<12・温情>
「……よろしかったのですか、魔王様」
「ん?」
ユキトの部屋から出たところで、丁度ジョナサンと鉢合わせた。どうやらこっそり、中の会話を立ち聞きしていたらしい。魔王城の壁はどこも分厚く作ってあるが、そもそも魔族の聴覚は人間に勝るので、中の声が聞こえても不思議ではなかった。実際、盗聴する系の魔法もあれば装置も存在している。妙に心配性な彼ならばそういったものを使ってもおかしくないし、アダムバードとしても咎めるつもりはなかった。
「今回の作戦、ユキトには“魔王軍に救われた”と恩を売る方が妥当ではあったかと思いますが」
彼は眉を顰めて、至極尤もなことを言う。
「我々がヘレンを使ってユキトが追放されるように仕向けた、という事実。ユキトには知られないようにした方が無難であったのではありませんか。ヘレンがスパイであった事実は認めるとしても、彼はたまたまヘレンと会話してしまった結果あらぬ疑いをかけられただけ、こちらもそういったつもりでヘレンをけしかけたわけではなかった……と。そう説明することも可能であったかと思いますが」
「ふむ、尤もな意見よな。我もジョナサンの立場なら同じことを言うであろうよ」
「では、何故?」
そう改めて問われてしまうと、なかなか説明が難しい。ユキトには、嘘が嫌いだからと告げたが――勿論実際にはそんな単純なことではないからだ。嘘が好きではないというのも、間違ってはいないのだが。
「……少々不憫に思ってしまったのかもしれんな」
前髪を掻き上げつつ、三代目の魔王は笑う。
「女神が都合の良い、捏造した真実と事実ばかりを連中に教え、自分の思う通りの世界を作ろうと奴らを利用していること。……意図せず殺され、転生させられたという意味では奴らもまた女神の被害者には間違いない。その上で、人の身に余る力など与えられてみれば、幼い子供が道を踏み外すのも仕方ないことと言えば仕方ない。ましてや、横暴に見えるケンイチやマリナとて、見知らぬ異世界で不安がなかったはずもなかろう。自分の力に溺れ、楽しいことだけを享受して戦の恐怖や異世界への怯えをどうにか誤魔化していると見える。……奴らも不憫であるし、そんな中唯一信用できるはずの同じ世界出身の者達にも体よく扱われるユキトが抱えていたストレスは、まったくいかばかりかと思うと胸が詰まる」
「まあ……確かにそれはそうですが」
「勿論我らは敵であるぞ。それを忘れるつもりはない。我らの悲願は、魔族が安心して暮らせる世界を作ること。人間どもが消費し続けているあの世界を手中に収め、魔族の子供らが飢えない世界を作ることこそ最大の目的には違いない。が、人間とはいえ、奴もまた本来ならば庇護すべき子供であるのも間違いはあるまい。……敵として立ち塞がるなら殺さねばならぬ場面もあろうが……できればそうならない方法を探したいとも思ってしまうのだ」
我ながら甘ったれたことを言っている、のはわかっている。しかし、翻弄されて涙を流す小さな少年に何も思わないほど、心まで悪魔にはなりきれないのも確かなことなのだ。
「味方に引きこめば、少なくとも殺さずには済むであろうよ。……そして元よりユキトを味方に引き込む選択をするのであれば、後に禍根を残すような要素は排除するべきだと踏んだ。正直に話したのはそのためよ。何より、奴には、己をハメた我ら魔族に対して怒りを感じる権利がある。それさえ奪ってしまうのは、一個人としての奴を少々愚弄しすぎているように思ったのでな」
これは単純に、自分のケジメのようなもの。その結果ユキトが自分達をどうしても許せず、魔王城を飛び出して行くと言うのならそれも一つの選択だろう。
まあ、どちらにせよこの城の外は、魔界の生物蠢く魔界。人間界と違って、酸素も薄ければ人間にとって毒となる沼地などもある。彼の性格ならば、窓の外を見て現実を知った時点で、一人で逃げ出すなど無謀でしかないことにも気づくだろうが。
「ナコ相手には約束を守るとして……ケンイチ、マリナのことも殺さないおつもりで?」
ジョナサンが当然の疑問を口にする。アダムバードは、向こう次第としか言いようがないな、と肩をすくめた。
「奴らを封じる方法は既に話した通りであるが……その上でもし説得に応じず、あるいは我らに危害を及ぼすようではその手段も辞さぬつもりよ。奴らに憐れみを感じてはいるが、最優先事項と言うほど我も愚かではないつもりだからな」
「……でも、できれば殺したくはないのですね」
「ジョナサンよ、お前も知っているであろう。……我は本来、子供が好きなのだ」
勿論、おかしな意味ではない。魔王という役目を授かってから、何度も魔界の学校や幼稚園に顔を出しに行ったが。そのたびに、やはり小さな子供達というのは宝物だと常々思うのである。自分は結婚せず、子孫も残さない選択を選んだ。それは魔王という役目を世襲制にしたくない、という初代からの思考を受け継いでいる。子供は可愛い。が、妻と子を持てばその者達を贔屓して、他の者達と平等に接することができなくなってしまいそうで恐ろしい。魔王である以上、魔族は全て己の家族と思うべきなのだ。それが初代魔王が望んだことであり、二代目も引き継いだ絶対の信念の一つであるのだから。
「……前々から思ってたんですけど」
はあ、とジョナサンはため息をつく。
「アダムバード様って実は……滅茶苦茶向いてませんよね、この仕事」
「奇遇だな。我もそう思っている」
「胃痛で倒れるのはやめてくださいよ。……まあ、そんな貴方だからこそ、命を投げ捨ててでも着いていこうとする部下がたくさんいるんですけど。私もそうですしね」
「ははは、捨てて貰っては困るなあ」
からからと笑いながら廊下を歩いて行く。なんにせよ、ユキトにはもう少し冷静にものを考える時間も必要だろう。枕元に、何かあったら人を呼ぶようにとコールボタンの操作方法のメモを置いてきた。あの部屋には風呂もトイレもあるし、冷蔵庫にもちょっとした飲み物を入れているから乾いて死ぬこともあるまい。そもそも本人は回復能力持ちで、冷静になれば身体的疲労や怪我を治すことも思い出すことだろう。こちらからこれ以上手当を施す必要もあるまい。
窓を割って魔界の空気に触れてしまったら少々危険はあろうが、ユキトは特に武器の類も持っていないし、本人の性格上そういったリスクはまず侵さないだろう。まあ、もし異変があれば、防犯カメラで常に状況をチェックしている警備員がすぐにすっ飛んでいくはずだ。
――一つ気になることがあるとすれば、ユキトの話だな。てっきり、我らの見目は……一部ニンゲンに近い者を除き、人間どもの眼には酷く醜く見えるものなのかと思っていたが……そうではないのか?
