<13・困惑>

 魔王って、魔族って一体何なんだろう。ユキトは既に、自分の認識が信じられなくなりつつあった。というより、今まで教えられてきたことがどこまで正しかったのか自信がなくなりつつあると言った方が正しいか。

 女神には、魔族は人間達を憎み、殺そうとしているのだと聞いていた。

 人間達も女神から同じように教わり、言い伝えられてきたのだと証言している。魔族は野蛮で、人を生きたまま嬲り殺しにするのが大好きな連中なのだと。人を人とも思わず、人間が豊かな資源をほしいままにしていることが妬ましく、そして許せないのだと。だから人間界に来て、人間達が長年かけて育てた資源や文明を根こそぎ奪い取り、忌々しい人間達を亡き者にしようとしていると。

 血のような赤い目をした、まさしく鬼のような存在。悪魔と呼んでも差し支えない。魔族は魔族同士で結託しているものの、人間のような思いやりや優しさは欠片もなく、仲間でさえ生き残るためには平気で捨てる。親子の情さえ薄く、母親が我が子を用済みとして殺すことも、逆さえも珍しくないのだと。

 そんな連中だから二千年前、人間とは共存することが出来なかった。高い魔力と恵まれた身体能力を振りかざして、人間達を虐殺して回ったため、人間達は結託して彼らを倒そうと立ち上がった。そして、殺すことは出来ないまでも魔界に追いやり、封印することに成功したのだと。女神からは魔族についてはそのように聞いていたのである。それらを率いる者こそ、魔王。人間達が倒し、駆逐しなければならぬ悪魔の総大将であると。


――そう、聞いていたんだけど。


 RPGゲームでは、勇者が正義で魔王が悪なのはもはや使い古された設定である。この世界に来たときも、きっとそんなテンプレートな設定を踏襲しているだけなのだろうと意に介さなかった。が。よくよく考えてみると、奇妙な点はいくつもある。女神から聞いた話が本当ならば、魔族たちを魔界まで追い出して封印したのは人間たちのはず。魔界と人間界を繋ぐ門をこちらから厳重に封印して援軍を封じた後、人間界に残っている魔族たちを全て倒せば話はあっさりと終わるのではなかろうか。

 それなのに、いつの間にか人間界では、魔族達を再度魔界に封印するのではなく魔界にいる者達まで根絶やしにするのが正解ということになっている。だから、人間界に作られた魔族の基地を占拠しては、そのに設置されている結界の装置を破壊して回るということを繰り返しているのだ。その結界があることによって、人間が魔界に踏み込めなくなっているから、魔界に攻め込むことができないからだという。ユキトたちが先日奪ったシトロン基地も、これからケンイチ、マリナ、ナコが向かうであろうアテナ基地も。それらを逐一撃破していく最大の理由はそれだったと言っていい。


――何故、二千年前と同じく封印では駄目だったのか?


 確かに、封印が破られて人間界に攻め入られるようになってから久しいのは事実。が、それは単純に人間界側が魔族を追い出してから平和ボケしてしまい、結界の維持を怠ったのが最大の原因である。結果、結界を向こうから破ろうとしていた魔族側の動きに事前に気づくことができず、侵入を水際で阻止できなかったのだと聞いている。

 裏を返せば、それらの努力を怠らない限り、人間界に魔族が再び侵攻して来るのを防げる可能性が高いのではないか?

 封印する方が、魔族と全面戦争をするより人間側の犠牲者だって少なくて済んだはず。それなのに、人間側の姿勢が魔族の再封印ではなく、殲滅に切り替わった理由はなんなのか。確かに宣戦布告してきたのは魔族が先であったのは事実だが、戦争を続けることが人間側にメリットがあったとも考えにくいのに――。


――やっぱり、女神様に僕達は騙されていた?……実際、二千年前の魔族を追い出すように最初に人間に命じたのは女神様だったと言っていたし……。


 ああ、一体何を信じればいいのだろう。ユキトがそう思うのは、窓の外に見える光景にも起因している。

 カーテンを開けて外を見てみたところ、そこは魔王城の庭が広がっていた。自分がいるのは一階であったらしい。赤紫色の大地に黒い空、黒い葉が生い茂る木々はあまりにも毒々しくて不気味だ。が、そんな禍々しい景色とは裏腹に、木々の隙間を縫うように走り回っているのは普通の子供達である。

