<14・夢見>
幼い頃から、マリナはいわゆる“夢見る少女”の典型であった。
多分それは、母親の徹底した淑女教育のせいもあったのだろう。良いところのお嬢様であり、容色に優れて生まれたマリナを母親は溺愛していた。そして、事あるごとに言ったのである。
『いつも可愛らしく微笑んで、女性らしくお淑やかにしていれば。いつか必ず、王子様が迎えに来てくれるわ。貴女はそれくらい美しいんだもの。自分から、幸せを迎えに行く必要なんかないのよ』
小さな子供にとって、親という存在はまさに絶対的なものである。勉強さえきっちりやっていれば、マリナのやることなすこと何でも褒めてくれた母の言うことは、マリナにとっても絶対的に正しいものであったのだ。女性らしく、お上品に、そして心の中でどう思っていようと可愛らしく微笑んでいれば男達はみんな見惚れて自分に寄ってくる。実際、彼女が言った通りだった。幼稚園の頃から今に至るまで、マリナが男性から好意を寄せられなかったことはない。己が他の少女達と比較にならないほど美しい見目をしていると、マリナが自覚するには充分だったのである。同時に、同じほど“お姫様”になれる素質を備えているのだと。
本物のお姫様は、ただにこにこ笑って待っていれば白馬の王子様に迎えに来て貰えるもの。
お姫様である努力は必要だけれど、それ以外の努力は必要ない。自分から無理に幸せを迎えに行く必要もなく、自分を好きになってくれる男性を探す必要もない。待っていれば必ず、自分を求めるたくさんの王子様が現れてるから、自分はただそこから選り好みして一人を選べばいいだけなのだと。自分には、それだけの素質と力があるのだからと。
マリナがそう強く思うようになった決定打は、幼馴染のケンイチの存在だっただろう。幼稚園の頃から一緒に遊ぶことが多かった彼。最初は、“友達は多いけど、地味な見た目のやつ”くらいの認識しかなかった彼が、マリナにとっての第一皇子に躍り出たきっかけは、彼と友人達と行ったかくれんぼである。
その小学校には、ちょっと大きな裏山があり、自分達はいつもそこでかくれんぼなどをして遊んでいたのだった。男の子の友達が多かったように思う。下手な少女達相手よりも、少年達と遊ぶのはマリナにとって気楽なものに違いなかった。彼等の前では妙な見栄を張らなくてもよくて、かつ、多少お転婆な真似をしても“女の子だから”というフィルターだけでちやほやしてもらえることが多かったからである。要するに、他の男子達が数倍やんちゃだったため、多少紅一点のマリナがはしゃいだ程度では“はしたない”のはの字にも見られなかったというべきだろうか。
だからこそ、小学校一年生の時、ちょっと無茶をしてしまった。
丘の上から滑り落ちてしまい、草叢の中で足をくじいて身動きが取れなくなってしまったのである。足が痛くて、大きな声もあげられない。みんなが次々鬼に見つかっている気配があるのに、自分だけ見つけて貰えなかったらどうしよう。自分を置いて、みんなが帰ってしまったら。自分はこんな場所で、泥だらけの砂まみれになって死んでいくのではないか、とさえ恐怖した。
だから。
『マリナ、良かった見つけた!』
ケンイチが来てくれた時、言葉にならないほど嬉しかったのである。
泥まみれになりながらも自分を一人探し回ってくれていたのだと知り、マリナは足の痛みが吹っ飛ぶほど別の感情で泣き叫ぶことになったのだった。
地味な見た目の少年。自分の王子様には相応しくなんかない。そう思っていたのに――その瞬間の彼は、今まで自分が見たどんなアイドルタレントよりもカッコよくて。
マリナは一瞬にして、恋に落ちたのだった。
彼だけが、お姫様の元に命を賭けて辿りついてくれた、待っているだけで来てくれた紛れもない王子様であったのだから。
――自分でも、嫉妬深いなって思う。でも。
その恋心は、今も続いている。
そればかりか、年々強くなる一方だ。
――離したくない。離れたく、ないの。
「……マリナ?」
アテナ基地に向かう途中。草原の道の途中で、突然ギュッと手を握られて、ケンイチは驚いたように振り返った。自分でも恥ずかしいことをしているのは分かっている。幼馴染という立場に甘えて、今日まで想いを伝える勇気が出なかった自分。彼が告白してきてくれないかな、という期待がなかったと言えばそれも嘘になる。でも、彼は男女問わず友人が多い少年だし、妙なカリスマ性のようなものがあるのも事実だ。特定の人間だけ唾棄するレベルで嫌うこともあるが、それはユキトのような一部の臆病者、卑怯者に限られるとも知っている。
一種の博愛主義にも近いのだろう。そんな彼が、仮に自分のことを想っていてもおいそれと告白できるとは限らない。あるいは、幼馴染として大切に思っていてくれても、それは妹に近い感情であるのかもしれないのだ。そこから一歩踏み出すためには、きっとマリナから行動することも必要だったはず。
そう、わかっていたのに。いつも誰かが来てくれるのを待っていて、それでうまく乗り越えられてきたマリナには――自分から迎えに行く経験など一切ないも同然で。ようは、積極的に行動することにはあまりにも慣れていなかったのである。ただ一言、好きよ、とか。付き合って、と伝えればそれでいいはずなのに。子供の頃と同じように手をつなぐことが許されるほど、自分達の関係は近いはず。それはこの異世界に来て、ますます強まったと言っても過言ではないはずなのに。
