<15・準備>

「作戦をおさらいしましょう」


 人間兵たちによる屋敷の包囲が完了し、屋敷の前の森で待機中のケンイチ、マリナ、ナコ。

 既に話はきっちりと聞かされているが、それはそれ、真面目なナコとしては確認は何度しても足りないという考えなのだろう。旧モンドラゴラ邸こと、アテナ基地の地図を使って再度ケンイチとナコに説明してくれる。


「まず、前にも言った通り……アテナ基地は森に囲まれた丘の上、崖の上に位置しているわ。何でそんな屋敷を基地にしているかっていうと、まあ崖の下が砂浜もあり洞窟もあり、小規模な港として運営するのに最適だったからなんでしょうね。で、そこから魔王軍は艦隊を出してよそへ攻撃を仕掛けたり、あるいは商船を出して人間の商人たちと取引をしていたと考えられるわ。商船ならともかく、艦隊の船が停泊しているタイミングだと、この基地への攻撃が発覚した時点で海側から砲撃される危険性がある。それを避けるためには……艦隊の船がみんな出払って、当面は戻ってこなくなる時間帯が望ましい」

「それが、今夜の十二時以降ってわけか」

「そういうこと。その時間になったら、ケンイチとマリナは手を繋いで……ケンイチが能力を発動。時間を停止させた状態で、一階の窓の壊れている箇所を破壊して侵入、夜勤の兵士がいるであろう一室にまず侵入する」

「ああ」

「これも念のため確認なんだけど」


 真剣そのものの眼で、ナコがケンイチを見つめる。


「貴方の絶対停止、の能力。最大持続時間はどれくらいと見るべきかしら?」

「……その言い方だと語弊があるな。持続時間そのものに制限はねえよ」


 ただし、とケンイチは続ける。


「この能力は切れた時に反動が来る。時間停止させていた分の反動が、一気に停止が切れた途端に飛んでくることになるからな。でもって、体力が回復するまでは再度停止させることができないってなわけだ」


 そう、この能力唯一のネックはそこである。時間を停止させている時は体に相応の負担がかかっているらしく、解除させた途端どっと疲労が襲ってくるのだ。例えるなら、ずっと無重力状態で体が軽くなっていたところ、突然重力のある空間に放り出されてずっしりと己の重要が襲いかかってくる、ような状態だと言えばいいか。

 ほんの数秒程度時間を止めるくらいなら、大して疲れることもなく連発できるが。今回のように、窓を壊す時間を使い、敵の拠点に侵入するまで時間を使うとなると――相応に疲労することは免れられない。ちょっと辛い風邪を引いたくらいには疲れることだろう。そのあと急いで基地から脱出して逃げることを考えるならギリギリだと言える。一度発動したら再発動できない、の最大の理由はそこだった。数秒ごとなら多少連発もできようが、これが数十分単位ともなると回復に時間がかかるためだ。


「逃げる体力を残すと考えたら、三十分が限度。……足りないか?」

「いえ、今回のミッションなら三十分あれば充分でしょう」


 話を続けるわ、とナコ。


「夜警の兵士の待機室……と思われる場所はここ。元々、モンドラゴラが傭兵を警備として雇って寝泊まりさせていたと思われる部屋ね。警報が鳴ったらすぐに正面玄関まで駆けつけられる位置だわ。裏を返せば、この部屋で起きているであろう兵士を先に抑えてしまえば、そのあと多少騒ぎが起きても駆けつけられる心配が少なくなるということ」


 す、と少女の指が地図を滑る。


「ここまで来たら能力を一度解除。マリナが絶対寵愛の力を使って、その兵士を洗脳。細かな指示を与えて頂戴」

「わかってるわ。ナコが考えたいくつかの場所に、トラップを仕掛けさせるのよね。そして私達も爆弾を仕掛けて基地から脱出したあとで、その兵士に“起きていると最も厄介になりそうな相手”を闇討ちさせて殺害させる。やがて他の魔族の兵士たちが異変に気づいて起きてくる頃には、トラップがあちこちで発動して兵士達は大混乱に陥っている。そこに、トラップの内容と位置を把握している人間の兵士達が突撃して、一網打尽にする……と」

