<5・腹芸>

 ナコとしても。元々、女神を全面的に信じたわけではなかったのだ。だってそうだろう、ライトノベルのお約束なんてのは“フィクションだからこそ”通じるものである。何で死んだら都合よくメガミサマが現れて、都合よくチートスキルが貰えて、都合よく楽しそうな異世界に転生して平凡な中学生がヒーローに!なんてことになるのか。しかも、よりにもよってそれを望んでいて、そういう誘いを受けたら喜んでついていってしまいそうな厨二病まっさかりの子供が。

 勿論それは、ケンイチとマリナのことであってナコのことではない。恐らくナコとユキトは運が無かっただけだと思っているのだ。たまたま通学路で近くを通っていたタイミングで、ケンイチ達を狙った車に一緒に跳ね飛ばされただけだ、と。


――そう考えるなら、確かに。魔王を倒したからって、女神が約束を守らなければいけない道理はないわね……。


 特に、ナコの願いは“事故をなかったことにして元の世界に帰してくれ”だ。異世界転生と言われても、未だにピンときていないのが事実。死んだと言われたって、到底受け入れられるはずがない。女神の力でそれがチャラになるのなら、面倒だが魔王討伐でもなんでもやってやろうかと思っていただけだ。この世界の住人がどうなろうと異世界人の自分にはどうでもいいことだが、このままこの異世界で生きるなんてナコにはまっぴらごめんであったから。

 それもできる、と女神は言った。だから信じることにした――そうするしかなかった、でも。

 魔王を討伐するほどの能力と才能を示した人材を、果たして女神が簡単に手放したがるかは怪しい。そのあとも、“この世界を助けるために手を貸してください~”とかなんとか言われて留められたり、あるいは一度は帰ることができてもまたすぐトラックに、なんてことになりかねないではないか。冗談ではなかった。こんな馬鹿らしいこと、異世界転生とチート無双が好きなどっかのアホだけに任せておけばいい。自分は興味はない。現代日本の世界で積み上げてきたものを、こんなところで手放すなど冗談ではないのだ。

 ただでさえ、あんな頭が悪くて能力の使い方もわかってないような奴らと一緒にいるだけで苦痛なのである。そんな自分の気持ちを分かってくれそうで、かつ己の才能と境遇を認めてくれる者。そして、その者に加担した方が人死にが少なくて済むというのであれば――あんな情も何もない勇者仲間を捨てることくらい、ナコには躊躇いも何もないことだった。

 たとえそれが魔王と呼ばれる存在でも。そちらの方に、正義があるというのならば尚更に。


――それこそ魔王側に通じた上で、旗色が悪くなったらまた裏切ってもいいのよね。私がスパイだってバレなければどうにでもなるのだから。


 頭の中で策略を巡らす。自分の力がなければ、いくらスキルが強くても――ケンイチもマリナも、自滅するのは目に見えている。そのケンイチにいじめられつつも、従うしか能のないユキトも同様に。まったく、ユキトもどうしてあんな愚かな“御主人様”を選んでしまったのか。審美眼が曇ってるから、“追放勇者”なんて貧乏くじを引かされてしまうことになるというのに。


『作戦は至ってシンプルであるぞ』


 魔王アダムバードは言った。


『君達四人が一緒にいて作戦に参加していることこそ、我々にとっては大きな障害である。よって、まずは君達を分断させて貰うことにしよう』

『分断?』

『そうとも。まずは、そのパーティからユキトを追放するように仕向ける。……我らの調べた情報によれば、ユキトは元よりいじられキャラ……特に最近は、現地の女性に言い寄られたりした結果、ケンイチとマリナからより疎まれているというではないか。君もその喧嘩の仲裁に苦心していたのだろう?それを参考にさせて貰うとしよう』


 どうやら、彼等はそんな些細なことまで調べ尽くしていたらしい。あの時の喧嘩ほどくだらないものはなかった、とマリナはため息をつく。そもそも、ケンイチとユキトでいったら圧倒的にユキトの方が可愛い顔をしているのだからしょうがないではないか。ケンイチは何度か会ってもちっとも印象に残らないフツメンだが、ユキトは弟系で可愛い系の美少年だ。そりゃ、前線基地の女性陣に可愛がられるのも仕方ないことだろう。ケンイチと比べて傲慢で自信家でもないから、同性の兵士達にも比較的好かれる傾向にある。それが、ケンイチとして気に食わないのだろう。自分より格下の相手がちやほやされている、男としても人としてもモテている――彼からすれば屈辱に違いない。

 そしてマリナもマリナで、思春期の女子らしい妙な潔癖さを持っている。初心でウブなユキトが、大人の女性達に囲まれて照れまくっているのがなんとも破廉恥に見えているらしい。少々気の毒な話である――何もユキトが彼女達の風呂を覗いたとか、下ネタを言ったというわけでもあるまいに(そういうことをケンイチが繰り返しするので苛立っているのはわかるが、その矛先がユキトに飛ぶのはとんだとばっちりというものである)。

 その上で。彼等は能力の上でも、ユキトを軽んじている傾向にある。ここのところナコの立てた作戦が綺麗にキマっているので、怪我人の数が極めて少数で済んでいるためだ。つまり、回復役の出番もそれだけ少ないということ。自分達の能力は凄いが、役に立たないユキトの能力は大したことないのでは?なんて彼等がよりユキトを見下す下地は充分にあるというわけだ。

