<25・本心>

 アダムバードは言った――ナコがこちら側のスパイをしていた事実は、そのまま伏せていてもいい、と。実際、ナコはケンイチとマリナ視点で、明確に裏切ったとわかるような行為は何もしていない。ユキトが魔族の女性に声をかけられた場面を見たのは嘘ではないし、その後のアテナ基地の作戦だって“ガセネタをつかまされてしまった”で済む話だ。勿論校後者はナコの失敗という意味では汚点になるが、最後までケンイチとマリナを裏切っていないということにした方が、人間関係に罅を入れる可能性は間違いなく低かったはずである。

 それでも、ナコが全てをケンイチとマリナ、ユキトに話すことにしたのは。それが、自分なりの誠意であり礼儀だと思ったからだ。

 確かに魔族たちは、魔王アダムバードは自分達勇者の敵だった。

 魔族が生き残るために、勇者パーティを罠にはめて、人間達に打撃を与えようとしたのは事実だ。そのために自分を利用したのは確かだろうし、それに関してはナコも切り捨てられる可能性を承知で乗ったのだから御相子である。

 だから誠意というのは、そういうことではない。


――魔族の……ヘレンとかいう人もそう。アダムバードの魔王城での振る舞いもそう。……この部屋に来るまでのやりとりも、そう。


 アテナ基地で人間兵たちが罠にハマってパニックになる中。敵に浚われたフリをして、ナコは魔王城にやってきた。最初からそういう算段だったからである。

 魔王軍の最終目標は、勇者達を浚って人間達の軍を大きく弱体化させた上、最終的には魔族と人間達とで和平交渉に臨むこと。勇者パーティ全員がいなくなれば、人間兵達だけで残る基地を落として、魔界の門の結界を解くことは相当厳しいものとなる。こちらが総攻撃しても壊滅的打撃を与えられるだろうが、そもそもアダムバードとしてはなるべく人間達も殺したくないスタンスである。禍根も残したくない。魔族たちが人間界に住むことを許可して貰える、かつ迫害しないことを約束して貰えるのであれば、実質彼が望む“世界征服”は達成されたも同然なのだ”と語った。

 だが、それは言うほど簡単なことではない。

 表向きの和平を結んだところで、人間たちの心が変わらなければ差別や偏見がなくなることはないからだ。そう、せめて――力ある存在の鶴の一声がなければ。


『ゆえに、そのための作戦を我とともに立てて貰いたい。今まで鮮やかに勇者パーティを指揮してきた君ならば、それも任せるに足ると思うのだが』


 魔王アダムバードは威圧するでもなく脅すでもなく、対等の立場でナコに頼んできた。それでありながら、なんなら脅されて自分に従わされている立場ということにしてもいいし、今まで何もしらずにガセネタを掴まされて踊らされたところを浚われてきたということにしてもいいと。

 しかし、その言葉は逆に、ナコの心を決めるに充分だったのだ。

 直感したからだ。彼は、嘘をつかない人間であると。そう、人間よりも正しく人間の心を持っていると。


――その上で。カメラを通じて、魔王城の様子や……ユキトとのやり取りの映像とかも見させて貰ったけど。


 自分も、一人の人間だ。自分さえ元の世界に帰ればいいと思っていたし、その気持ちが変わったわけではないけれど。それでも、正しく誠意を見せるべきだとは思ったのである。

 自分も、この人に嘘はつきたくない。

 そして、堂々と元の世界に帰るためには――この世界で、魔族たちをバケモノと見なして殺戮してきた罪を。女神の言葉をうのみにして暴れてきた咎を。清算しなければならないのではないか、と。


「……今、話した通りよ」


 ゆえにナコは、正直にケンイチ達に全てを話すと決めたのだ。彼等を欺いていたこと。ユキトが追放される手伝いをしたこと。そして、アテナ基地でケンイチとマリナが罠にかかるように仕向けたことも。


「だから、ケンイチにマリナ。……ユキトを追放したことも、アテナ基地で罠にかかったことも全部私の責任でやったこと。責めるならユキトじゃなくて、私にして。二人に参謀として信頼されていることを分かった上で……本当の意味で裏切ったのは、私の方なんだから。例え魔王様の言葉の方が自分に利があって、かつ正しいと思っていたとしても。それを、貴方たちに言わないことを選んだのも私なのだから」

「な、ナコ……」


 ひょっとしたら、ケンイチは薄々予感していたのかもしれない。唇を噛んで黙るばかりだったが、マリナは違っていた。彼女が、ナコに対して複雑な感情を抱いていたことは知っている。ケンイチに近づくかもしれない女の一人としての敵愾心。そして、同じだけ現代日本出身であることゆえの信用。参謀として、数々の作戦を成功させてきたことの信頼。

 ナコのことは気に食わないけれど、同じだけ友達だとも思っていて、それ以上に指揮官としての信頼を寄せていたということ。まさかそんなナコが、裏で自分達を裏切っていたなんてまったく想像もしていなかったという顔だった。