「は、離れないで、ね」
どうにか絞り出せたのは、それだけだった。
「不安、だから」
情けない、みっともない、しょうもない。
こんな自分を知られたくなかった。ケンイチが一番嫌いなのはきっと、優柔不断な人間や臆病な人間なのだろうから。
「守ってね、私の、こと」
「マリナ……」
「お願い……」
今までの作戦も、殆どがうまくいっていた。一度大怪我したこともあったが、それ以降は大した傷を負うこともなく済んでいたはずだ。確かに魔王軍の基地を攻めるごとに、人間界の各地で集めてきた兵士達の数も減り、少々心もとなくなりつつはあるけれど。それでもまだ、ある程度は人員がいるし、自分達は女神様の威光もあって救世主として持て囃されてもいる。
ナコ自身に思うところはあれど、彼女の作戦もまた信用出来る者であるのも事実だ。今回だってきっとうまくいくだろう。そう信じている。信じている筈だというのに。
この妙な胸騒ぎは何なのだろう。ケンイチがいなくなってしまうかもしれない、もっと怖い怪我をすることになるかもしれない、何か大切なことを見落としているかもしれない――そんな不安。
憂慮するべきことは何もないはずだ。スパイ疑惑があったユキトも追い出した。それなのに。
「……ああ」
ケンイチは、マリナの様子を見て何を思ったのだろう。ぎゅっと手を握り返してくれた。その温かさに、どこまでも安堵させられる。
今の自分にとっては、己の命と同じくらい、かけがえのない存在だ。
「ただ、一つだけ……どうしても教えて欲しいってことがあってさ」
「なに?」
「……一番最初に、女神様にスキルを選べって言われた時。何で、全ての男に溺愛される能力、にしようとしたのかなって」
「!」
それは、いずれツッコまれるかもしれないと思っていたことだ。
女神はいくつか能力のタイプを提示して、その中から細かく設定を変えた上で自分達に好きなスキルが取得できるようにしてくれた。例えば、マリナが取った溺愛系のスキルも、男女問わずモテる能力というのもあったし、常時発動型の能力にするという選択肢があったのも事実である。最終的に、マリナが呪文を唱えて相手に指示を出してから、一定時間相手がマリナにメロメロになって何でも言うことを聴く奴隷になる、という能力にした。指示を聞く人間が複数いれば、その複数を同時に影響下に置くことができる。複雑な指示も出せるので、非常に便利な能力だと言えた。
常時発動型にせず、呪文で発動するようにした理由は単純明快。味方側にも能力がかかってしまうのがまずかったことと、あくまでマリナが望んだ時に望んだ相手にだけ溺愛されるモードにしたかったというのもある。女性を対象外にしたのもそのためだ、同性に愛されて喜ぶ趣味など己にはないのだから。
まあ、相手に呪文と指示を聞かせなければいけないので、そこがリスクと言えばリスクなのだろうが。
「……俺一人じゃ、足らなかったかよ」
ケンイチとマリナは、自分の意思で欲しいスキルを選んだ。ユキトには自分達にとって一番フォローになりそうな能力を選ばせたが。
ゆえに、この溺愛能力はマリナの意思。ケンイチが少々妬きたくなるのも、わからない話ではない。むしろよく今日まで質問されなかったものだ。
「そんなんじゃ、ないわ」
だからマリナは、用意していた答えを紡ぐ。
「強いて言うなら。……夢と現実は違うってところかしら」
「どういう意味だ?」
「ケンイチの存在は現実だけど、能力によって溺愛されるのは……夢なの。ゲームの中で、理想の王子様に愛される夢を見たいって思うのは……それこそ彼氏がいる女の子でも同じことだってこと。それは二次元の世界の、空想。私にとってこの異世界は、現実じゃない空想の世界のようなものなの。現実味もないし、魔族を殺しても裁かれないし、現代日本のような堅苦しい法律もない。夢と希望と魔法に満ち溢れたお伽噺の世界。この能力は、その延長線上。……スキルを使って、その素敵な空想をちょっと楽しみたかっただけ。それは、いけないことかしら」
異世界転生なんて、現実味がないことが起きている時点で。この世界は自分にとって、好き勝手に妄想が許されるマンガの世界も同然なのだ。
そのマンガに自分という名の夢小説の主人公が入って、キャラクターたちに溺愛される夢を見たい。このスキルは、まさにそういった妄想を具現化するためのもの。それは何も悪いことではないはずだ。
「ケンイチだって、自分の妄想の力で、このマンガみたいな世界で好き勝手無双したくて、時間停止なんて能力にしたんでしょ。……同じようなものよ」
「……そうかよ」
ケンイチは、それ以上何も言わなかった。これは半分納得したけど半分納得できてない、という顔だなと思う。
まあ、完全に理解してもらわなくてもいいとマリナは思うのだ。というか、彼が嫉妬してくれる事実もまた嬉しいのである。それはつまり、それだけ彼がマリナを意識してくれていることの証拠に他ならないのだから。
「お二人さん、いちゃつくのもいいけどそろそろ準備してね」
やがて、列の後ろの方からナコの声がかかる。
「見えて来たわ。……アテナ基地よ」
言われるまでもなかった。マリナは気を引き締めて荷物を持ち直す。
茶色のレンガづくり、がっしりとした屋敷が丘の上に見え始めていた。
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