 そんな前提で。そのユキトにさらなる疑惑が浮上すればどうなるか。元々彼を疎ましく思っていたケンイチとマリナはあっさりユキトを見限るだろう。元より、幼馴染で古くからの友人(しかも実質両片思い)の彼等と違って、ユキトは高校で出会っただけ、学校でもさほど助けて貰ったことのないただの金魚のフンという認識だろうから。


――悪いわね、ユキト。


 少々不憫に思わなくもないが。これも、この世界を本当の意味で守るという“正義”と、そして元の世界に帰るという自分の願いのためである。


――でもきっと、あんたにとっても……あいつらから離れた方が、いい結果になるわ。あんなクズな連中、どうせ早かれ遅かれ自分に都合が悪くなったら、仲間だって切り捨ててくるに決まってるんだから。


 作戦は単純明快。人間の商人に変装した魔族の女がユキトに声をかけて商品を押し売りしようとし、それをナコが目撃する。不審な様子だったから、という名目でその女の後ろをナコが尾行していき、魔王に連絡する女を目撃するというシナリオだ。魔族の女がユキトに接触していた、ユキトは裏切り者かもしれない、ということをそれとなくナコはケンイチとマリナの吹き込むのである。

 また同時期に、ユキトが他にも妙な行動をしていた、という噂が前線基地に流れ始めることになる。これも、人間に変装した魔族たちの手管だ。仲間の悪口を言っていた、とか。あんな連中見限って魔王側についた方がいいとボヤいていた、とか。他にもスパイらしき男に金を貰っていた、なんて話があってもいいかもしれない。

 ユキトに対して不信感を持っていないであろうナコの証言と、それらの噂があれば。ケンイチとマリナはきっと、ユキトの反論など耳を貸すこともしないだろう。ユキトもユキトで、スパイ疑惑の噂が基地全体に広まったともなれば――その場に居続けるのには苦痛を感じるに違いない。

 あとはそうして追放されたユキトを、それとなく魔王側が取り込んでしまうという流れだ。


『ユキトの能力が、君のそれほど我々の役に立つかはわからないが……肝心なのは、ユキトを離反させること。四人いた勇者の戦力を、実質二人にすること。……参謀と回復役がいなくなるというのがどれほど恐ろしいことなのか、彼等は次の戦いで思い知ることになるだろうよ』

『頭がいいのね、魔王様は』

『光栄だ。まあ、君ほどではないさ』


 そう言われて、ナコも悪い気はしない。しかもこの作戦の何がいいって、実質自分は何も嘘をつく必要がないということだ。たまたま魔王側から作戦概要を知らされているというだけで、魔族の女がユキトに接触するのもスパイ疑惑を作って自分がそれを目撃するのも事実なのだから。


「あれ、ナコ?どこに行ってたの?」


 シトロン基地に戻ってきた時、何も知らないマリナが目を丸くしていた。


「ちょっと散歩よ」


 腹芸は得意だ。ナコは表情一つ変えることなく答える。


「それより、もうそろそろ次のアテナ基地を攻める準備を始めるべきだわ。動けるのがもう少し先でも、作戦くらいは立て始めてもいいでしょ?」

「もう、ナコは真面目なんだからー」


 手段を選ぶつもりはない。

 元の世界に帰り、本来の己を取り戻すまでは。




 ***




「まあ大体、ナコが考えているのはこんなところであろうな」


 しばしの休息。魔王城でジョナサンとチェスに興じながら、アダムバードは話す。


「ナコからすれば、元の世界に帰ることができ、かつ自分のことが正義であるという大義名分さえあれば……どちら側に就いてもいいという姿勢だろうよ。今回の作戦ならば、それこそ旗色が悪くなれば再び勇者側につくこともできるというもの。それこそ、奴は何も嘘をつく必要がないのだからな」

「我々のことも、まだ完全に信用したわけではないということですか」

「というか、奴はこの世界で出会ったもの、何一つ信じてはいないだろうよ。信じるのは、己の力のみだろうさ」


 それほどまでに、ナコは己の力を信じている。過信している、と言っても過言ではないほどに。実際彼女の作戦によって今までの戦いでは戦果を上げてきたし、恐らく現代日本でもそうだったのだろう。戦争に参加したことなどないだろうが、勉強や部活動などでも、信じてコツコツと努力を積み重ねれば相応に報われてきたタイプであるに違いない。それは彼女の幸運と、実際それに見合う努力あってこそ。努力もせずに得た能力を振りかざし、それで好き勝手に無双して傲慢に振舞う輩よりはよほど好感が持てるのは間違いない。

 まあ、まだ子供であるのは確かであり。少々、人間に対する情に欠けすぎているという印象は否めないが。


「ユキトを追放させたならばあとはナコを使って、それとなく人間側が不利に……否、魔王軍にとって都合がいい作戦を立てさせ、アテナ基地に攻め込ませてやればいい」


 にやり、と笑うアダムバード。ここまで随分人間達に好き勝手されてきたが、これでようやく反撃の狼煙を上げることができそうだ。むしろもっと早く、奴らの関係を掻きまわして決別させる手を取るべきだったと悔やむほどである。まあ、時間をかけた結果、ナコがケンイチ達に不満を抱く土壌をじわじわと築けたと思っておくべきかもしれないが。


――この魔王、アダムバードをナメるでないぞ人間……!


 ああ、作戦開始が待ち遠しくてならない。

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