<16・決行>
十二時を過ぎた。この時刻ならば、魔王軍の戦艦や駆逐艦は皆周囲の海の巡回に向かう。もしくは、点検のための別の港に戻っていくはずだ。このタイミングなら、それこそアテナ基地から救難信号が飛んでも連中が戻って来れるまでに一時間はかかることだろう。この隙に、全ての作業を終えなければならない。
「くれぐれも気を付けてね」
「ああ」
ナコの言葉に頷き、ケンイチはマリナと手を繋ぐ。柔らかな女の子の手に、ドキドキしていた時期は過ぎた。今はただ、この少女と自分を守ることに全力を傾けるのみだ。
自分達は女神にほとんど同じことを願った。
その願いを叶えるためには、何が何でも魔王と魔族達を倒して、女神の祝福を受けなければいけないのだ。
「離れないでね」
マリナのそれは、様々な想いが込められた言葉であったことだろう。わかってるよ、とケンイチは返し、能力を発動させる。
「全能の女神の元、祝福を。神聖な祈りの下、忠誠を。“絶対停止”発動!」
瞬間、ブウウン、と羽虫が飛ぶような音と共に目の前が少しだけ暗くなった。周囲がややセピア色がかって見える。これが、絶対停止――時間を止める能力を使った時に、ケンイチに見える景色だった。マリナの手を握っている間は、停止能力が彼女にも連動する。手が離れてしまうと、彼女は時間停止空間の中動けなくなる=他の物体と同じように時間が止まってしまうことになるので注意が必要である。
自分達のスキルは全て、この呪文を唱えることで発動するのだ。勿論、絶対停止、の部分にはそれぞれの能力の名前が入る。また、マリナのようにそのあと誰かに命令を下すような能力は、発動!のあとに細かな指示を伝える時間が必要となるので気を付けなければいけない。別の人間に命令を与えている間、彼女は無防備になって攻撃への対処ができなくなるからだ。
元より、“異世界で好きなように無双してずっとここでスローライフを送る”ことが望みである自分とマリナである。剣やら銃やらの武器の訓練などしない、というかしたくないのでしてこなかった。そういう泥臭いことをするためにこの異世界に来たわけではないし、面倒な魔王退治に加担しているわけではないのだ。こうして実戦になると、少しだけでも訓練しておいた方が良かったかなと思う瞬間もないわけではないが――こちとら無双する爽快感が好きなわけであって、地道な努力なんてやっぱりやりたくないわけで。
まあそういう事情もあって、二人とも身体能力は現代日本でのそれとほぼ変わっていないという状況であるはずだった。マリナは運動部なので、女子としては運動神経も悪くない方だろうがその程度である。ケンイチに至っては部活動もしていなかったから、運動神経だけ見れば超平均的か、それより下くらいだろう。
――まあ、このスキルがあれば停止した時間の中で好きなようにできるんだ。ちょっと身体能力が高かったり魔力が高かったりするくらいの奴らに負けることなんかあるか。
停止した時間の中ならば、敵に見つかるような心配もない。マリナの手を握ったまま、堂々と真正面から丘を登り、アテナ基地の屋敷の前へと辿りつく。そしてナコが調べた、やや壊れやすい欠陥のある窓の前へと到達した。
「よし、さっさと壊すぞ、マリナ!」
「ええ!」
二人してツルハシを持ち、窓枠への殴打を始める。一階の一番東端の窓の欠陥。それは、元々あった窓を後で無理やり大きくしたせいで、窓枠が歪んでしっかりと嵌っていないということである。つまり、枠そのものが大きくガタついているのだ。内側から見るときっちりハマっているように見えるので、この欠陥には市町村から強引に建物を買い取ったモンドラゴラ一族も気づいていない可能性が非常に高いとのことだった。
もし、気づいて窓が治っていたら、別の侵入ルートを再度考えなければいけなかったところであるが――ありがたいことに、ケンイチとマリナがツルハシで枠を叩いただけであっさりと手応えがあった。大きく枠部分が揺れたのである。
「外れそうだ、一気に行くぞ!」
時間はあまりない。マリナが暗示をかける時間や、兎口に爆弾を置くための寄り道をする時間を考慮するのであれば、この破壊工作に使える時間は二十分程度が限度といったところである。時間停止を解いた途端、疲労と倦怠感で動けなくなってしまえば、マリナはともかくケンイチは逃げられなくなってしまう。さすがにそれは避けなければいけない。でなければ何のために、ナコに頼んで確実性よりも安全性が高い作戦を考えて貰ったのかがわからなくなってしまうのだから。
がこん、がこん、と息を切らしながら二人で窓枠を打ち据えていく。その時間が、自分長く感じた。最初の手ごたえがあってからが意外と時間がかかってしまったから尚更だろう。やがてバキリ、と音を立てて硝子ごと窓が外れ、庭先に落下する。時間が止まっているのでカーテンは動かない。薄紅色のカーテンを強引に開いて中を覗き込むと、幸いそこは倉庫か何かのようだった。人の気配はなし。これなら、帰りもさほど苦労なくこの場所へ戻って来られそうだ。
「帰り、窓ガラス踏んで怪我しないようにな」
「大丈夫よ、ケンイチじゃないんだから」