「……なんで、私達のことをあっさり裏切ろうと思ったの。……それだけ、教えて」


 激昂して掴みかかってこないあたり、彼女も成長したのかなと思う。ケンイチと二人で、閉鎖された地下空間に閉じ込められていた時間は一時間ばかりだったはず。それでも、その一時間が想像以上に彼女には堪えたのかもしれなかった。同時に、その上でのユキトからの説得も。


「……私は、元の世界に帰りたかった。何故ならあそここそ、私が生きるべき世界だから」


 クラスでは、クールで物静かな優等生を演じていた。この世界に来ても、彼等に期待されるまま作戦を立てることに終始していたし、マリナが望むから極力一人でケンイチに近づくことも避けていた。空気を読んで、誰かが望む姿でいれば。それが何より、トラブルの回避になることを知っていたからである。

 でも、自分は。彼等に、自分の意思で裏切りを決めたことを正直に伝えた。何故そのような選択をしたのか、その本心をも話すのが誠意というものだろう。


「何でそう思うのか?……ケンイチやマリナにとっては、現代日本の生活なんて退屈で、刺激も無くて、つまらないものだったんでしょうけど。私にとってはそうじゃなかったの。努力すれば努力しただけ成果は出る。自分なりの目標に近づく。争いもなくモンスターも出ない平和な世界……それがどれほど幸せなものかわかる?平和ボケして退屈なんて、そんなの紛争地帯の子供達が聞いたらひっくり返るような話でしょ。……私は自分が幸せだってのもわかってたし、恵まれた国に生まれたとも思ってた。だから自分なりの力で、コツコツとやれることを積み上げてきたの。それをこんな……無理やりな異世界転生なんかで奪われるなんて、冗談じゃなかったのよ」

「だから、元の世界に帰りたいってメガミサマにお願いしてたの?」

「そうよ。……自分達の世界が退屈だというのなら、自分なりの力で刺激的に変えていく努力をすればいいだけのこと。私は、恵まれた国に生まれた幸せにも気づかず、自分で世界を変える努力もしないで文句ばっかり垂れる連中が大嫌い。夢のような異世界?都合の良いチート能力を貰って、努力もしないで愛されて認められて無双したい?……そんなことを言いだす奴らがみんな嫌いだった。わかる?……だから、あんたとケンイチのことが、私は最初から嫌いだったのよ」

「――っ……」


 ショックを受けたように固まるマリナ。その様子に、罪悪感がないと言えば嘘になる。でも。

 誰かに理解されたいなら、自分もまた誰かを理解する努力をしなければならないということ。

 マリナもまた、その事実にちゃんと気づくべき時が来たはずだ。自分はまったく、ナコの本質を見ていなかったこと、知ろうとしてもいなかった事実に。


「……元々女神への不信感もあったし、あんた達に都合よく使われるのも嫌だった。だから魔王様の提案にあっさり乗ったの。元の世界に返してくれると約束してくれたし……私が裏切ったのがバレないように作戦立ててくれたしね」


 今でも、完全に魔族を信じると決めたわけではない。でも。


「魔王アダムバードの方が信用できそうだと思ったのは。彼から誠意を感じたから。……私が、裏切り者だとわからないような作戦を最後まで貫いてもいいと言ってくるえた。今日ここに来るのも、彼の手で無理やり拉致されてきたことにしてもいいと言ってくれた。……それに加えて、ユキトに対応した……魔族の女の態度とか、いろいろ見て。表向きの情報だけじゃなくて……ちゃんと目で見て信じるべきことがあるんじゃないかって、そう思ったの。同時に、そんな彼らに対して私達が償うべき罪も」

「ナコ……」

「私のことを罵りたければそうすればいいわ。私達は最初からちゃんとした仲間なんかじゃなかった。絆なんかなかった。みんな自分のことしか見えてなくて、仲間や世界の為に何かするなんてこれっぽっちも考えてなかったでしょ。……その上で、自分に私を罵る資格があると思うなら、好きにすればいい」


 信じて貰おうなんて思っていない。そんな資格は自分にない。

 自分に本当の意味での仲間なんて、此処にいないことくらいナコ自身が一番よくわかっている。それでも。


「それでも、自分達がするべきことのために……決断できるというなら。手を組みましょう。今度こそ、本当の意味で……同じ目的に向かって」


 謝罪の言葉は口にしない。後悔も反省もしていない以上、そんなものは卑怯なだけなのだから。

 エラそうと思われても構わない。何もかも事実で、責められても仕方ないことくらいわかっているから。


「……ナコさん」


 やがて、ユキトは口を開く。


「作戦、考えさせて。今度は、一緒に。……僕も……役に立てるように頑張るから」

「そうだな」


 便乗したのは、ケンイチ。


「……本当の仲間なんかじゃなかった、最初から。……悪かったな、今まで作戦全部、お前に丸投げで。頭良くないけど、良くないなりに……俺も一緒に考えるよ。そうだろ、マリナ」

「……うん」


 マリナも、頷く。何もかも納得したわけではないだろうが、それでも。彼も、彼女も、自分なりに何かを選ぼうとしているということだろう。


「……ありがと」


 ナコはちらり、とアダムバードを見る。彼は頷き、宣言した。


「それでは改めて。……女神との交渉、および対決に関しての作戦会議を始めようぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る