<20・英雄>

 本当の自分を知っているのは、いつだって自分自身だけだ。あるいはその自分にもまだ、見えていないところがあるのかもしれないけれど。


――畜生……!


 灰色の、ドアも窓も何もないコンクリートの部屋。マリナと共にこの部屋に落とされた瞬間、ケンイチは敗北を悟った。ああ、どうしてこんな馬鹿げたことになってしまったのだろう。自分はただ、自分なりに皆に求められた役割を演じてやっただけだというのに。


――ふざけんな。俺だって……俺だってずっと必死だったってのに!


 身体能力も、成績も、顔面偏差値も平均的。際立って何かが苦手ということもないが、誰かに胸を張って得意と言えるものもなし。そんな己のことが、ケンイチはずっとコンプレックスだった。何か一つでいいから、皆に自慢できることがほしい。誰にも負けない武器が欲しい。そして、多くの者達に認められる己になりたい――マリナも大概だろうが、ケンイチもケンイチで相当承認欲求の強い少年であったのである。

 そんな自分が見出したのが、皆が望むような人間を演じるということだった。

 子供の頃から、大好きだった特撮モノ。その戦隊ヒーローの主人公のような振る舞いをすることで、皆に愛される自分であろうと思ったのである。

 ケンイチが子供の頃に流行していたのは、爆撃戦隊ストレイジャーだった。ストレイジャーというのがストレンジャー=異邦人のことなのか、はたまたストライカーをもじったものなのかはよくわからない。お調子者でみんなのムードメーカーでリーダーシップに長けたレッド、参謀役でクールなブルー、気が優しくて親切で力持ちなイエロー、しっかり者のヒロインなピンク、誰より俊足で、真っ先に敵陣に切り込んでいく勇敢なグリーン。一人一人では、宇宙からの侵略者に勝つことはできないが。全員揃えば、どんな悪の魔王にも負けない最強の合体ロボを繰り出せる。そういうヒーローだった。


『俺達五人は、五人で一つ!苦手なところも、それぞれの個性や武器で補い合えるんだ!』


 レッドの有名な台詞。今でもよく覚えている。


『だから、一人一人ではお前達に勝てなくても、五人一緒ならどんな敵にも負けやしない!仲間との絆こそ、俺達の最大の武器だ!』


 ありきたりな言葉かもしれないけれど、幼いケンイチは何より痺れたのである。彼等はヒーローをかっこよく蹴散らし、いつも助けた人々に感謝され尊敬される。自分もあんなヒーローになりたいと、そんなことを思っていた。ヒーローになればみんなに認められる、愛して貰えると。

 勿論、ケンイチには戦隊ヒーローたちのような特別な力もないし、恵まれた身体能力もなければ頭脳もない。だが、そのガワだけを真似て、みんなの注目を引くことはできるのだ。

 ケンイチはレッドの性格をベースに、ムードメーカーでみんなのリーダー役を率先して引き受ける人物、を演じるようになった。面倒だと思っても、仲間内で困っている人間がいれば自分なりのアドバイスをし、女の子が泣いていたらちょっと優しい声をかけてみる。そして、時々ドジったりして笑いを取るのも忘れない。バランスよく、行き過ぎず、誰かに嫌われることのないヒーローのようなキャラクターを。幼稚園の頃から始めたそれは、中学生になる頃には完全に板についたものとなっていた。それだけ続けたのは当然、それに見合う評価があってのことである。

 気づけばケンイチは大抵のクラスで、中心にいる人物となっていた。

 際立った長所があるわけでもないのに、いつもたくさんの友達に囲まれて笑っているムードメーカー。そして、クラスのリーダー的なポジション。学校から帰ろうとすると、誰かしらに“今日は一緒に遊ばないか”とか“どこかに寄って行かないか”と声をかけられる。可愛い女の子に告白されることさえあった。そのたびにケンイチは、自分の承認欲求が、自尊心が満たされるのを感じていたのである。