「はいはい」
お互いわざと軽口を叩きながら、窓から室内へと侵入する。薄暗い倉庫の明かりをつけ、ワインのようなものが並ぶ棚の中を手を繋いだまま速足で進んでいく。思っていた以上に時間を取られてしまったので、急がなければならない。次に向かうべきは、夜勤で起きているであろう警備兵のいる場所だ。
「そっちの廊下を左、だよな?」
「ええ」
確認しながら進んでいく。ドアに鍵がかかっていたらまた壊さなければならないところだったが、幸い狙った部屋のドアはあっさりと開いた。中には、防犯カメラらしきものの映像を映したモニターがずらずらと並んでいた。明らかに屋敷の中だけではない映像もあることから、どうやらアテナ基地では町の方にもカメラか何かを仕掛けてあるということらしい。幸い、森の中の映像はない。もしそれがあったなら、周囲を囲んでいる味方陣営の動きが筒抜けになっている可能性もあり、どうにかしてナコ達に状況を知らせなければいけないところだった。
そしてモニターの前、こちらに背を向けて座っているのは一人の屈強な魔族の兵士。狩り上がった頭の上には、いかつい角がまっすぐに日本突き立っている。首も太く、肌の色も魔族にしてはだいぶ浅黒い。魔族であっても日焼けはすると聞いたことがあるので、ひょっとしたら熱い町の方で活動している魔族なのかもしれなかった。まあ、魔族の日焼け事情など、これから連中を全部ぶっ飛ばす自分達にとってはどうでもいいことであるが。
――良かった、ひ弱そうな男じゃない。これなら、暫くの間基地の中で存分に暴れてから死んでくれそうだ。
「能力解除していいな?」
マリナに声をかける。それはつまり、彼女の出番が来るということ。
「ええ、任せて」
その声を確認すると同時に、ケンイチは“絶対停止、解除”と呟いた。途端、再び羽虫が飛ぶような音と共に景色に通常の色味が戻ってくることになる。
「うっ……!」
ずっしりと全身にのしかかるような疲労感。膝から崩れ落ちそうになるのをどうにか堪えた。思った以上に時間を使ってしまったようだ。まだ立っていられるが、やはりこの能力は諸刃の剣ということらしい。まったく、女神ももう少しデメリットのない能力を渡してくれればいいものを。
「!?」
モニターを見ていた魔族の兵士が、即座に自分達の気配に気づいて振り返った。
「だ、誰だ貴様らは!?し、侵入者!?」
ここからはスピード勝負。マリナがすっと前に出る。
「全能の女神の元、祝福を。神聖な祈りの下、忠誠を。“絶対寵愛”発動!」
マリナが男の眼を真っ直ぐに見つめて宣言した途端、男は小さく呻いて硬直した。その赤い目がいっぱいに見開かれ、やがてふらふらと立ち上がると、膝を折ってマリナの前で頭を垂れる。
「我が心、我が命を貴女様に捧げます。我が君、マリナ様」
見ていてもちょっとぞっとする光景である。さっきまでパニックになりかけていたと思しき兵士が、一瞬にしてマリナの忠実な奴隷に成り下がるのだから。いつもの奴隷たちと比べると、マリナにベタ惚れと言った印象ではないが――恐らくこのへんは、能力をかけた相手の性格によって変化するということだろう。何にせよ、チートスキルが効いているのなら何も問題はあるまい。
「私達が脱出したら、この地図通りの場所に、指示通りのトラップを仕掛けて欲しいの」
細かな説明をしている時間はない。予め用意していた地図をそのまま兵士に渡すことで命令の代わりとする。
「トラップを全て仕掛け終わったら、この基地の中で、貴方以外で一番強く厄介だと思う魔族を見つけて殺害して。その後は、とにかく私達の敵になるであろう魔族たちを、見つけ次第かたっぱしから殺して欲しいの。ちなみに、私達が撤退する途中で他の兵士に見つかって攻撃されそうになっていたら、私達を守ることを最優先して頂戴」
「わかりました」
「OK?……じゃあ、私達が撤退完了したら、指示通りによろしくね」
これでいい。ケンイチとマリナで頷き合うと、今度は音をなるべく立てないように気を付けながら警備室を出る。深夜ということもあり、基地の中は鎮まり返っているようだった。地図通りに裏口付近まで行くと、すぐ近くに素早く爆弾を設置する。裏口に近づきすぎては警報が鳴ってしまう。出口傍の、階段の前の位置が限界だろう。
――よし、あとはこのまま、さっきの部屋まで戻って脱出すれば……!
体は怠いが、まだ走れなくはない。どうにか問題無くミッションをクリアできそうだ――ケンイチがそう安堵して踵を返した、まさにその瞬間だった。
「え」
廊下へ一歩踏み出した途端、足元の床が抜けた。何が起きたかわからぬまま、全身が浮遊感に包まれる。これは、まさか。
――お、落とし穴!?た、建物の中なのに!?い、いや違うこれは……侵入者用のトラップか!
気づいたところで、もう遅い。
「うわあああああああああああああ!?」
「きゃあああああああああああああああああああああああ!!」
二人の体は、奈落の底へとまっさかさまに落ちていったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます