<6・臆病>

『あんま調子に乗るなよ、ユキト』


 ケンイチの、底冷えするような冷たい目が忘れられない。


『お前はあくまで、俺とマリナ、ナコに守ってもらってるだけのお荷物だってことを忘れんなよ。俺たちはお前がいなくても魔王軍と戦えるが、お前は俺たちがいなけりゃ何もできねぇだろう?』


 そんなこと、言われるまでもなくわかっていることだ。この世界に来る前からそう。友達が多いケンイチにくっついて、彼のグループに入れてもらうことでどうにかいじめられるのを回避してきたのだから。なんせ、小学校から中学校一年生まで、普通に過ごしているはずなのに学校ではろくな目に遭った試しがないのである。

 目つきが気に入らない。服が気に入らない。文房具が気に入りない。髪型が気に入らない。そして、空気が読めないのが気に入らない。ユキトは事あるごとに、言いがかりのような理由でいじめられ続けてきた人間だった。

 ある時には“なんか虐めてくださいオーラが出てるから”なんてどうしようもない理由で絡まれたこともある。一体どうしろというのか。自分は平凡に、普通に、大きな問題なんて起こさない穏やかな学校生活を送りたいだけ。何も部活やイベントで中心になってみんなの注目を浴びたいとか、そんな野望抱いたことさえないというのに。


――それで結局、見つけた回避策は……長いものに巻かれて生きること、だった。


 自分は弱者だ。ならばそれを自覚した上で、上手に生きていくしかない。クラスの中でも、不良チームなどではなく、それでいてそこそこ強い勢力を見極めて阿ること。中一の後半からそうして友達が多いグループにすり寄っていくことにより、いじめっ子たちに目をつけられることを回避してきたのである。

 その代わり、むりやりグループに入れてもらっているわけなので、そのメンバーには疎まれることもあるし――場合によっては、パシリのような扱いを受けることもあるわけだが。それでも毎日悪口となくなるモノ、暴力に怯えてびくびく過ごすよりは格段にマシなのである。ただただ、リーダーの少年のご機嫌だけ取っていればいいのだから。


――そんなことばっかり考えてたから、なのかな。


 現在ユキトは、ケンイチとマリナに命じられて、お菓子の買い出しに出ている真っ最中である。リストにあるものを全部見つけるまで、街から戻ってくるなと言われていた。魔王軍のシトロン基地から、一番近い街はかなり大きな規模である。この広さで、自転車もなしに多くの店を回って一人で今日中に買い出しを済ませろなんて――ああ、この世界に来てからはケンイチもマリナも横暴さに拍車がかかってやしないだろうか。

 以前はパシリにされることはあっても、清々購買でパンを人数分買ってきて!くらいのものだったというのに。


――何でこんなに、僕ばっかり貧乏くじ引かされるんだろう。


 じわり、と涙が滲んでくる。身長150cmしかないユキトにとって、今回の買い物は苦行以外の何物でもなかった。既に両手にいっぱい袋を下げているのに、これでもまだやっと半分である。残り半分なんて持てるとも思えない。もとより小学生並みの体力と体格、腕力しか持ち合わせていないのだから。

 ケンイチが、自分のことを格下と見下しているのは知っている。ユキトの方が妙に現地の女性たちに声をかけられるので嫉妬していることも。だからアタリがきつくなるのも、理解はできるのだ。が、それはけしてユキトが望んでそうなったわけではないわけで。

 何も自分から“僕はこんなに凄いんです!かっこいいんです!”と触れ回ったわけでもなんでもない。ただ普通に過ごしていたら、少し多く女性が寄ってきて可愛がられてしまったというだけだ。自分から何をしたわけでもなく、完全に不可抗力でしかないというのに――調子に乗っている、部を弁えろと叱られたところでどうすればいいというのか。

 マリナもマリナだ。女性に囲まれて困っていたたけで、やれ破廉恥だの変態だの好き勝手に言ってくれる。逆であっても同じことを言うのかと言いたい。なんで女性が男に囲まれていても批判されないのに、男性が女にモテているだけであらぬ風評被害を受けなければならないのか。――なんて言い方をしたら、世のフェミニストたちに怒られそうではあるが。


――我慢、しなきゃ。


 痺れる腕を叱咤し、袖口でゴシゴシと涙を拭う。


――不満なんて思っても口にしちゃいけない。僕は実際役立たずでしかない。能力をもらったのに、使う機会も殆どなかった。ナコさんみたいに頭脳でみんなに貢献できてるわけでもないし、ひ弱だから剣を持って突撃することもできない。……みんなのお荷物で、守って貰ってるのは確かなんだから……!


 疲れているが、休んでいる暇はない。息を一つ吐いて歩き出そうとしたその時、目の前に一つの影が落ちた。


「大丈夫ですか?」

「あっ……」


 ハンカチを差し出してくれていたのは、長いウェーブした黒髪の、とても美しい若い女性だった。この街の商人かなにかなのだろうか。腕には林檎のような果実がたくさん入った籠を下げている。


「あ、ありがとう、ございます……」


 自分があんまりにもしょんぼりした顔をしていたから、声をかけてくれたということらしい。こんな光景がケンイチに見つかったらまたどやされるかな、と少しだけ思ったが――心が弱っていた今のユキトにとっては、そんな見知らぬ女性の優しさは非常に有り難いものだった。

 ここは素直に厚意に甘えておくことにする。ハンカチを借りて、目元を拭った。ふわり、と知らない花の香が漂う。


「す、すみません。これ、洗って返しますから……」

「気にしないでください、差し上げます。……そんなことより、小さな子が泣いている姿を見ている方が辛いもの。貴方、ひょっとして勇者のユキトさん?異世界から来たっていう」