 マリナのこともそう。ちょっと思い込みの強い面倒な人間だけれど、とびきりの美少女だし、ヒーローならそうするだろうという理由で積極的に助けて来た。幼い日のかくれんぼ、皆が諦めかける中自分だけでもとマリナを探し続けたのはそのためである。気になる女の子であったのは事実だが、それが本当に恋愛感情だったのかは今でもよくわからない。ただ、彼女が自分に向ける視線が変わったような気がして、彼女に好意的に接して貰えるたび自分自身のことも好きになれるような気がしたのも事実だった。

 偽物のヒーローの仮面、は。いつしかケンイチの顔にぴったりと張りついて、けして取れないものとなっていた。ケンイチ自身がどれほど疲れて、もうひっぺがしてしまいたいとどこかで願っていたとしても。その仮面に罅が入るのは、ユキトのような周囲に影響力がなくて素で接しても問題ないと思ったザコの前くらいなものである。


――俺、なんでこんな疲れることばっかりやってんだ。


 誰かに認められるために、誰かに愛されるために。それだけのために、やりたくない人助けをやって、演じたくもない道化じみた真似をする。そうやって尊敬されて友達が増えるたびに満たされる自分がいるのも事実だが、段々同じだけの空しさをも感じるようになっていたのは事実だ。


――もう疲れた。もう嫌だ。何で俺ばっかり、こんな努力しなくちゃいけないんだ。世間じゃもっと素の顔で、ちやほやされてる奴がいっぱいいるってのに!


 自分にも、誰もが羨むようなイケメンフェイスがあれば。

 あるいは素晴らしい身体能力があれば。

 もしくは学校の勉強でいつも一番を取れるくらいの頭があれば。

 何か一つでいいから、誰にも負けない武器があれば――こんな苦しい思いをしてまで、ヒーローごっこを続けずに済んだというのに。何故、大して頑張ってもない連中が、神様に幸運にも与えられた才能にあぐらをかいて気楽にヘラヘラ笑っているのだろう。自分はいつも、こんなに努力して、人の顔色を窺ってばかりいるというのに!


――小学校の終わり頃から、夢を見るようになった。異世界に転生した少年が、メガミサマから絶対無敵のチート能力を貰って、モンスターや悪者相手に無双する話。そして、異世界の村人たちや可愛い女の子たちにひらすら尊敬されて愛される話……。


 その物語の主人公に自分がなる夢を、ずっとずっと見続けてきた。彼等は前世がどうであれ、異世界では本気で頑張ろうとしない。頑張らなくても、チート能力のおかげでリスクもなくモンスターが討伐できるし、望めば望だけのんびりしたスローライフだって実現できる。その能力だけで尊敬され、英雄扱いされ、多少我儘で自己中心的に振舞っても咎められることがない。謎の補正で、美女たちにはいつも愛されるし、なんならちょっとえっちなことだって好きなだけさせてもらえる。

 もう努力は嫌だった。自分だって、その主人公のように楽して好きなように愛されたい、ラクな生活がしたい。

 そんな矢先だったのである――この異世界転生に巻き込まれたのは。


――チャンスだと、そう思った。そう、今まで現代日本で辛くても頑張ってきた俺に、世界がご褒美をくれたんだと。もう俺は、馬鹿みたいに頑張らなくてもいいんだと!


 どんな敵でも一瞬で倒せるパンチ力、どんな魔法も思いのまま操れる魔力。それらも魅力的だったが、最終的には汎用性の高そうな時間を止める能力を選んだ。まあ、ちょっとえっちな動画やマンガをこっそり見たからというのもあるのだが。時間を停止させて、可愛い女の子達の体を好き勝手いじってしまうというアレ。時間が止まっているから酷いことをしても本人達も覚えていないし、自分も罪に問われない。マリナの言う通り、そういうことをやってやろうという下心があったのは否定しない。――まあ、結局この能力を、そういう用途で使う機会は今日まで訪れなかったわけだが。