「そう。それであってるわ。トラップの指示と内容を間違えないようにね」

「わかってるわよ」


 マリナが任せなさい!と胸を叩く。さっきまで落ち込んでいたので心配していたが、どうにか持ち直したということらしい。ケンイチはほっとする。それだけナコの作戦なら大丈夫だ、という安心感があるということだろうか。不思議なものだ、普段はあれだけナコに張り合って見せるくせに。

 今回の作戦、今までと同じようでいて違う箇所がいくつもある。何故なら、とにかくケンイチとマリナが安全に撤退すること、に重きを置いているからだ。マリナの能力をかける相手を一人にだけにする、のもその理由。騒ぎが起きたあとで、それに乗じて撤退するのではまた負傷するリスクが伴う。あの時のように、指を吹っ飛ばされたり骨を折られたりなんてことはケンイチとしてはごめんだし、それはマリナも同じだろう。ナコもそのあたりはよくわかっていると見える。ゆえに、多少確実性が下がっても、洗脳する相手を一人に絞ることに決めたのだ。

 夜勤の兵士があまりにもひ弱な魔族だったなら、あるいはトラップを仕掛けるのがヘタクソだったなら失敗する可能性もあるが――マリナの絶対寵愛にかかった相手は、マリナのためなら命をかけて何でもする兵士へと生まれ変わる。多少のことは、その強い“愛”の力でなんとかクリアしてくれることだろう。人の意思の力というのは馬鹿にならないもの。愛するものを守る為ならば何でもします、なんて漫画ではよく耳にする台詞だが、実際そういう暗示をかけられた人間はそれだけで見違えるほど強くなるものなのだ。実際、マリナが町でヤクザに絡まれた時、そのリーダー格(その男が一番屈強ではなかったのだが)に能力をかけたところ、なんと細身にも拘らず素手で仲間を殴り殺してしまったのだから驚きである。なんとも、使い方を間違えれば恐ろしい結果になる力だと思ったものだ。勿論それは、ケンイチの絶対停止にも言えることだが。

 正面玄関は警報装置、あるいは結界が貼られている可能性が極めて高いため、侵入にも脱出にも使用しない。裏口もである。窓から侵入した後は、裏口付近に爆弾を一つだけ仕掛けて引き返し、入ってきた窓から脱出を図る。夜勤の兵士一人だけに洗脳をかけた状態で、他の兵士達が寝静まっているのであれば、警報を作動させない限り問題なく脱出できる見込みとなっている。裏口の爆弾を兵士にやらせずケンイチとマリナで設置するのは、単純な話時間が足らないからだとナコは言う。兵士に必要なトラップを全て仕掛けさせていると、その間に別の誰かが起きてくるリスクが高くなってしまうからである。

 そもそもケンイチとナコが爆弾を仕掛けるといっても、単に小さな機械を裏口の近くに置いてくるだけなのですぐに終わる作業だ。兵士にやらせるように、複雑なトラップを仕掛ける必要はない。


――他の兵士に見つからない限り、騒ぎが起きるのは俺達が脱出した後になる。だから、安全に逃げられる可能性は高いってわけだな。


 一応、作戦立案の段階でナコには訊かれたものだ――他の兵士も数人起こしてマリナの術をかけて回った方が、敵の混乱時間は長くなるし与えられるダメージも大きくなるだろう、と。マリナの能力はその場で同じ指示を理解した数人ずつしかかけられないが(それも目を合わせた上で指示を出すので、同時に多くても三人くらいが限界だろうと思われる)、かけられた人間はナコから一定距離離れるまではずっとナコの奴隷で有り続ける。その距離、現代日本の単位で言うところの200メートル。マリナが屋敷の周囲を取り囲む森まで撤退して隠れても能力が切れる心配はないだろう。そしてマリナの奴隷が増えるということはつまり、こちらの思うままに動く手駒がそれだけ増え、敵を混乱させられるということ。より大きなダメージを与えられるなら、不確実なトラップを敵に仕掛けさせるよりこちらの方がずっと効果が高かったはずである。

 が、言いだしたナコもわかっていたのだろうが――これはケンイチもマリナも嫌だと却下した。時間停止を解除した状態で屋敷の中をうろつく時間が増えればそれだけ敵に見つかる危険性が増える。そして自分達が脱出する前に騒ぎになってしまえば、騒ぎに乗じて逃げるにせよ負傷するリスクは免れられない。


――もう、それだけは絶対ごめんだ……!