魔族の歴史に関しては、ナコにもユキトにも嘘は言っていない。魔族とされた者達は、あくまで人間の突然変異に過ぎないからだ。元々人間界に住んでいたのを、少々魔力が強かったことと、人間達と異なる容姿で恐れられたため迫害を受け、殺されそうになったので魔界に逃げ込んだというのは紛れもないアダムバードの知る真実である。
ただ、自分が伝え聞いていた情報では、魔族の見目は(特に、魔王になるような魔力の強い者は特に)ニンゲンからすると鬼のように醜いものに見えるから差別されたという話だったのである。まさか人間界の者達と同じ美意識を持つであろう異世界人のユキトから、美しいとまではっきり言われるとはまったく想定外だったのだ。これは、どういうことなのだろう。自分達は醜いから怖がられたのではなかったのだろうか。
――そういえば、女神も我らと同じ赤い目をしていた、のだったな。
そして女神にとっては、魔族とされる者達は人間の出来損ないであるとして、忌み嫌われたというのは有名な話である。というか、実際に女神からも言われたことがあったはずだ。本来作る予定ではなかった、あってはならないニンゲンになれなかったニンゲン。だから滅ぼさなければいけない、と。
――そして我に至っては、金髪まで女神とお揃いときている。勿論我と女神に血縁関係などあるはずもないが……これは偶然であるのか?
残念ながら、このあたりに関しては情報不足である。そもそも女神がどういう経緯でこの世界を作り、人間達をどのように創造したのかというのが曖昧である。異世界人たちに散々嘘を吹き込み、人間たちに魔族の悪い噂ばかりを振り撒いて、魔族殲滅へと扇動した張本人だ。果たして問い詰めたところで、真実を話してくれる保証があるかどうか。
そう、元はと言えば人間と魔族が対立することになった元凶は女神にあると言っても過言ではないのである。何故女神が魔族を滅ぼしたがっているのか。そこが分かれば、この不毛な争いを終わらせるきっかけが見いだせるのかもしれないが。
――まあ、今それを考えてもどうにもならない、か。
頭を切り替えよう。廊下を歩きながら、そういえば、とジョナサンに声をかける。
「人間界の方はどうなっている?奴らはもうそろそろ、アテナ基地にへ向けて出発する頃合いであろうが」
「はい。ナコは今のところ、魔王様が指示した通りに動いてくれているようです。ケンイチやマリナ、それ以外の兵士達からも特に疑われている様子はありません。明日の午前中には、約一万の兵がアテナ基地に向けて出発するものと思われます」
「ふむ、まあ予定通りか」
ということは、ナコは頼んだ通りの作戦を立ててくれたということだろう。
アテナ基地にケンイチの力を使って安全に入り込み、夜の見張りを担当している兵士をマリナの能力で洗脳。そして、自分達が安全に脱出してから兵士達に暴動を起こさせた後、大騒ぎになったアテナ基地に包囲している人間の一般兵たちがなだれ込んで制圧するというやり方である。基本戦術はシトロン基地を落とした時と変わらないが、今回はナコを使うことによって“奴らがどこの場所から基地に入り込み”“誰を洗脳し、どのルートを使って脱出するか”などを全て思いのままにすることができた。
実質、向こうの作戦は完全に筒抜け状態というわけである。そして、シトロン基地を落とした時に一部の兵は死亡したり、あるいは怪我で動けなくなったため兵力も減少している。転生者どもさえ封じることができれば、一万の有象無象を蹴散らすことなど魔王軍には容易いことだろう。
「引き続き監視を続けよ。どれほど順調でも、油断するなよ」
「御意に、魔王様」
ここまではうまくいっている。
あとはどこかでイレギュラーが起きないことを祈るばかりだ。
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