<17・食事>

 恐る恐る口にしたそれは、じゅわりと広がる肉汁とやや甘いソースの香りで、一瞬にしてユキトを虜にした。


――う、うっま!?


 お腹がすいたので何か食べたいんだけど、と言って、案内されたのが食堂。そこで出されたのが、何の肉かもわからないステーキと、何の葉っぱかもわからない香草のサラダとスープだったわけだが。いい香りだと思って一口食べたら、あまりの美味しさに眩暈を覚えるほどだったというオチである。

 味は牛肉にかなり近いと思う。が、牛肉よりもややさっぱりしているという意味では鶏肉にも似ているだろうか。脂身は少ないが、肉はフォークとナイフで力も入れずにあっさり切り分けられるほど柔らかく、切った端から肉汁が溢れて来るほどだった。ミディアム程度に焼かれた大きな肉には、赤ワインっぽい少しフルーティな香りのするソースがたっぷりかかっている。絶対これ高級料理じゃん、あとで代金請求されたら詰むやつじゃん――と思いながらも、ナイフとフォークを動かす手が止まらなかった。

 そして、やや濃い味付けのステーキにぴったり合う、鼻から突きぬけるような爽やかな香りのサラダ。アクネ草をベースに仕立ててみたとのことですよ、ユキトを案内してくれた兵士、ゼラは言った。アクネ草って何かと思ったら、ついでにスマホのような端末で写真も見せてくれた。どうやら、この世界で言うところの高級なレタスのようなものらしい。レタスみたいなやつ?と尋ねたら“現代日本のレタスより少し香りは強いと思いますけどね”と返事が来た。そういう答えができるあたり、彼等はユキト達の世界についても詳細な知識があるということらしい。


――確かに、食感はレタスだけど、匂いはハーブに似てるかも……。


 正直、かなりの空腹だった。臆病な自分の性格は己が一番よくわかっている。異世界、人間世界においても見知らぬ食糧になかなか手をつけられず、ケンイチ達に呆れられたこともあるほどだ。その自分が、食欲に負けてあっさり得体の知れない肉を食べてしまったあたりでお察しと言えよう。魔族の味覚に合わせてあるだろうから、ものすごく苦かったり血なまぐさかったりしたらどうしようかと思っていたがそんなことはなかった。


「この肉ってなんなんですか?」

「モトグロヌーですね。魔界でも生息できる、数少ない牛の一つです。強い毒の沼の藻を主食とするため、毒抜きの手間は必要ですが……きちんと調理師免許を持って技術を磨いたシェフの手にかかればこの通りですよ。美味しいでしょ?」

「美味しいです!あ、やっぱりこの世界の牛だったんですね……」


 お腹が膨れて、気持ちが少し大きくなる。ついつい、言わなくてもいいことまで口を滑らせてしまった。


「魔族の人も、普通に牛とか食べるんですね……」


 何を思ったのか、兵士の青年・ゼラにも分かったのだろう。やや肩を竦めて言われてしまった。


「人肉でも食べると思ってましたか?」

「へ!?あ、いえ、その……!!」

「誤魔化さなくていいですよ。魔族は人間達をむさぼり喰うという噂があるのは事実ですしね。確か、カバネの村の大虐殺なんかが有名だったのではありませんか?」

「え?ま、まあ……」


 ユキトはばつが悪くなり、視線を逸らす。カバネの森の大虐殺。それは、異世界人のユキトの耳に入ってくるほど有名なエピソードだった。

 魔族と人間が、本格的に戦争状態に入ったのが千年前。それは、魔族側が魔界と人間界を隔てる門の封印を内側から破ることに成功したゆえの宣戦布告でもある。が、実は宣戦布告を受けるよりも少し前にはもう、魔界の門の封印は解けているのではという疑惑はあったらしいのだ。

 そのうちの一つが、カバネの村の大虐殺。

 魔界の門に程近い場所にある集落が、一夜にして壊滅的打撃を被った。この集落はなんらかの理由で大きな都市から逃れてきた元商人やら農民やらがほそぼそと農作物を売りながら生活しており、魔族が出入りしているらしいという噂もあった場所だった。カバネの森の商人は魔族の復活を知っていて、それでひそかに魔族と商売の取引をして富を築いているのでは、と。そのように言われるのには当然理由がある。カバネという集落は極めて規模が小さなものであり、逃れ者達の集落ということもあって当然大都市や世界政府の支援など受けられるものではないはずなのに――かなり近代的でしっかりした建物がいくつも建造されていたというのだ。

 そして、最新式の農機具やなども導入されており、規模と状況に対して非常に豊かな財政状況を維持しているであろうことも察せられた。魔族のような闇の存在と取引でもしていなければあり得ない、というのが人々の共通見解であったわけである。

 その村の住人達が。女子供問わず、一晩にして皆殺しとなったのである。その村の周辺には、人間を喰うことができるような大型のモンスターはほとんど生息していなかったにも関わらず。

 恐ろしいことに、住民たちの多くは皆腸をごっそりと喰われて死んでいたそうだ。全員の顔が苦悶と恐怖に歪み、血の海の中もがき苦しんで死んでいったのが明らかだった。そう、まるで誰かが生きながらにして彼等の腸を喰らっていったかのように。

 さらに血だらけで逃げていく魔族らしき男を見かけたという目撃証言もあり、人々は“魔族と取引をしていた村が、魔族に裏切られて皆殺しになった。魔族は人間を喰うのだ”と噂しあい、以降千年もの間恐怖の物語として周辺の町々を中心に語り継がれることになったという。