 魔王討伐に成功すれば、女神は何でも願いを叶えてくれると言った。

 だからケンイチは、この夢のような世界での永住と、もう一つ他にもチート能力をくれるように頼んだのだ。この時間停止能力を補う能力が他にも欲しかったからである。その一つをどれにするかはまだ決めていなかったが、好きなだけスローライフができる系の力か圧倒的攻撃力のどちらかを選ぶつもりだった。時間を止められる上、そういった力も持っていれば。間違いなく自分は、もっと自分を好きになることができ、誰もに認められる本物の英雄になれるはずだと信じたからである。


『見知らぬ異世界なんて、正直怖いけど……でも、ケンイチが一緒なら大丈夫よね!私のこと、守ってね!』


 本当は、不安がなかったわけではない。でも一緒に飛ばされてきたマリナにそんなことを言われたら、その望みに応えないわけにはいかなかった。マリナに愛される自分でありたい。そのためには、本当は自分のことを守るだけで精いっぱいでお前を守ってやれる余裕なんかない、と思っていてもそれを口にするわけにはいかなかった。

 何より長年張りついた仮面は、簡単に外せるものではなく。


『おう、任せろ!俺の能力があれば、どんな敵だって怖いことなんかあるかよ!』


 そう啖呵を切るしかなかったのである。かりそめのヒーローは、結局異世界に行っても変えることはできなかったのだった。そしてそんなケンイチの振る舞いが功を奏し、モンスターに襲われていた町の美女を倒したことがきっかけでケンイチ達はあっという間に勇者として祭り上げられることになる。人間界を侵略し、支配しようとする魔王から自分達を救ってくれと懇願され、同行する町の警備兵達を貸し出されて旅をすることになった。そして、魔界と人間界を仕切る門の結界を解くため、人間界にある魔族たちの基地を破壊して回り――今に至るというわけである。道中で、さらに人間の兵士達という同行者を増やしながら。

 ナコの作戦通りに動けば、殆ど怖いものなどなかった。一度だけ失敗して大怪我をしたが、それ以降はさほど大きなトラブルもなく。彼女の作戦通りにケンイチはマリナと共に思う存分スキルを使って魔族たちをやっつけて回り、基地を落とし、そのたびに人間達に感謝されてきたわけである。勇者、と呼ばれるようになるのもすぐのことだった。


――こんな異世界、どうなろうと知ったこっちゃないけど。でも俺が永住するためには、少しでも恩を売っておかなきゃならならねえ。……そうだ、女神に願いを叶えて貰ったら、チートスキルは二つになる。そしたらきっともう……今度こそ、ヒーローごっこなんかしなくてもみんなに認められて愛されるようになるはずなんだ……!


 そう、思ってきた。そう思うことは、けして罪などではなかったはずだった。なのに。


――なのに、何でだ!何で……こんな馬鹿なことになってんだ!


 自分とマリナは、忠実にナコの作戦を実行したはずだ。それがどうして、謎の落とし穴に落ちて、こんな灰色のコンクリートに覆われた何もない部屋にマリナと共に閉じ込められているのだろう。ナコが何か把握ミスをしたのか?それとも敵が自分達の行動を読んで罠にかけてきたのか?

 とにかく、武器がツルハシしかないこの状況。こんな場所で自分とマリナの二人きりであっては、自力での脱出などほぼ不可能である。魔法の訓練も戦闘訓練もしてこなかったのだから尚更だ。スキルを使って無双しかたっかのであって、なんで異世界に来てまで努力したり頑張ったりなんてことをしなくちゃいけないのか。あれだけ現代日本で苦労してきたのだから、異世界では楽をしたいと思うことの何がいけないのか。

 そう、自分達の判断は間違っていない。

 間違ってなどなかったはずなのに。


「だ、誰か!おい、誰かいないのかよ、俺らを助けろよ、早く!!」

「誰か、お願い!私達を助けて!」


 ケンイチがマリナとともに、壁を叩きながら叫んでも――どこからも返事はなかった。

 自分達は完全に、この得体の知れない部屋に閉じ込められたのだ。


――ふざけんな!なんでだ、何でこんなことになるんだよおおお!


 じわりじわりと迫りくる絶望に。ケンイチは、ただひたすら叫び続けるしかなかったのである。

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