回復してもらって今に至る。そういう意味でも、恩があるのは間違いあるまい。


「さっき、ケンイチたちと話し合いをしてきました。これからどうするのかって」


 どうやら、ずっと会議していたのはそのせいだったらしい。思えば四人の願いは全員バラバラである。元の世界に帰りたい奴と、この世界で永住したい奴。綺麗に二人二人に別れていたはずであったが。


「色々考えて……僕達は決めました。暫く、この世界にいます。魔族と人間が、ちゃんと仲直りできるのを見届けるまで」

「え」

「魔族の装置なら、僕達が事故で死んだ事実を消して、死んだ日の時間軸に僕達を戻すことはいつでもできると訊いたんですけど、違ってましたか?」

「あ、いや、それは間違ってないが……」


 意外な答えだった。特にユキトは、ナコと並んで今すぐにでも元の世界に帰りたい人間ではなかったのか。あっけにとられるアダムバードに、ユキトは。


「僕。……アダムバードさんが、この戦争が終わったあとにしようとしていることの資料、見させてもらったんです」


 かつん、と。少年の靴の爪先が、足元の小石を蹴った。


「まずは魔族が住める特区を作るところから始めて、それぞれの意識改革と教育、報道……でもそれだけじゃない。アカナ川の堤防の強化とか、トリエントシティの貧民街の整備と救済とか、シュエントタウンの孤児院の増設と支援とか。あのへんって、魔族とは全く関係ないところですよね。明らかに、人間達のために考えた政策が、いっぱい。……貴方は魔族だけじゃなくて、人間達の未来もちゃんと考えている。そんな資料が、魔王アダムバードの世界征服計画!とかタイトルついてて笑っちゃいました」

「我が好む世界を作ろうというのだ、それが世界征服以外の何であると?」

「ふふふ、ですよね。貴方は、そういう人なんですよね。僕にもなんとなく分かってきました」


 ヘルメットごしにでも、表情は見える。ユキトは、今までで一番嬉しそうな笑顔をこちらに向けてくれていた。


「優しい世界征服もこの世の中にはある。……僕はこの世界に来て、それを知れたことを誇りに思います。だから、そのお手伝いがしたいんです。……これは誰かに流されたんじゃなくて、僕自身の意思です。回復スキル、役に立つでしょ?」


 自分なんて、と思っていた少年は。最終的には女神や魔王の奇跡になど頼ることなく、自分で自分の願いを叶えようとしている。ひょっとしたらそれは、ケンイチ達他の三人も同じであるのかもしれなかった。

 ならば、魔王や魔族以前に、一人の大人として自分がするべきことは一つだろう。


「……ビシバシとコキ使ってやるぞ。覚悟しておけよ?」


 まだまだ問題はある。きっとこれからも、誰かが傷つき、誰かが涙を流すようなことはいくらでもあるのだろう。

 それでも積み上げた願いと努力は、きっと人を裏切らない。どれだけ間違いを犯しても、そこから引き戻してくれる誰かの手がある限り。


 魔王アダムバードと勇者たちの世界征服計画は、今まさに始まったばかりである。

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魔王アダムバードの逆襲 はじめアキラ @last_eden

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