 ケンイチは思い出してごくりと唾を飲み込んだ。爆風で吹き飛ばされ、叩きつけられた時の衝撃。激痛に顔を上げて見た瞬間、己の左手の指が残らず吹き飛んでいると知った時の恐怖。ナコがすぐ傍で足が足がと泣き叫んでいなければ、完全にパニックになって動けなくなっていただろうことは想像に難くなかった。

 もう、あんな恐ろしい目に遭うのはごめんだ、断じて。例え作戦失敗する可能性があったとしても、安全な方法を取りたい。ケンイチとマリナのそんな懇願に、ナコはそれ以上何も言ってこなかった。今は回復役のユキトもいないのだから尚更だろう。彼を追い出したことは正しかったと今でも信じているが――それでも絶対回復の能力は惜しかったと思うのも事実である。人間側の味方の兵士達にも回復魔法の使い手はいるが、それでも絶対回復スキルと比べれば数段劣るのは事実。それこそ、吹き飛んだ指や腕を確実に復元できる保証はないはずである。

 あんな状態で一生過ごすなんて、そんな馬鹿げたことあっていいはずがないのだから。


「時間が来るまでこの場で待機。最悪、信号弾で撤退の合図を出すから……窓の外はちらちらと気にしていて頂戴ね」

「携帯がないって本当に不便だな。ていうか無線機もないって、この時代の科学技術はどんだけ遅れてるんだっての」

「魔法文明なんだからしょうがないでしょ、今更文句言わないの」

「はいはい」


 まあ、無いものねだりをしてもしょうがない。ナコとそんなやり取りをしていると、じ、とマリナの視線を感じてたじろぐ。


「な、何だよ?」

「……別にー」


 まさか、また妬いてるのか。ケンイチは少しがっくりと来てしまう。マリナのことは可愛いし、好きだと思う。しかしそれはそれとして、時々妙な独占欲や嫉妬を発揮されて重いと感じるのも事実だ。今のナコとのやり取りの、どの辺が引っかかったというのだろう。


「……やっぱりちゃんと訊いておきたいわ。なんで、時間を止める能力にしたか」

「え」


 そして弁明しようとしたところで、尋ねられたのがこれである。


「よくエロ漫画であるみたいじゃない?時間停止して、美少女にイタズラしまくるってやつ。……そういうことがしたいんじゃないかと思って、私はずっと警戒してたんだけど。特にその……ナコにえっちなことしようとしてるんじゃないかって。ナコ、眼鏡かけてるからわかりづらいけど実は美人だし……む、胸も大きいし。さ、さっきみたいに話してると、すごく仲良さそうに見えるし……」


 お前の中で俺はどんなキャラになってるんだ、と頭を抱えたくなってしまう。

 確かに、ちょっと下心があってこの能力にしたことは否定しない。否定しないが、実際にはそんなエロいことのためには使ってないし(使う暇もなければ、デメリットが大きすぎて使えなかったとも言える)、やましいことは何もない、はずである。

 というか。むしろ親しい女の子にそんな悪戯をするような人間だと思われていることが心外すぎる。


「親しい子相手にそんなことやるかよ」

「親しくない子ならやるんだ?」

「そ、そういう意味じゃねえ!」

「なら」


 ぐい、と顔を近づけてくるマリナ。


「わ、私相手以外に、変な気起こさないでよね!ケンイチってばえっちなんだから!……私の王子様でいてくれなきゃ、嫌なんだから」


 顔を真っ赤にして言う少女は、どこまでも可憐だった。少々重すぎる、と引いていた気持ちが一気に霧散するほどには。


「……うん」


 ていうか、その言葉だとマリナ相手にえっちなことをするのは良いとも受け取れてしまうのだが、それはいいのだろうか。ケンイチは深く考えないことにした。多分今、余計なツッコミをしたらぶっ飛ばされるに決まっているのだから。


「……ほんと、いちゃいちゃするのは私のいないところでやってほしいんだけど」


 ナコがぼそりと呟いたのも、この際聞かなかったことにしよう。

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