「は、はい。僕のこと知ってたんですね」


 まあ、知っていてもおかしくない。異世界人である自分たちは、この世界の人間たちのように耳が大きく尖っていないし、何より魔王を倒す勇者として何度も四人仲良く新聞に顔写真付きで載っている。それなりの知名度があるのは、当然といえば当然だろう――残念ながら活躍の度合いには大きく開きがあるわけだけど。


「知っています、有名ですから」


 美しい女性はにっこりと笑って言う。


「目立つのはケンイチさんとかですけど……でも回復役の貴方がいるからこそ、みなさんも安心して攻撃に専念できていると思いますよ。回復魔法を使える術師は、いつの時代でも大切なものなのですから」

「あ、はは……そう、ですかね」


 残念ながら、そんなことケンイチ達はまったく思ってくれてはいないのだろうけど。そんなことを考えたら、さらに気持ちが落ち込んでしまった。彼女はただ、ユキトを慰めようとしてくれているだけだろうに。


「ええ、そう……思っていたのですけど」


 彼女はちらり、とユキトが持っている大量の紙袋を見て眉を顰める。


「……シトロン基地を落とした立役者であるはずの勇者様が、なんでそんなたくさんの買い物を?貴方の体格からすると、一人ではあまりにも大変そうだとしか……」

「い、いえ!気にしないで下さい、これは僕がやりたくてやってることなんで!」

「嘘は駄目よ」


 はっきりと、そう言われた。


「だって貴方、泣いてたじゃない。本当は辛かったのではないの?」


 言葉が、出なくなる。実際今、ユキトは嘘をついた。こんな見知らぬ異郷の土地で、あたふたしながら大量の買い物を押し付けられる。しかも頼まれたのはお菓子、今すぐ必要ではないものばかり。本当はなんで自分だけ休ませても貰えず、こんな奴隷とような扱いを受けなければならないのだと嘆いていたのは確かだ。でも。


「もし、酷い扱いを受けているなら。それで貴方の心が耐えきれなくて泣いているのなら。それは、貴方が本来いるべき場所ではないのではなくて?……貴方は勇者なのかもしれないけれど、それ以前に一人の子供であり、人間でしょう?」

「ぼ、僕は……」

「誰か、相談できる人はいないの?」


 でも。

 言えるわけがない、本当のことなど。例え見知らぬ女性が優しくて、心がぐらぐらと揺り動かされていたとしても。あくまで彼女は、ここで初めて会った他人でしかない。

 巻き込めない。

 そして、頼ることなどできない。そんな人間、この世界には一人もいないのだから。


「大丈夫、です」


 ユキトはどうにか笑顔を作った。作ったつもりだった。うまくいったかは定かでないが。


「ありがとうございます、気にかけて下さって。ハンカチ、助かりました。じゃあ」

「あ、ちょ、ちょっとボウヤ!」


 そのまま逃げるように立ち去った。彼女から貰ったハンカチを、ポケットに突っ込んだまま。

 名前くらい訊いておけば良かった。後でちょっとだけ、そんなことを思ったのだった。




 ***




 あれが、アダムバードが言っていた魔族の女性で間違いないだろう。ユキトと女性の話を、すぐ近くの建物の影で聞いていたナコは思う。確かに女性は変装していたが――いやはや、角を隠してカラーコンタクトをしてしまえば、本当に魔族というものはこの世界の人間と見分けがつかないものであるらしい。

 多分彼女のあの豊かな髪の中に、小さな角が埋もれていたのだろう。ひょっとしたら変装のために少しだけ削ったのかもしれない。魔族の角は痛覚がないし、多少削れてもまた生えてくるから問題ないのだと聞いている。


――あとは、あの女を尾行して、スパイの証言をすればいいだけね。


 ユキトの背中を見送った女性が、人気がない路地へと入っていくのに気づき、その後ろを追いかけるナコ。ここからは向こうも承知の上の尾行だ、難易度は低い。


――それにしても。


 ゆえに、意識を傾けていたのは別のことだ。


――魔族って。……人の心なんかない、悪魔みたいな奴らだって聞いてたのに。


 騙す目的があるのは事実。しかし、当初の予定では確かあの女性は、ユキトに林檎の押し売りをして絡む予定であったはずだ。それが、思いがけずユキトがしょげた顔をしていたために、思わずハンカチを手渡してしまったといった様子だった。

 敵であるはずなのに。相手の気持ちを察して手を差し伸べ、優しい言葉をかける。そんな思いやりが、魔族にもあったということだろうか。自分が女神や現地の人間たちから聞いていた魔族のイメージとは、あまりにもかけ離れている。


『彼等は残酷で、人を人とも思わぬ冷酷な心の持ち主ばかり。見た目が人間に近くとも、あれはれっきとしたモンスターなのですわ。情けも容赦もかけはてはなりません。油断したら最後、奴らは笑いながら甚振りに来ますわ。そんな最期、迎えたくはないでしょう?』


 そういえばあの女神も、魔王と同じ金目に赤い目の持ち主だった。魔族を毛嫌いすることと何か関係があるのだろうか。


――……いいえ。今は、余計なことなど考えるべきじゃないわ。


 ナコは首を横に振り、邪念を振り払った。


――今は、作戦に集中しなければ。私は私が生き延びて、帰ることだけ考えればいい……!


 そして作戦を続行するべく。路地裏で立ち止まった女性の会話に、意識を傾けたのである。

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