「……その様子だと。魔族が村の人を殺したわけではないんです、よね?」


 大虐殺の事件は知っている。暗にそう示すと、ゼラは難しい事件なんですけどね、と複雑そうな顔をした。


「正確には、根も葉もないわけではないのが厄介で。カバネの村の住人と、封印を解いた魔族がひそかに取引をして、村で取れた多くの農作物や種を買い取り、商売をしていたのは事実。彼等も彼等で、魔族相手だろうと商売をしなければ立ち行かないほど生活に困っていましたから。元より、流刑に処された者達の村と言っても過言ではなかったですからね」

「と、いうのは?」

「あの事件の真相は、魔族なら皆が知ってます。……そもそも魔族と取引をしていることが濃厚な村なんて、王様や政府からすれば面白くないに決まっているじゃないですか。なんせ、最も女神の意向に染まっている人達ですからね。魔族は悪、人間とは共存できない、滅ぼすべき存在。そのように思っている奴らと、人間が対等に取引をしているなんて事実そのものが彼等にとってあってはならないものなんです。……ですが、何度政府が勧告を行っても、村人達は“魔族なんか知らない”としらばっくれる一方。……ゆえに、政府は最終手段に出た。モンスターマスターに肉食獣のモンスターを連れて村を襲撃させたのです。人間達の腸がごっそり喰われていたことからして、けしかけたのは恐らく腹喰いのゴゾマット・タイガーあたりでしょうかね……」

「……!」


 何か、とんでもない話を聴いてしまったような。ユキトの背筋に、冷たい汗が流れ落ちる。


「村人達が村から逃げられずに死んだことから察するに、結界魔法が得意な魔導師も同行していたことでしょう。あれが、一人二人の魔族の犯行だと主張するのがまずおかしいんですよ。どう見ても、小隊以上の兵士の集団が襲撃してるでしょうに」


 はあ、とため息をつくゼラ。


「これは俺が聞いた話なのでどこまで本当かはわからないですが。恐らくそのような惨劇が起きた直後に、取引を行っていた魔族の人間が村を訪れてしまったものと考えられます。で、そこからパニクって逃げるところを、周辺住民に見られた。……まあ、そのようなことがなかったとしても、魔族のせいとしておいた方が政府からは都合が良いでしょうから、魔族の男が血だらけで逃げていくのを見たという噂は流されたのでしょうが」


 なんというか、闇が深すぎやしないか、それは。そう考えると、魔族側から宣戦布告を行わなかったとて、開戦はほぼ避けられなかったような印象を受ける。魔族が封印を破って出てきてしまった以上は、それを退治するための大義名分が欲しかったに決まっているからだ。

 ひょっとしたら女神としては、二千年前の段階で魔族を皆殺しにする機会をうかがっていたのではとさえ思ってしまう。というか、そもそもカバネの村の大虐殺も、女神が直接指示を出した可能性が出てくるではないか。


「確かに、我々とて命が脅かされれば人間を殺すこともあります。それを否定はしませんがね。そもそも我々も元は同じ人間です。人間を喰うなんてことしたら病気になるじゃないですか。誰もやろうと思いませんよ、そのようなこと」


 彼が嘘をついている可能性もなくはなかったが、魔族が元は人間と考えるなら真実だと言う方が筋が通ってしまうのが恐ろしい。

 こういうツッコミが入るからこそ、女神は魔族が元々は人間の突然変異でしかない、という事実を一般人に隠しているのだろうと察してしまう。

 カバネの村の虐殺は、余計な真似をする連中を根こそぎ始末するためであり、魔族は人を喰う恐ろしい存在であると皆に信じ込ませるためのもの。まさに、一石二鳥だったというわけらしい。


「……すみません」


 ユキトは、素直に謝罪した。誰だって、自分達が人喰いの化け物と思われていると知って、良い気分になろうはずがない。


「……でも、ほんと。どうしてそんなに、女神様は魔族を嫌うのでしょうか。出来損ないって言ってたけど、むしろ僕にとっては魔族って……あらゆる意味で人間より優れた種族としか思えないんですが。見た目も綺麗だし、魔力も高いし、それに……」


 それに。ゼラの言葉がもし本当ならば。魔王は実に慈悲深い存在であり、人間性に欠けているとも思えない。庭で遊ぶ子ども達も、良い意味で普通の子供達にしか見えないのだが。


「何故でしょうね」


 当然、そんなことを尋ねられても困るのだろう。ゼラは困ったように首を傾げた。


「まあ、女神の考えることなど誰にもわかりませんから。……それより、食事を続けてください。冷めてしまいますよ」

「あ、ど、どうも……」

「今後のことは、この魔王城で休みながらゆっくりとお考えください。このあとまたアダムバード様がいらっしゃいますから、その時また質問でもあればなんなりと」

「は、はい……」


 今後のこと。考えれば考えるほど、気が重くなってしまう。

 魔族は絶対悪。自分達は勇者であり、正義の味方。相手はバケモノなので殺してもなんら罪悪感を覚えなくていい。――これからもそう思っていられたなら、どれほど楽であったことか。


――わかってる。……知ってしまったらもう、知らなかった頃の自分には戻れないんだ。


 そして、これから先は誰かに決断を委ねることはできないのである。

 どれほど恐ろしくても、自分で決めなければいけないのだ。ユキト自身の未来を、勝ち取るためには。

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