 勿論ここは魔界であるからして、遊んでいるのもみんな魔族の子供であるのは明白だ。みんなが白い肌、赤い目、小さいながらも確かに二本の角を持っているのだから。

 しかし。


「キャンディ!今度こそ捕まえてやるからな、覚悟しろよぉ!」


 そこから聞こえてくる子供達の無邪気な声は、姿は、人間の子供達となんら変わらないもので。


「ふふーん、あんたみたいなのにあたしが捕まえられるかしらね!鬼さんこちらー!」

「てんめー!ふざけんなよ!」

「マーシー、俺らのことも忘れるなよ!ちゃんと捕まえてくれなー!」

「テッドは木の上に逃げんな!俺木登りできねーのに!!」

「練習しろ練習っ!!」

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!けけけけけけ毛虫!毛虫出たぁ!」

「え、ちょ、どこどこどこどこ!」

「いやぁぁぁぁむりむりむりむりむりむりむり!」

「お前らなんでワニ平気なのに毛虫駄目なの!?」

「きゃ、キャンディ!俺の方に投げるな、わ、あ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 なんとも賑やかな集団である。見た目は人間の小学生相当に思われた。魔王の身内か誰かであろうか。楽しそう、と思うと同時にひどく眩しく感じた。果たして自分は、あんな風に同年代の子供達と遊んだことがあっただろうか。いつもいじめられまいかと怯えて、人の顔色ばかり伺って。パシリにされては、昔よりもマシなはずだと自分を誤魔化してきたような気がする。


――足も遅いし、体力もない、でも。


 本当は自分だって、あの子達のように子供らしく遊びたかった。笑い合いたかった。

 そんな事ができる、友達が欲しかった。


――でも僕には勇気もなくて、それで。


 無意識のうちに窓枠に手をかけ、窓を開けようとしていた。と、次の瞬間派手にブザーが鳴り始める。


「う、うわぁっ!?」


 思わずベッドで尻もちをつくのと、魔王が出ていったドアが派手に開かれるのは同時だった。慌てて振り向けば、そこには息を切らした青髪の若い魔族の男性が一人。兵隊らしき制服を着ている。


「何してるんですか!」

「ご、ごめんなさい!僕脱走しようとしたわけじゃ!」

「死んでしまいますよ!!」

「えっ」


 脱走しようとしたことを咎められるかと思いきや、叫ばれたのは意外な言葉で。きょとんとしている間に、ユキトはずるずると窓から引き剥がされることになる。


「貴方、勇者なのに女神から何も聴かされていないのですか?魔界の空気は人間には毒なんです。長時間外にいるとそれだけで倒れてしまうし、ましてや魔王城の周りには危険な毒沼が多くあります。魔族ならともかく、人間なんかが無防備に触ったりしたら一瞬で溶けてなくなってしまいますよ!」


 と、溶けるってなに!?とユキトは目をひん剥くことになる。相変わらず外からは、魔族の子供達の笑い声が聞こえてくるというのに、まさかそんなに危ない環境だったというのか。


――って、そんなに危険ならなんで魔界に攻め入ろうなんてしてるんだよ人間軍!ていうか、女神様なんで教えてくれないの!?


 目の前の兵士が嘘を言っている可能性もゼロではない、が。実際、空は見たこともないような色をしているし、大地も紫色と来ている。魔界が植物の育ちにくそうな荒涼とした大地が広がる場所であることを鑑みるなら、大気の酸素濃度や気体の割合そのものが違っていてもなんらおかしくはないし、毒沼があるというのもダンジョン的にはありうる話だと思ってしまう。

 またしても女神に騙されていたかもしれない。そんな疑惑に、ますます混乱を極めるユキト。


「人間界にどうしても行きたいなら、魔族の誰かを同伴につけて人間界に通じるゲートを通って下さい。魔王様が許可を出してくれれば可能ですので」


 兵士はあっさりとそんなことを言う。


「今はあまりお勧めしませんけどね。貴方は勇者仲間を裏切った存在だと思われてるでしょうから、情報が伝わっている町の住人たちからもまともな歓迎を受けないでしょうし」

「……追放するように仕向けたのは、お前らじゃないか」

「それについては魔王様も弁明されなかったでしょうし、俺からもしませんよ。事実は事実ですからね。……魔王様からも言われてます、貴方がどうしても魔族側につくつもりがない、我々を信じられないと言うのなら人間界に返してやれと」

「え」


 せっかく自分を捕まえたのに、それでいいのか。驚くユキトに、兵士は続ける。


「それが魔王様の、ご意思ですから。……ただし、本当にそれが正しいことかどうかは、きちんと貴方の心で決めるべきだとも仰せでした。もはや貴方は誰かに流されて、誰かに責任転嫁して代わりに選択して貰うことはできない。魔族側につくのも、それでも女神と仲間を信じて勇者側に戻るのも、この異世界であてなく旅をするのも。それは貴方が自分で責任持って決めるべきこと。そうしたならば、どのような選択でも自分は尊重しよう、というのが魔王様のお考えです」


 訳がわからなかった。ユキトに好き勝手にさせることに、魔族側になんのメリットがあるというのか。そもそも、魔王という存在に関して、女神や人々から聞いていたイメージと実際に話した印象があまりにも乖離し過ぎているのである。

 そう、横暴で尊大で、血も涙もない冷血漢。残酷で冷酷無比、人間達を拷問して殺してその悲鳴を肴に宴を催すような男だと聞かされてきたというのに。

 彼は元々敵であるはずの自分を魔王城に連れ込んだだけで、拘束さえもしてこない。逃げようとするなら殺すとも言わない。勿論、そうさせない自信があってのことだと考えられなくもないが。

 彼の言葉は、なんだかまるで。


「……魔王アダムバード、は」


 こんなことを魔族に尋ねる意味はないのかもしれない。少なくとも魔王城で警備をするような兵士が、魔王に忠誠を誓っていないはずがなく、魔王に不利になるような証言をするはずがないのだから。

 それでも、ユキトは。


「どんな人物、なの……です、か?なんか、実際話してみたイメージと、聞いてた人物像が全然違って……」


 尋ねずにはいられなかった。この、まだ未成年にも見えそうな若い見た目の兵士に。


「どんな人物と言われても」


 案の定と言うべきか、やや彼は困惑したように返してくる。


「まあ。初代や二代目の魔王様と比べると……天然ボケ気味で、ドジっ子キャラとはよく言われますがね、アダムバード様は」

「ど、ドジっ子?」

「ええ、よく階段ですっ転んでますし、自分のマントの端を踏んでひっくり返っていることもしばしば。頭は非常にいいお方なのですが、斜め上のことばかり考えて変なところで立ち止まってることも少なくはありませんね。歴代でも一際変わり者の魔王様であることは間違いありません」


 しかし、と彼は続ける。


「アダムバード様ほど、心優しい王様もいないと俺は考えているし、きっと他の皆もそうでしょう。あの方は、弱き者の心がわかる方です。幼い頃は女神によく似た金色の髪のせいでいじめられていましたからね。人より強い魔力を持つのに、それをコントロールできずに暴発させて迷惑をかけることも多くて、それがトラウマになっていたようです」

「あの人が、いじめられっ子……?」


 思わず、ユキトは先程話したアダムバードの姿を思い出していた。人間で言うところの二十歳くらいの見た目の、長身でそこそこ立派な体格の美丈夫。魔王としての風格もさながら、非常に堂々とした自信家に見えていたというのに。


「この世の悪とは、単純なものではない。魔族が消えれば人間界が平和になるわけではないように、人間が消えれば魔族が平和になるわけではないことくらい、アダムバード様はよく理解しておいでです。人の中にも、魔族の中にも、等しく悪魔は潜んでいるものですから」


 だからこそ、と兵士は言う。


「もしも人間にとっても魔族にとっても住み良い世界が作れるとしたら、それはきっとアダムバード様のような王の手によるものだと俺たちは確信しているのです。魔族の闇を知り、それでいて弱き者の立場を誰より理解しているアダムバード様だからこそ」


 彼はすたすたと窓に近寄ると、カーテンを大きく開けて外の景色をユキトに見せた。子供たちはこちらの視線になど一切気づいていない様子で鬼遊びを続けているらしい。角が生えていようと、目が赤かろうと、そこにいるのは人間となんら変わらないただの“子供たち”であった。


「あの子達は、みんな孤児です。……人間達との戦いで、親が人間に殺されたものばかり」

「え……」

「親の敵討ちを望む子もいましたが、アダムバード様は子どもたちにこう教えています。どうか武器を取るよりペンを握れ、親の分まで学び幸せになれ。彼らもそれを望むはずだ、と。……仮に復讐を望む親がいたとしても。我が子に、早死してほしいと願う親はいないはずだから、と」

「…………」

「ユキトさん」


 兵士な真っ直ぐとユキトを見つめる。これが自分の中の真実だと言うように。


「貴方の真実は、どうか貴方の目で見定めて決めるように。決断ができるその時まで、貴方を賓客として饗すようにと魔王様から命令を受けておりますゆえ」


 わからない。

 ああ、どうしてもわからない。


――何が、真実なんだろう。


 信じてきたものが揺らぐ音が、ユキトの中で木霊していた。人間とは、魔族とは、正義とは、悪とは、勇者とは、魔王とは。

 残念ながらその答えはまだ、見えてきそうにはなかった。

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